第27話:けんかはだめ

「………え…?」

 颯一そういちの言ったことが理解できず、思考が停止した。

「今…なんて?」

 目を閉じて黙り込む。

「どうしてなのっ!?せっかく颯一のこと本気で好きになり始めてるのにっ!!?」

 気がついたら袖を掴んで押したり引っ張ったりして揺さぶっていた。

「いつでも…彩音の心にはあいつがいる…。一緒にいる時も…どんな時でも…俺は、あいつに勝てない…それがよくわかった。これ以上一緒にいるのは…俺が辛いんだ…」

 欲しい物がどうしても手に入らない時にするような顔のまま、目をつぶってそう答えた。

「確かに前よりは俺を見てくれている。それはわかっている。けどそれじゃ…ダメなんだ…彩音の心は、もうあいつに奪われている…」

「そう…いち…いや…いやだよ……離れていかないで…」

 あたしの手を交互に掴まれ、袖から剥がされる。

 掴む手を離し、両腕ごとあたしをやさしく抱きしめた。

「部活はまだ続ける。けど、こんな関係は…終わりにしよう。さよなら…」

「やだ…やだよ…颯一…これで終わりなんて…いや…」

 あたしはポロポロと涙を流しながら、最後の抱擁を…ぬくもりを感じていた。


 木に登って背を枝に身を任せていた紘武は、胸くそ悪いものを感じながら目を閉じた。


 空が明るくなってきた。

 ベッドで膝を抱えて壁に背をもたれてたまま、朝を迎えた。

 昨夜は結局一睡もできなかった。

 幸い今日は日曜で学校は休みだけど、気分は重い。


 文化祭が終わっちゃったから、輝も辞めちゃう。

 部の存続を左右する存在である輝が…。

 颯一は続けると言ってくれたけど、それでも輝が辞めると知ったら、ほとんどが辞めちゃうだろうな。

 部長、あたし、颯一…元々いた一人の部員はどうするんだろう…。

 この数日で颯一との関係も、輝と輝を追いかけてきた部員を失うことになってしまった。

「どうして…こんなことに…」

 きっとバチが当たったんだ。

 あの時、颯一に確認しておけば、きっと今も颯一とうまくいってたはず。

 けど思い込みで颯一を傷つけたから、報いを受けてるんだ。


 この日は何もやる気が起きず、無為な時間を過ごしてしまった。


 登校日

 今日は文化祭の片付けで終わりだ。

 それで来週は早々に中間考査という、なかなか中身の濃い月。


 登校すると、すでに装飾された看板や門は撤去に入っていた。

 手芸部室へ足を運ぶと、になりさんがいた。

「おはよう、彩音さん」

「うん、おはよう」

「ん、どうしたの?なんか元気ないよ?」

 一瞬で元気のなさを見抜かれてしまい、心配されてしまった。

「お祭りが終わったからかも。来週はテストだし」

 本当のことを知られたくないから、ごまかすことにした。

「そっか、夏休み終わってすぐにずっとあんな調子だったしね」


 ほどなく部長も来た。

「部長…」

 あたしは声を小さくして話しかける。

「何?彩音さん」

「輝の退部…みんなに言ったほうがいいかな…?」

「言う必要は無いと思うわ。本人に挨拶させる」

 その本人はまだ来ない。


 昼が過ぎ、片付けはほとんど終わった。

「で、挨拶させるって…本人が来ないみたいだけど?まさかもう退部したつもりでいるんじゃ…?」

 あたしは部長と話をしているけど、来てない部員もちらほらいる。

「あの人は、そこまで不義理な人ではないと思うわ。少なくとも部活はしっかりやってくれた」

 部長は目を逸らして言った。

「ごめん、遅くなりました」

「何してたの?こっちはもうほぼ終わってるわよ」

「クラスの出し物を片付けなくちゃならなくて、そっちに行ってたの」

 ほどなく颯一も来たけど

「すまん、クラスの片付けを手伝ってた」

 と一言交わしただけだった。

 別れた相手には、こうして距離を取られたままでいるのかな…。

 せっかく好きになり始めた矢先の出来事。

 目も合わせてくれないその変わりように、あたしはやり場のない思いを抱えて一人で寂しい気持ちを心の奥に閉じ込めた。

 輝もクラスの片付けをしてるのかな?


 時計は2時を回った。

 部室では、ささやかながら打ち上げを初めている。

 机にポテチやお煎餅、チョコパイやロールケーキなどが並んで、それぞれに歓談していた。


「すまない、遅くなった」

 やっと輝が来たけど、時計は三時を示していた。

 部長が輝の元へ行き

「何やってたの?副部長」

「クラスの出し物を片付けてる時に一枚ガラス割っちゃって、その場にいる全員がお説教タイムだった」

 はぁ

 そういうことだったの。

 あたしは脇でそのやり取りを聞いていた。


 輝は教壇に立つ

「みんな、歓談中すまない」

 ワイワイしてたみんなが立ち止まり、手を止めて注目する。

 …言うんだ…退部のこと…。


 こわい


 それを聞いたみんなが一斉に退部届を出す光景が目に浮かぶ。

、僕は今日で手芸部を退部する。僕が入ってすぐ、副部長に指名を受けてみんなを引っ張ってきた。正直あまりいい指導者ではなかったと思う。けどみんながこらえてくれたおかげで、全校の衣装制作という過去最大の成果を残すことができた。僕がいなくなってもみんなの力を合わせてこの手芸部を盛り上げていってほしい」

 部室にけたたましいほどの拍手が巻き起こる。

 これで部員が何人残るのか…。

 輝は、みんなも知ってのとおり……………って言ってなかった?

 え?

「みんな、退部のこと知ってたのっ!?」

 前にいたあたしは部室へ向き直って叫んだ。

「文化祭の時に一人ひとり言って回った」

「………みんなは…辞めないの?」

 部員同士で顔を見合わせて

「確かにきつかったけど、結構楽しかったし、帰宅部もなんかね」

「そうそう、手芸部ってなんか女子力上がりそうだし」

「みんな…」

 あたしはジーンとして、思わず涙が浮かんできた。

「感動してるところわるいけど副部長、あなたの退部条件は覚えてる?」

「ああ、文化祭が終わったらだ」

 そう、もう文化祭は終わってしまった。

 輝を引き止めることはもうできない。あたしの声も、もう届かない。

「というわけで…」

 部長はおもむろに紙を出して、輝に突きつける。

「まだ終わってないわよ。後始末が」

 突きつけられた紙を見て、わずかに目を見開く。

「忘れてないわよね?文化祭前日の夜のこと」

 そうか、白いカーテンだ。

 あれは文化祭が終わったら元に戻すって約束したんだ。

「この条件を満たすカーテンの制作があるわよ。あなたも監督したんだから、しっかり最後までやってもらうわ。よって退部は今日じゃない。これが終わってからよ」

 でも…それが終わったら輝は本当に退部しちゃうんだ…。

「今日はだいぶ時間が押してるから、今日は買い出しだけ。あと、中間考査があるから、明日から試験終了までは部活も無いわ。よってあなたの退部は最短でも試験終了の翌日以後よ。それで彩音さん、あなたも一緒に買い出しへ行って。こっちはそろそろお開きにするから、そのまま帰っていいわ」

「…はい」


 学校を後にして、いつもの繊維街へ材料の調達をしにいった。

 来るまで結構時間がかかってしまい、もうすぐ四時になろうとしている。


「え?足りない?」

「ごめんなさいね、残りが少なくて、その大きさの生地は用意できないの」

 繊維街に着いたけど、さっそく問題が発生した。

 白い厚手の布を扱ってるお店があっても、生地の残りが少なくて買うことができない事態に遭遇したこと。

「まいったなぁ…あてにしてたお店が在庫不足なんて…こうなったらありそうなお店をしらみつぶしにあたるしかないか」

 あたしは輝に着いていってるばかりで、これならあたしがいる必要がないじゃない…。

 言ったとおり、輝は開いてるお店に次々と入る。

「あー、その生地は取り扱いが無いなぁ」

「在庫はしてなくて、今あるだけなのよ」

「取り寄せならできるけど、どうしますか?」


 はぁ…


 輝はため息をついて

「全滅かよ…」

 もはや手当り次第にお店へ入っていったけど、どこも寸足らずで在庫はしてないということだった。

「待てよ…全部一巻きである必要は無いよな…カーテンとして一度裁断する必要があるから、一枚だけでも完成する長さで複数集めれば…」

 そう独り言を口にして、最初に行ったお店へ向かう。


「こう来たか…」

 最初に来たお店はすでにシャッターが降りていた。

 ここは基本的に問屋街だから、日曜はほとんどやってないし閉店も早い。

「あーくそっ!」

 見ると周りのお店も次々にシャッターが降りて、開いてるお店は劇的に少なくなっていた。

 あたりは暗くなり、明かりの点いてる建物もまばらになっていた。

「もう選んでいられないか」

 焦りを含んだ声を上げ、まだ開いてるところに入っていく。


 こうしてまた何度か空振りして、シャッター街状態になった通りを二人で歩く。

「今日はもう諦めるしか無いか…」

 輝が駅へ向かおうとしたその時


「あっ」


 あたしはあることに気づいて、駆け出す。

「おい、どこ行くんだ?」

 輝が後をついてくる。

 そこの角を曲がってすぐのところに、やっぱりあった。

 お店の人がシャッターを閉めようとしていた姿を見て

「ちょっとまってくださいっ!」

 このお店はまだ来てなかった。

 あたりが暗くなって、通りの角から漏れている光に気づいた。まさかと思っていたら…。

「これと同じ生地ってありませんか?」

 服を作る時に出た端切れを取り出して、お店の人に見せる。

「あぁ、それならこれだよ」

 シャッターを閉めようとした矢先のことだったからか、少々不機嫌な顔をしたお店の人だったけど、指差した先にあったのは…。

 袋に入ったままで開封さえされてなさそうな白い布のロールだった。

「あった…」

 お店の人は、あたしが入るとシャッターを半分閉めてから入ってくる。

「これって何メートルありますか?」

「まだ切ってないから100」

 輝がシャッターをくぐって入ってきた。

「おにいさん、もう閉店だよ」

 ぶっきらぼうに言われるも

「あたしの連れです」

 と説明した。


「よかったぁ…」

 かなり不機嫌な様子だったけど、滑り込みで必要な量を切ってもらえた。

 これで無駄足にならなくて済んだ。

 明日から試験期間で部活は無いからいつでも来られたけど、それでも授業はしっかりある。

 交通費も出るけど、無駄足はさすがに気が引ける。

 買った布は輝が持っていた。

「これは部室に置いておくか」

 誰に言ったのかわからない言い方で、帰路につく。

 輝は「ついてこい」とも「帰れ」とも言わない。

 まだ、輝はあたしが颯一と付き合ってるって思ってるんだよね…。

 だからあたしたちの邪魔をするまいと冷たい態度を取っている。

 せめて…別れたことだけは言わないと…。

 これじゃいつまで経っても何も変わらない。

 せっかく輝の近くに居られるタイムリミットが試験終了まで延びたんだから、その間にせめて誤解だけは解いておきたい。

 電車に揺られ、向こうはすっかり真っ暗になった窓ガラスに、あたしと輝の姿が映し出される。

 体の距離はこんなにも近いのに、心の距離は果てしなく遠い。

 颯一ともこういう距離を置かれるのかな…。


 学校に戻ってきてもまだ、一言も会話してない。

「あの…輝…」

 振り向くけど、輝は喋ろうとしない。

「あたしね…一昨日、颯一と別れたの…」

「そうか」

 一言だけ返して、前に向き直って歩いている。

 分かってた…。

 これで誤解は解いた。

 けど心の距離は変わらない。


「てめぇ大概にしろや」

 いつの間にか、後ろに紘武がいた。

 足を止めるあたしたち。

「紘武…」

 ザクザクと砂利場の砂利を踏み鳴らして、横を通り過ぎて目の前に立ちはだかる。

「お前には関係のないことだ。口を出すな」

「もー見てらンねーンだよっ!悪ぃが口出させてもらうぜ!」

 ガラの悪い喋り方をする紘武だけど、多分いつも輝のことを第一に考えている。

「てめぇのホレた女くれー、てめぇでしっかり向き合えつってンだよっ!いつまでも過去に縛られて藻掻もがいてる姿を見せられる身にもなってみやがれっ!!」

 気になってたけど、紘武って輝の幼馴染なんだよね…。

 昔、何かあったはずだけど、それについては一切何も話してくれない。

 けど確かに感じるこの固い絆は…。

「これ以上突っかかるなら僕にも考えがある…」

 冷たい口調で輝が牽制する。

 一触即発とさえ思える状態に、あたしはただおろおろするだけだった。

「あーちょーどいーぜ。俺と絶交でも殴り合いでもなンでもしやがれっ!!だが今度ばかりぁ我慢なンねー!てめぇの過去話を他言すンのは俺自身も禁忌タブーにしてきたつもりだが、そいつがてめぇと向き合えるよーに洗いざらい喋ってやンよっ!その上でどーすっか決めやがれっ!!」

 紘武が続きを言おうとしたその瞬間…輝は紘武の胸ぐらを掴んだ。

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