第16話 天才、阮風。

 先帝が健在であった頃、洸国の科挙で以前出題された問を、わずか十二の少年が解いてしまったことがあった。


 その少年は、越の大使として洸国まで来ていた父に、こっそりついて来て城を勝手に走り回り、書庫にあった問題を解いてしまったのだ。

 父はカンカン、皇帝は驚き少年に科挙の出題を写本する許可を出した。

 その名をグェンフォンという。


 アトは怪しげな宦官を睨み付けた。


「誰だお前!」


 宦官は言った。


「グェン・フォン。君こそ何者よ? あんな動き軍人でもできない。て言うか、お話は城の外でしない? ?」


「!?」


 そんなこと簡単に出来る主人なんて一人しかいない―――!


 アトはグェンの顔を見てつい口走った。


「太師の知り合い?」


「勿論。」


 嘘は言ってない。


 フォンは確かに太師と面識がある七年も前の事だが……。

 アトは怪しげな宦官フォンから紙と筆を借り文を書いてその辺の衛官捕まえてお渡しくださいと頼んだ。

 衛官は眉を潜めたが宛名を見て直ぐ飛んでいった。

 宛名は楊太師。

 そして、暫くするといつぞや太師邸で見たのっぺり顔の男がやって来て


「お迎えに上がりましたお嬢様。」


 と頭を下げた。

 こうしてアトは太師の馬車に乗り込み、あの怪しげな宦官と一緒に難なく城を出た。

 太師邸に着くと、鎧姿の猛騎がアトを出迎え労った。


「よくやった。アト。殿下は無事だ。」


「良かった。」


 アトは胸を撫で下ろした。

 そして、猛騎は横にいる落ち着きのない宦官服を着た青年を見て尋ねた。


「アレ誰だ?」


 すると、のっぺり顔が答えた。


グェンフォン様でございます。」


「グェン・フォンだと? まさか……越の大使の!? 孫凱ソンガイどう言うことだ!?」


 猛騎は丸い目をしてのっぺり顔こと孫凱を詰問した。すると、


「イヤ~運が良かった。太師だったら多分俺を覚えているだろうし。」


 とフォンが口を開いた。そして、アトも驚いた。


「大使!? どうして?」


 フォンはアトに言った。


「どうしては俺が一番聞きたいわ!」


 そして、次に猛騎の方を向いて噛みついた。


「毒殺未遂の濡れ衣着せるとは、どう言うことだ!? それに太子は? お家騒動にウチを巻き込むな!!」


 猛騎はばつが悪そうに渋い顔をした。


「~っ。大使殿には一洸国民として申し訳なく思う。勿論だが我々としては貴国を捲き込む気は全くない。太子は――……。」


 と猛騎が言おうとしている途中でフォンが


「死んでるんだろ?」


 とうんざりした顔で言った。


「……―――。病で臥せっておいでだ。」


 猛騎はそう言って口を真一文字に閉じた。


「まぁ……それはいいです。それより……今俺の身代わりになってるの、俺のダチなんですよねー。勿論、助けてくれますよね?」


 フォンはジロッと猛騎を見た。

 猛騎は心の中で舌打ちをした。


 コイツ……若ぇのに人の足元思いっきり見やがって……。


 猛騎は答えに窮した。

 ここで越に悪印象を与えると、後々盧氏側に付かれるかもしれない。しかし、今、猛騎に余裕がない。そこに、


「よもや、このような形で、再びまみえるなどなど思うておりませんでしたわい。」


 と太師が出てきた。


「お久しゅうございます。」


 フォンは侑礼をした。


「うむ。若者がこうして育って行くのは嬉しいものじゃ。ところで……?」


 太師の朗らかな雰囲気はガラッと換わって厳しい目付きとなった。


「友を助けるのに我々に手を貸せと? 第五皇子殿下の毒殺未遂の調べも済んでおりませんのに……御身の潔白はいかがなさる。」


 アトも、この太師の睨みに怖じ気を感じたほどなのに、フォンは一歩も引かずに


「潔白? 無理でしょ。それに、助けが必要なのは貴殿方も同じかと存じます。第五皇子殿下に一刻も早く城内を制圧、あるいは脱出させねばならないでしょう? 見たところ盧氏優勢ではないですか。」


 と言った。すると、不意に太師が笑い出した。


 ククっ。あーっははははははははははっ!


「いやいやいや……。この短い間によくぞ情勢を読み取りおったのう。はぁー、全く末恐ろしいわ。そなた儂の養子にならんかえ?」


「申し訳ありません。わが君を主と定めておりますもので。」


 フォンは頭を下げた。

 アトは話の内容についてくるのが精一杯で、フォンの頭の良さに感心した。

 猛騎は先ほど足元を見られたことへの腹いせに


「頭の良い坊っちゃんとは心強いことだな。しかし……俺は手を貸せないぞ? 用事がある。直ぐ行かにゃならんのでな。」


 と嫌味っぽく言うと、フォンは少し考え込んで


「…………なるほど。玄に先手攻撃を?」


 と訊ねた。猛騎は驚きを隠せず眉をひくつかせて言った。


「!? 俺、大して何も言ってないぞ?」


「では……俺はこの娘を連れて第五皇子奪取後、越へ走ります。準備整い次第海から玄を挟撃します。」


 とフォンはアトを指差して言った。


「越王が動くかの?」


 太師が訊ねるとフォンは淀みなく


「動きます。」


 と答え、懐から矢羽を二本取り出した。


「それは……我が国で作られた矢と玄……だな。」


 猛騎が言った。


「玄は盧氏と手を組み我が国をとろうとしている。矢の恩は返さねばなりません。」


 これを聞いて猛騎は戸惑った。


「どういうことだ!? 同盟国を敵に回したら我が洸は挟み撃ちだ! 玄にしたって海戦は苦手なはず、いきなり越を取りに動くか!? 海賊の仕業と言うことは!?」


「……。俺も最初はそう思った。でも……狙うのは巡回船ばかり、られた船員の遺体の手首が切り落とされていた。海賊がそんなことしますか?」


 猛騎はフォンをじっと見た。


「手首だと? それは……。」


 まるで、戦場での功績を示すために首を持ち帰るかのようだ……。


 と猛騎は口から出かかり、顔を蒼くした。


「まさか……洸を玄にそっくりそのまま売り渡す気じゃ……。」


「そこまでは分かりません。でも……彼等の目的は一致しており、今同じ方向を向いている。お互いにとって脅威に代わりない。」


 …………――――――――――――――。


 重い沈黙の後、


「一刻も猶予がない。俺は行く。アト、第五皇子殿下奪取のち、第三皇子殿下をれ。フォン殿はそれから越に走られよ。」


 猛騎はアトとフォンに発した。


「御意。」


 アトは拱手で答えた。


「承知。」


 フォンもそれに倣った。

 猛騎は頷いてからくるりと背を向け、直ぐ馬で駆けていった。


 アトは心臓がドクドクいった。

 用心棒をしたことがあるから、盗賊相手に斬り合いしたことくらいはある。でも命乞いをしてくる奴までは斬らない。


 “第三皇子殿下を殺れ”


 抵抗しても何しても殺らなきゃいけない。

 ずっと青白顔をしている印象しかない第三皇子殿下、きっと殺されなきゃいけないほど悪いことなんてしてない。


 殺れる……の……かな?


 アトの不安を見抜いたフォンは言った。


「怖いですか? 女だから仕方ないですよ!」


 わざと明るい調子で言って、アトを怒らせ発奮させようとしたのだが……。


「怖いです。無抵抗かもしれない人を殺すのは……。」


 これを聞いてフォンは思った。


 彼女は良くも悪くも“普通”の感覚を持っている。


 フォンや猛騎、太師も含め為政者とはどちらを優先し、どちらを犠牲にするかの選択をいつも迫られ、それは全体を通しての良い方を選ぶ。そこに犠牲があったとしても、仮にそれが善人であったとしてもだ。

 フォンは太師を見て、その冷酷さに背筋の寒いものを覚えた。


 こんな普通の小娘を平気で巻き込むなんて……俺でもできねぇよ……。何て爺さんだ。


 と。

 しかし、フォンも彼女に温情をかけてやれるほど余裕はない。使える手勢が限られてる中、彼女は間違いなく優良な手駒。使わないわけにいかない。

 フォンも覚悟を決めた。


「そうですね。私が少々無神経でした。すみません。ですが、そうしなければ第五皇子殿下の命はないでしょう。」


 それを聞いてアトはビクッとした。


「解ってるよ。」


 アトは自分に言い聞かせるように言った。

 その姿を見て、フォンは罪悪感に駆られたが気付かない振りをした。

 太師は


「さて、儂はそなたらに付き合うとするかの?」


 と言ってアト達の近くに寄った。


「ご助力感謝致します。」


 とフォンは拱手した。


「城に入るのは、太師にご協力をお願いしとうございます。太后宛に文を……。彼女を太后に呼んでいただきましょう。」


「うむ。直ぐ書こう。待っておれ。」


「ありがたく存じます。それから羽林軍(※1)はどうなっていますか?」


 太師は渋い顔をした。


「右の将軍は駄目じゃな。盧氏に首輪をつけられておる。左は生粋の軍人だが、第五皇子殿下を良うは思うとらん。」


「では南衛禁軍(※2)は?」


「ならん。動かせる手勢はもう既に北に向かった。」


 フォンは考え込んだ。そして、ニヤリと笑った。


「では、殿下に……決闘でも申し込んでいただきましょう。」


 フォンの提案にアトは勿論太師も面食らった。


「ま待て! 毒を食らって虫の息だぞ!? 出来るわけないじゃないか!?」


 アトは身を乗り出して言った。太師は


「それは……どういうことかの?」


 と聞き返した。するとフォンは


「言葉通りです。左羽林軍将軍、蘇信重嚴そしんじゅうげん殿に。」


 とえらく自信満々で答えた。


「殿下の腕前をご存じの上でかな?」


 フォンの意図が汲み取れず太師は怪訝な顔で尋ねた。


「いいえ全く。ですが、将軍本人が出てくる確実な方法です。後は殿下に何とかしてもらいましょう。」


「殿下に出来ると? ただでさえ良うは思うとらんのだぞ?」


「亡き陛下と蘇将軍は気のおける仲であった。ならば、そこに糸口が必ずあるはず……。殿下は先帝に似ておいでですから。」


 アトはこれを聞いて不可思議に思った。殿下のお顔はどこからどう見ても、異国風で間違いなく母君似である。それを……似ている?

 しかし、


「………。似ている……。そうか―――。」


 太師は感慨深げに呟いた。

 太師には思い当たる節があるようである。


「えぇ……。威圧のかけ方がそっくりそのままですよ。」


 とフォンが言うと、太師は小さくため息をついた。


「遅かれ早かれ……どのような方法にせよ、羽林軍を配下に置かねばならない。しかし、どのようにそのいとまを作る気じゃ?」


「太后を人質に立て籠ります。」


 それを聞いてアトはギョッとした。


 たた太后を人質に!!???


「え………ほ本当に?」


 アトはつい話を割って尋ねた。


「えぇ。」


 フォンは真顔で答えた。

 太師は


「全く。子供の頃から生意気は変わっとらんわ。」


 とぼやいて文を書くべく机に向かった。



―――――――――――――――――――――――――――――――


※1:皇帝直属の軍。左・右に分かれており宮廷に詰めている。


※2:皇帝直属の軍。十二衛ある部隊


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