第2話 少女の絶望

 学園の朝食は、いつも決まって七時だった。生徒達は各々のベッドから起きると、自分で着替えを済ませるか、あるいは召使いに着替えを手伝って貰うかして、今日の朝食に(一部を除く)胸を踊らせた。「今日の朝は、何が出るだろう」と。親元から離れ、寮生活をする彼等には、朝食は数少ない娯楽の一つだった。


 彼等は部屋の中から出て、学園の食堂に向かった。学園の食堂は、彼等の寮から少し離れた所にある。いくつもの廊下を渡って。廊下の途中には様々な部屋があるが、空腹に支配された今の彼等には、本当にどうでも良い部屋だった。


 生徒達は食堂の中に入ると、それぞれの場所(座る場所は、大概決まっている)に座って……エルス王子が食堂の中に入って来たのは、彼等が今日の朝食に肩を落とした時だった。


 王子は「ニコッ」と笑って、いつもの場所に歩を進めた。


 生徒達は(特に女子達は)、彼の姿に見惚れた。黄金に輝く髪、女子よりもきめ細やかな肌、「クス」と笑う美しい微笑み。


 生徒達は、アレが自分達と同い年、17歳の少年とは思えないくらいに、彼の姿を凝視し、そしてまた、その姿自体に心を震わせていた。


「ああ、なんて美しいんだろう」


 王子はその声に気づかないまま、いつものように「クス」と微笑んだが、ある少女の姿がない事に気づくと、顔の表情を変えて、椅子の上から立ち上がった。


「フィリアさん」の声を聞いたネフテリアは、彼の前にずる賢くも近づいた。「どうなされました?」


「ネフテリア……ああうん、ちょっとね」


 あの、と言いかけた王子は、すぐに「何でも無い」と微笑んだ。


「少し気になる事があってね」


「そうですか」


 少女は事情を知っているくせに、あえて知らない振りをした。


「お悩み事があるのでしたら、いつでも私にご相談ください。私は、貴方の味方ですから」


「うん、ありがとう。ネフテリア」


 太陽のような笑顔だ。

 その笑顔を見ると、昨日のアレが嘘のように思えてしまう。


 ネフテリアは「クスッ」と笑いかえすと、得意げな顔で自分の席に戻って行った。


 周りの生徒達は、その光景に嫉妬した。特に女子生徒達は(表立っては逆らえないが)明らかに不満げな顔で、彼女の事を罵ったり、あるいは「羨ましい」と嘆いたりした。

 

 ネフテリアはそれらに声を無視し、尚も得意げな表情を浮かべつづけた。


「私と貴方達は違う。私は」

 

 の続きを呟かなかったのは、王子を目があったから。そして「クスッ」と笑ったのは、王子が彼女に「ニコッ」と笑いかけたからだ。

 

 二人は互いの顔をしばらく見合ったが、朝食の祈りがはじめると、その目をゆっくりと逸らし合って、祈りの言葉を静かに唱えはじめた。


 

 朝食を食べ終えたのは、朝の七時半だった。彼女達は所定の場所に食器類を戻すと、昨日行った学校の隠し部屋に向かった。隠し部屋の中では、フィリアがすすり泣いていた。「う、ぐ、はっ」の声が響く。

 

 少女達はその声に胸を痛めたが、ネフテリアは至って冷静だった。憎たらしい恋敵がどんなに泣いていようと、今の彼女には関係ない。今の彼女に関係あるのは、「昨日の仕置きがどれくらい効いたのか?」だった。口の縄を取って、フィリアの顔をじっと覗き込む。


「ふーん、相当泣いたようね。縄が涎だらけになっている」


 ネフテリアは楽しげな顔で、彼女の腹に蹴りを入れた。


「う、ぐっ」と、フィリアが悶える。「ごめんな、さい」


「何が?」とあえて聞くネフテリアは、文字通りの鬼だった。「ごめんなさい、なの?」


「エルス王子に色目を使って。私は」


「もう、王子の事が好きじゃない?」


 を聞いたフィリアの顔が、絶望に震えた。殺される。ここで「はい」と答えなければ、自分は彼女達に殺されてしまうだろう。誰もいない場所に連れて行かれて。そうなったらもう、自分は誰にも見つけられない。自分が愛する王子様にも。


 フィリアは暗い顔で、彼女の質問に「はい」とうなずいた。


「もう好きじゃありません」


「もう色目は、使いません?」


「はい」の返事が切なかった。「もう、色目も使いません」


「そう」


 ネフテリアは、周りの少女達に目配せした。


「解いてやって」


 少女達は、彼女の指示に従った。


 フィリアは、自由になった。少なくても身体は、自由に動かす事ができる。心の方にはまだ、強力な縄が残っているけれど。

 

 彼女は疲れ切った顔で、ネフテリアの顔を一瞥したが、すぐに視線を逸らして、彼女にまた「ごめんなさい」と謝った。

 

 ネフテリアは、彼女の謝罪に満足した。


「誰でも良いから、私の部屋に。王子には、上手い事誤魔化しておくから」


「わ、分かりました」と、うなずく少女達。少女達はフィリアを後ろにして、彼女の前からゆっくりと歩き出した。


 ネフテリアは、遠ざかっていく彼女の背中にほくそ笑んだ。「これでまだ、邪魔者がいなくなった」と。彼女のような平民は、田舎の幼馴染と結ばれるのが幸せなのだ。叶わぬ夢なんか見ていないで。夢とは、それに見合った人間しか見てはならないのだ。


 彼女の背中から視線を逸らす。


 ネフテリアは「ニコッ」と笑って、王子の部屋に向かった。

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