冬の鷹

 まず僕が見たのではない。冬の鷹は僕の夢の中にいた。

 今朝、8時に起きるところを12時に起きたせいで僕の一日は狂った。冬の鷹が夢の中にいたから。きれいな夢に見とれてしまったから。だからこんなに寝坊したんだ。そして僕の有史以来、過去から今まで続く腐った日々を、今朝の寝坊のせいにすることにした。

 12時は昼なんだ。朝じゃない。だからみかんだけ食べた。朝ごはんは無し。

 そういえば昨夜、父が勝ち誇った顔で「投票は国民の義務だ」と言っていたので、僕は投票に行くことにする。準備を済ませ自転車に乗る。

 駅に着く。まずは腹ごしらえ。朝ごはんは無しだけど、昼ご飯はある。昔よく行っていた中料理屋でランチセットを食べる。マーボー丼と野菜炒め。安くておいしい。でも厨房から漂う、冷えた豚の脂と下水のにおいが食欲を減退させた。ああ、気持ち悪い。

 14時の空に鷹はいるか? 残念ながらいない。

 すごくむかむかする。

 今までの僕の一日は唾棄すべき日々。昼ご飯を食べた後、空を仰ぎそう思った。僕は一日を無駄にしている。僕は23歳。人生を80歳だとしら今は6時だ。朝だけど、もう明星はみえない。そんな時節。何をする? だから僕は本を買おうと思った。

 投票所が入っている施設の中に書店もあった。僕は投票する前に本を買うことにした。でも目当ての本はない。いつもなら、どうでもいい時なら見つかるのに今日は見つからない。結局見つからなくてブローディガンなんか買ってしまった。なんでブローディガンなんて。

 僕は投票する。一番若者の未来を憂いているのは誰だろう。どこの政党だろう。わかってる。正答はない。正当もない。誰も彼もが羽交い絞めにされて、朝ごはんと昼ごはんの境目がない日々を送っている。

 投票所を出ると老人がわめいていた。「俺の顔をみろ」と係員のおじいさんにどなっていた。「ええ? そういう態度なのか」と怒り狂う老人。彼を見る。醜い皺。顔をしかめるときにできる皺。僕は怒気から離れてゆく。そのまま書店に入ってゆく。ふと視線を映した先に目当ての本があった。僕はその本を手に取る。ブローディガンと一緒に手に取る。そしてその隣にあった本に視線がいく。冬の鷹、という本だった。知らない人が書いた知らない物語だ。

「冬に鷹は舞わないんだぜ」

 と僕は言う。

「鷹は冬の風に当たるとぐるぐる目を回して墜ちていってしまうからだ。だから冬の鷹というのはそんなやつはいないという意味なんだよ」

「二点で1306円になります」

 レジのおばちゃんは笑顔でそう言った。わかってる。誰も心の中で言ったことなんて知らないしわかるはずもない。でも本当に知ってほしいことをわざわざ声に出して言える訳がない。

 投票所と書店を後にする。外に出る。15時の空に鷹はいない。だから僕は彼女の好きな音楽を聴いていた。僕もその音楽が好きだ。でもその隙間から別の音楽が流れてくる。こんな踏切と雑踏とスクランブル交差点だらけの駅前には似つかわしくない音楽。違うそれは歌声。

 書店へ続く階段を少し上がったところで、女学生達が讃美歌を歌っていた。嘘だろ、と僕は思った。だってこんなにきれいな光景を僕は夢の中でしか見たことない。女学生たちは白人だった。一人日本人がいる。外国の空気がそのまま歌声になってこの駅前に響いている。大きな声ではないけれど、きっとみんな聞いていたと思う。

 電車が通過する。僕は自転車を漕ぐ。

 16時の曇り空、鷹は舞わず。僕の自転車は夕暮れの中パンクする。この前パンクしたばかりなのにまたパンクする。仕方ないので押していくことにする。小学生たちが下校していた。あまりにも遅い歩みでいらいらしたので僕は小学生たちをはねてやろうかと思った。でもそんなことしたはねられるのは僕の首。10代で死刑になってみたかったな。首を垂れてギロチンにすぱっとやってもらう。不条理に。そしたらギロティーンだ。

 いつもなら通り過ぎる保育園。僕は昔そこに通っていた。少し立ち止まって園児を見る。遊具の周りをくるくる回って遊んでいる。眩暈なんておこさないんだろうな。みんな冬にとらわれていないから、寒さにあてられることもない。ぐるぐると墜ちていくこともない。幸せに回り続ける。

 17時の鷹はもういない。とっくに家に帰ってる。僕もそう、家に着いている。飼い犬が吠える。散歩に行ってほしんだ。いいだろう、付き合うよ。だから俺の話もちょっと聞いてくれ。どうでもいい曇り空の日に外に出るからこうなるんだよな。わかってるよ。

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