第25話 論功行賞 3

 とうとうやって来てしまったこの日。

 論功行賞当日。


 この日恨みがましいほど空は晴れ渡り、街路樹の銀杏いちょうの金色は、空の青に良く映えた。

 アトは、城から出された迎えの馬車に乗り向かう道中、街は赤い提灯で飾られ、そこらかしこで爆竹が鳴らされ、双喜紋や福の垂れ幕がたなびき、祝の旗が掲げられていた。


 今思えば、数日前の夜にドンドンと音がなっていたので、花火が上がっていたのだろう。アトはそれどころじゃなかったので、なんとなく遠くから音を聞いていただけだが。

 アトはぼんやりと思った。


 新皇帝が即位したんだな……。


 街はこんなにお祝いで騒いでいるのに、自分とはひどく縁遠いように思えてならなかった。

 即位した皇帝が、自分の夫になるというのにどこか遠い国の話を聞いているようで、自分一人が隔絶されたような気すらする。


 つい最近まで庶民だったからか、街のお祭り騒ぎをどこか他人事のように見ている自分が、少し悲しくなって、懐かしむように窓から熱心に外の様子を見た。

 本当なら自分はあの人々の輪の中にいて、一緒になって騒いでいたに違いないのだ。

 それでも


『偽善者!』


 と叫ぶあの子の声がまだ聞こえる。

 私は逃げてはいけない。

 泣くまい。

 アトは口をギュッと引き結び袖口を握った。


 一方、城内では泱容が冕服ベンフクの着付けを終え、再度名簿と下賜録に目を通しているところであった。ふと“楊 蘭玉”の名で手が止まった。

 元の名の婀兎アトでは楊の名字と釣り合いが取れぬ、ということで以前に宮廷内で名乗っていた、蘭玉と名を改めることとなった。


 きっと嫌われただろうな……。


 そう思うと、とてもではないが気が進まない。

 かと言って、金だけ渡せば、“兄”だとか言ってた男妾のところに駆けてそのまま……――。


 💢 考えただけで今すぐ奴を殺しに行きたくなる!!


 それに、男妾の方が恋慕の対象に近いのでは? 等という疑念がもたげて、さらに気が重い。

 あまりに思い詰めた顔だったのか、側に控えていた宦官が薬湯を勧めてきた。

 泱容は少し悩んだ末、と同じように一度持ってこさせ、別の要求をしてから再度持ってこさせた。泱容はいつも口に入れるものにはそうしている。

 長年の癖のようなもので、彼はそうしないと安心して口にものを運べない。そんな癖がつくほど、泱容は宮廷内で毒殺などの憂き目に遭ってきているのだ。

 人間不信の現れが嫌になる。


 アト、アト。

 会いたい。

 どんなに焦がれているか、お前は知らないだろう……。


 泱容は“蘭玉”の名をなぞりながら渇望した。

 そんな執着を、知りようもないアトは、再び蘭玉として登城した。登城してアトは、男ばかりが並ぶ席の一角に座らされた。アトが席につくと、同席していた男達は一斉にアトを見つめた。


 一方は驚きの目で、一方は好奇の目で、一方は不快な目で、どの目も異物としてその目に写している。


 だが、アトは知らぬふりをした。

 正直、ここにいる連中は大して強くない。全員でかかってきても勝てる気がする。そんな連中がいくらガン飛ばしたって、蚊に刺されたようなもんだ。

 それに呆れもする。

 いい年した大の男が、十七そこらの小娘によって集ってガン付けするなど、情けないというものだ。


 そんなことよりも、アトは皇帝になった泱容の方が気になる。正直、会うことに戸惑いがある。

 でも、久しぶりにあって元気でいるか見たい気持ちもあるし、一体どういうつもりで貴妃にしたのか、問いただしたい気持ちもある。

 ただ、血で手を穢したアト自身が何の咎もなくいるには、後ろめたさがあって、貴妃になるのは関わりすぎたアトに、首輪をつけておくためなのだろうと思った。だから、首輪というのなら、甘んじてそれに繋がれなければならないのだと思った。

 そんな思いで、悶々と謁見の間に呼ばれるまで待った。そうして半刻ほど待つと、正面の大きな扉が開き謁見の間へと通された。


 全員が通されて後、銅鑼がなり皇帝陛下の入殿が伝えられた。すると皆が一斉に拝礼し、三度叩頭(※1)の後、そのまま平伏した。

 

 アトも楊曹夫人に散々練習させられたので、しっかりと皆と同じように拝礼叩頭ができた。

 これをしくじると最悪、打首になると麗嬌に散々脅されていたので、アトは少し安心した。

 そして、もう一度銅鑼がなると皆が顔をふせたまま立ち上がった。


 功が大きかった者から順次呼ばれる。最初は黄豪逸猛騎が呼ばれた。式部官が功績と褒賞を読み上げ、皇帝より巻物を受け取る。

 猛騎は北衛右羽林軍ほくえいううりんぐん将軍に昇格した。これにより皇帝の直属となり、名実共に泱容の側近となった。

 次に呼ばれた蘇信重嚴は太補(※2)に昇り、息子である蘇偉そいに、元の北衛左羽林軍ほくえいさうりんぐん将軍職を譲ることを許された。

 

 そしてつらつらと名が読み上げられ、つつがなく式典は進んでいった。そして、


「楊 蘭玉。前へ。」


 と呼ばれ、頭を垂れたまま式部官の後について進んだ。皇帝の御尊顔を、正面から見ることは許しない限りあってはならないと、されているからだ。そして、アトはきっと面を上げることはない。

 皇帝が顔を見せろというのは、よほどの功績がない限りはない。だからそれを許されるのは、この場では猛騎や重嚴、直属軍の将軍職についた蘇偉くらいである。


 アトはついに泱容の前まで来た。

 式部官に促されるままその場に膝をつき、深く頭を下げた。そこには朱色の毛氈もうせんが目につくばかりで、上から式部官の読み上げる声が降ってくる。曰く、


「二度に渡り陛下の危うきを助け、盧 惹喜その子全克を打つ一助となった。故に、貴妃として後宮に迎え入れ、金千斤キン(※3)を褒賞とする。また、これに因み、希勇君の称を与えるものである。謹んで受け給え。」


 アトはひざまずいたまま両手を高く掲げ巻物を受け取った。その時、


「大義であった。」


 と泱容の声が真上からして、巻物を受け取るときわずかに、手を握られるように触れられた。その瞬間、なんだか急に体温が上がって、耳が熱くてしょうがない。言いつけも忘れて、顔を上げそうになるも、思い止まり、壇上から降りた。


 皆が顔を上げられない状態で良かったと、アトは心底思った。


 そうして、論功行賞が終わると、祝宴がもようされるのだが、アトは出席しない。

 曲がりながらも、貴妃に取り立てられた身ゆえ、男ばかりの酒宴には出てはいけないのだ。

 だから、アトはこれから楊太師邸に帰ることとなった。馬車が来るまで待つ間、側には案内役の式部官がついて、空になった控えの間に二人きりとなった。( 式部官は宦官なので、入内じゅだい前の娘と二人きりになっても問題はない。)

 話すこともなく、終始無言でいると別の式部官がやって来て、アトについていた式部官に何か耳打ちをしていった。

 すると、アトについていた式部官は何事かあったのか


「申し訳ございませんが、やつがれめはしばしの間下がりまする。すぐ戻りますゆえ、お待ち頂きとう存じます。」


 と丁寧に頭を下げて出ていった。

 アトは一人になった。

 遠くで酒宴の喧騒が聞こえて、なんだか少し心もとない。そこへ、

 ヒタヒタと足音が聞こえてきた。

 見ると酒瓶片手に、顔を赤くした男二人がニタニタと立っている。

 非常に感じが悪い。

 アトは視線を逸らし、関わらぬように無視を決め込もうとしたが、


「オイっ!! 女が男に酌もせず何をしている?」


 とアトの両脇を挟むようにやって来た。これでは無視はできない。

 楊曹夫人から、嫁入り前のしかも入宮しようなどという娘は、親兄弟以外の男に近づいては絶対にならぬ!! と固く言いつけられていたのに……。

 アトは仕方なく口を開いた。


「宴会場では踊り子がおります。私に構っているより、楽しめるのではありませんか?」


 と断りの文言を言ったのだが相手が引かない。


「フンっ! 生意気がっ! 女は直ぐつけあがる! 第一、女ができることなど知れたものでであろうに、危うきをお助けした? 一助となった? 大袈裟というもの! 身の程というものを知るべきであろうがっ!!」


 と男は酒くさい息でまくしたてるが……


 うっとおしい。


 ここが宮殿ではなく、街中なら殴って終わらせてるのに……。

 アトはげんなりして眉根を寄せていると、男共は、アトの手首を掴みかかろうとした。

 ところがアトは、男共が掴みに来る前に椅子を蹴り飛ばして後

ろに飛び退き、男共はその場に崩れ倒れた。


「こンのっ……!」


 男共は割れた酒瓶で服の裾を濡らしヨタヨタと立ち上がってアトを捕まえんとするが、右に避けられ左の避けられ一向に捕まらない。そうしてアトは、しばらく男共と追いかけっこをしていると、式部官が戻ってきて


「な!? 何をしているのですかっ!!?」


 と大声で騒いだため衛官も駆けつけ騒然となった。


「何事か!?」


 衛官達がやって来ると、男共はさっさと捕えられた。

 男共も流石にまずいことになったと、慌てだしたが、どうすることもできずパクパクと口を動かしている。

 そこで式部官が


「希勇君が……殿方をゆゆ誘惑しておいででした……。」


 などと言い出した。


「どうやって??」


 アトは思ったことをそのまま口に出した。

 すると式部官は言った。


「おお言付けを頼まれました!! 戯れる相手を見繕ってここに案内せよと!」


 どうしてそんな嘘を言うのか? 全く解らないが、アトは、


 しまった―――!!


 と思った。

 なぜなら今この状況、男と部屋の中にいた事が衛官に見つかった事が、何より問題であり、式部官の言った言わないの証拠もないのだ。

 例え、アトに非がない事が明らかとなっても、“男といた”という事実だけでアトにとって、非常に分が悪い。最悪、一族郎党取り潰しの上打首。楊太師や猛騎にまで、類が及ぶとも限らない……。


 どうする?


 アトは覚悟とともに目を開いた。そして、


「おいっ!! 私はもっと強いのを連れてこいと言った!!!」


 と式部官に向かって怒鳴った。

 式部官は戸惑って目を点にした。


「コイツら弱い!! 全然強くない!!! もっと強いのを倒したいから連れてこい!!!」


 とアトが男共を指さして叫ぶと、男共は腹を立て、取り押さえる衛官をも振り払って「何をっ!!」と言って突進してきた。

 すると、アトは素早く相手の懐に入って、顎に一発、脇腹に一発、拳と蹴りを入れ隣の男には顔に膝を入れてやった。

 男共は折り重なって気絶した。

 そして、アトはもう一度吠えた。


「弱い!!!」


 衛官も式部官も啞然と立ち尽くした。

 そして、騒ぎを聞きつけた猛騎や重嚴が駆けつけ、何事か問いただした。すると、アトは膝をついて願い出た。


「つまりませぬ!! 強者を倒したく存じまする!!!」


 猛騎も重嚴もわけが解らず、一瞬戸惑ったが、近くにいた蒼い顔の式部官を見て、何事かあったことだけは悟った。そして、アトはアトなりの方法で、収めようとしていることも。

 仕方ない。

 猛騎は


「俺が相手致す! 一番手柄で文句あるまい?」


 と名乗りを上げ、皆を呼び集めさせその場で素手による試合を始めた。


 そして――――。

 アトが勝った。

 猛騎は一切加減をしていない。


 アトは恐ろしく身軽で、ピョンピョン飛び回り、殴打を繰り返して猛騎の拳や蹴りを躱した。

 猛騎も一発はアトの脇腹に入れたものの、受け身を取られて大して効かず、すぐ起き上がられて、二打目の拳は入れられなかった。そして、下段に拳を振った隙に横に回られ、後頭部に蹴りを食らって負けた。

 周りで観戦していた者達は皆一様に驚愕し、少なくとも、彼女がただの小娘ではないことだけは解った。


 こうして大きくなった騒ぎは、ようやっと泱容の耳にも届き、アト猛騎両名は功労ゆえに寛大な沙汰を言い渡すとし、アトは一ヶ月の自宅謹慎。猛騎は一ヶ月の減俸となった。


 因みに、あの男共も厳重注意に留められ、事実については口をつぐんだ。アトにあっさり倒され、男の沽券が深く傷ついたらしく、わざわざ罰まで与える必要は無し、ということになった。


 無論、このことに抗議する動きはあったものの、一番手柄で、しかも将軍である恰幅かっぷくの良い、黄豪逸猛騎が倒されている。驚くべきことに素手で。

 この事実があったため、“こんな猛獣のような女が、いっちょ前に誘惑などできようはずもない!”とする意見が相次ぎ、抗議もすぐ止んだ。

 それに、最初にアトの不義を訴えたあの式部官は、翌朝には井の中から死体となって発見された。

 結局、式部官の訴えはうやむやになった。


 以降、アトの噂は都中に飛び交った。

 ある人は


「熊のような大きな女で怪力だ!」


 またある人は


「毛むくじゃらで、獣のようだと聞いたぞ!」


 またまたある人は


「そんなわけ無いだろう!! とんでもなく美人だが、とんでもなく怪力だと言っていた!!!」


 などと、どれもこれも滅茶苦茶な噂ばかりであった。こうして希勇君蘭玉の名は、都じゅうに知れ渡ることになった。

 当の本人は、太師邸での謹慎中に知ることになる。



―――――――――――――――――――――――――――――――


※1:地に頭をつけ行う礼。


※2:皇帝の威厳を保つ役職で名誉職。


※3:重さの単位で、一斤=500g




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