まがいものの青春を作って遊び、特に深く考えずそれなりに満足して寝ようと思った

 長い。とにかく、もう、本当に、単純に、純粋に、長い。


(テキストが……長い……)


 2020年秋。

 彼こと蒔田修一は、自宅でスマホとにらみ合って大きなため息をついていた。

 世界が感染症の炎に包まれてしまった関係で原則自宅勤務になってはいるものの、それで仕事が減ってくれるわけではない。

 今の彼は彼本来の管理業務と開発業務にプラスして、自社の乙女ゲー系ソシャゲの新章の動作チェック要員にまでり出されていた。


 ……つまり、大真面目に乙女ゲーをやっている。


 公序良俗こうじょりょうぞくや法律に抵触してない内容になっているかどうかのチェックまで頼まれているからだ。


(……会話に一区切りがつくのが、長い……ッ!

 こんな長台詞のやりとりが出来る人間が現実にいるわけないだろ……!)


 と、シナリオライターに対して失礼すぎることを考えながら、彼は乙女ゲーをやっている。



 ──乙女ゲーの文章は、セリフも地の文もムチャクチャに長いことが多い。


 ヒロインとイケメンがお互いのことを好きになった理由。


 ヒロインとイケメンがお互いのことを好きでい続ける理由。


 ヒロインとイケメンの心がすれ違ってしまった理由。


 そのすれ違いに気づくことができた理由……。


 ……そんな恋にまつわる神羅万象しんらばんしょうを、理詰りづめで何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでも説明しているものだから、文章全体が妙に長ったらしくなってしまっているのだ。


 たぶん、架空かくうの恋や架空のイケメンの存在に説得力をもたせるために、作り手が説明の足し算をやりすぎてしまった結果なのだろう……と、彼は勝手に推測している。



(文章を読むのに疲れた……こんな仕事、絶対俺には向いてない……)


 彼はもう何度目かもわからないため息をつく。

 ため息をついたのにあくびまで出そうになってしまっていた。


 ──最近は『乙女ゲーは売れなくなっているしジャンル自体が消滅する危機にある』と言われている。

 だが、幸運なことに彼の帰属きぞくする小さな会社が開発している乙女ゲー系ソシャゲは何とかそこそこ安定した収益しゅうえきを得ることが出来ていた。

 ここ一年で他社が手掛ける女性向け魔法学園系ソシャゲが大型覇権おおがたはけんコンテンツと化して、似たような方向性の作品を作っている彼の会社もひっぱり上げられている状態なのだ。

 リリースから数年経っているのに新章を配信することが出来たのもそのおかげである。

 富豪暮らしとまでは絶対にいかないが、なんとかいつも通りの生活することが出来ていた。


 業界によっては丸ごと存亡の危機にさらされて、ネズミーランドでさえもスタッフを減らしている時代である。

 そんな大変なご時世に、お仕事をさせて頂けるだけありがたいと思わねばならない……。


 ……と、彼も頭では分かっている。頭では。



(もうなにもかも嫌だ……俺は疲れたサラリーマン用のオタクに都合が良すぎる恋愛漫画しか読みたくない人種だってのに……)


 と、彼が自分の癒しを思い出しながらメソメソしていると、スマホにメッセージの着信通知が入ってきた。


(夕からか)


 都会の急性期病院という超激務の職場に勤める彼の恋人は、いつも定時きっかりに帰ることが出来るわけではない。

 時計を見れば夜の九時……彼は小さく息を吐いた。


(いつも通りといえばいつも通りの時間か)


 チャットアプリの文面を見れば、どうやら彼女は今から帰るところで、明日も朝から仕事だけれども、彼の家に泊っていきたいとのことだった。


 ……彼女と付き合いはじめてもうずいぶん経つ。

 当たり前のように一緒に過ごす時間もずいぶん増えた。

 七歳も歳が離れているにも関わらず、服を買い与えられたりメイクアップさせられたりしているのは、彼女ではなく主に彼の方だった。

 少女漫画や乙女ゲーでは立場が逆だろうに……。


(……う。また乙女ゲーのことを考えてしまった。いったん仕事は切り上げるか……)


 大嫌いな長文の読み過ぎで、何もかも乙女ゲーに結び付ける状態異常にかかってしまっている。

 流石さすがに脳が限界だった。

 彼は元々小説を読むのが大嫌いな不良高出身の元チンピラで、頑張って勉強して入った大学の教授からは、


「……君のレポートを読んだんだけど……その、本って読んだことある?

 文章を読み慣れていないと長い文章を書くことは難しいと思うんだ。

 まずは子ども向けのライトノベル……いや、絵本でいいからさ、読んでみて……」


 などとはげまされていた悲しいエピソードを持つレベルの文章嫌いなのだ。

 そんな自分にしては大健闘だいけんとうしたじゃないか。今日はもう閉店だ。

 ……といった内容のことを無理やり自分に言い聞かせながら、彼はスマホでチャットアプリを開き、彼女のメッセージに返信をすると、すぐにベッドの上に倒れ込んだ。




 ☆




 さて、彼女が合いカギを使って彼の家にお邪魔した時には、彼はベッドの上でうつぶせにぐったりしている所だった。


「えっ、死!? 蒔田さん死んでます!?」

「……生きてる」

「良かった。……ええとじゃあ、その、先にお風呂先入りますね……?」


 と、彼女は感染症対策のために軽くサッとシャワーを浴びに行ったかと思うと、しばらくして大型ビッグTシャツにショートパンツという格好で出てきた。

 彼の方はといえば、彼女が近づいてきていることは分かっているだろうに、うつぶせの顔を上げる気配さえない。


「その、蒔田さん……大丈夫ですか……?」

「……決して大丈夫とはいえない」


 といいながら、彼はごろんとあおむけになる。


「顔色が悪そうですね。メンズリップ塗ります?」

「そんな元気はない」

「でしょうねえ。それじゃあ、先にご飯食べましょうか。途中のスーパーで色々買ってきたんですよ」

「あー、それは助かる……ってうわっ、本気の買い物だ」


 ベッドから起きた蒔田は、パンパンにふくらんでいる買い物袋を見て目を見張った。

 中身を見ると弁当や惣菜そうざい以外のものも入っている。

 彼は目を丸くしたままベッドから降りて、食事用の机の上に置かれた買い物袋をあさり出した。


「これは……駄菓子……?」

「駄菓子です。菓子パ用の」

「カシパ……??」


 と、彼は外国語を聞いたような反応をする。

 彼女はそれにうなずきながら、


「お菓子パーティーの略語ですよ。

 あれ、蒔田さんひょっとして菓子パって言葉自体を知りませんか?」

「……あまり詳しくないが、名前からしてどういうもよおしなのか大体想像は出来るな。

 どう考えても菓子を食べまくるパーティーのことだろ?」

「ですです。十代の子がよくやる遊びなんですよ。

 みんなでお菓子を買って持ち寄って、誰かの家に集まって食べるんですって。

 ひょっとしたら、蒔田さんの世代ではあまり一般的ではなかったのかもしれませんけど」

「……家に菓子を持ち寄る行動自体は昔からあったと思うし小中時代にはやった記憶があるが……菓子パって名前は俺の住んでる地域にはなかったなあ」


 蒔田はそんなことを言いながら菓子と惣菜弁当を机に並べる。

 彼女も鼻歌交じりでそれに加わった。


「スーパーでお菓子を見ていたら、ちょっとやってみたくなったんです。

 私、菓子パって名前を知っているだけで、実際にはやったことがなかったんですよねえ。

 高校時代は介護で外に出られなかったし、大学時代はそんな子どもっぽいことやりたがるは人だれもいなかったしで……」


 と言って、ふと買い物袋の中身を出す手を止める。


「……だから、一回くらいやってみたくて。仕事でムシャクシャしていたのでいっぱい買っちゃいました。

 本当はこんな子供っぽいこと、恋人同士でやることじゃないのかもしれないけれど……」

「いいんじゃないか?

 不良校の人権がなかったド陰キャとヤングケアラー的な事情で高校生らしいことがなにひとつできなかった人間の組み合わせなんだ。高校時代に取りこぼしたことを片っ端から全部やったってバチは当たらんだろうさ」



 なんてことを言いながら彼は肩をすくめる。

 彼の言葉に、彼女は驚いた風に目を見張った。


「ん? なんだ?」

「……蒔田さんって、本読むの嫌いだって言うワリに難しい言葉をいっぱい知ってるなあって思って。

『ヤングケアラー』なんて、普通の人は知らない言葉じゃないですか?」

「ニュース記事で読んだ。あと、俺は興味もない小説を読むのは大嫌いだが、説明書を読んだり知らない単語をこつこつ覚えたりするのとかは嫌いじゃないぞ」

「へー」


 そんな話をしながらも、二人の興味はすぐに机の上の菓子にと弁当惣菜の山にうつった。

 彼女が楽しそうに様々な菓子のパッケージを検分けんぶんしている中、蒔田はそっと総菜パックの山の中にあった野菜バーを手に取ってかじり始める。


 ──彼女の遊びにも付き合ってやりたいが、約三十歳にもなっていきなりお菓子ばかり食べると体がビックリしそうで怖い……そんな繊細な心情が出た結果のチョイスである。

 彼女の方も心得たもので、彼の行動に触れたりはしない。

 現実は乙女ゲームではないので、自分たちの行動の理由や心情をいちいち説明する必要もなかった。


「──なるほど。こういうのって、お菓子はちょっと入ってるだけなんですね」


 彼女は食玩の箱からミニチュアの薬局ごっこセットを取り出しながら首をかしげる。

 彼はキュウリをガジガジかじりながら、


「だな。食玩の菓子なんてオマケみたいなもんだぞ。メインはこの玩具部分だ。……知らなかったのか?」

「知りませんでした。うち、こういうお菓子ってあまり買わない家だったんですよ。

 おばあちゃんの方針で白砂糖を使ってるお菓子は買えなくて。

 お菓子を買うようになったのは一人暮らしを始めてからなんですけど、最初は買うのも怖かったですよ。罪滅ぼしに野菜なんかも買わないと落ち着かなくって……あ、今日のお惣菜は純粋に蒔田さんの為に買ったやつですけどね」

「なるほど」


 彼は苦笑交じりにうなずいた。

 ──人によっては「ええー嘘でしょ」だとか「そんな家って本当にあるの?」と言って目を丸くする場面だったのかもしれない。

 しかし、人によって『普通』の基準も、『普通のこと』として知っている知識も大きく違うし、本人が『普通』だと思い込んでいる部分をまっこうから「異常だ」と否定されれば誰だって傷つく。それこそいちいち自分の事情を説明する気なんてなくなるくらいに。

 そのことを、不良校と大学&社会人生活のギャップを通じて知っている彼は、個々の家庭の事情に深く踏み込むこの話題についてそれ以上何か言うことは無かった。


 出会ったころにはほとんど自分の話をしなかった彼女が昔の話を沢山するようになったのは、きっと自分を信頼してくれるようになったからなのかもしれない。

 そうであってくれれば嬉しい……と、彼は思う。


「……この虹色の綿菓子は初めて見るな。今の綿菓子ってこんな風になっていたのか」

「これはイ〇スタで今流行ってますよー。

 この虹色の綿菓子をカクテルに入れたり青空の下で撮ったりして楽しむんです。『映え』って感じがして楽しいしょう?

 あとこれ! これも面白くないですか? 可愛い動物型の箱のお尻部分からチョコが出てくる駄菓子ですよ!」

「最悪なやつだな! 排泄物はいせつぶつネタって現代の子どもにとっても鉄板ネタなのか……。

 ていうか、ここに転がっているこれは……ひょっとして業務用カタヌキか?

 こんなものがよく売ってたな。これ、君は知らないのかもしれないが食べて楽しむものじゃないぞ?

 ガキが縁日えんにちで金目当てに遊ぶだけのものであって、味はむしろ最悪のたぐいだぞ?」

「ええーっ!? 名前だけは何度か聞いたことあったからてっきり美味しいやつなのかと思ってました……!」


 彼女の反応に彼は思わず笑ってしまう。

 駄菓子に詳しくない彼女が選んだ菓子は美味しいやつもマズいやつもごちゃごちゃに混ざったラインナップになっていた。


(見たことがある菓子と全然見たことがない菓子があるな……)


 彼は懐かしい気持ちと新鮮な気持ちが混ざった不思議な気持ちになりながら、菓子の封を開けていく。

 札束を模したパッケージの菓子、定番のミニラーメンやちっちゃいプリン、口に入れるとパチパチするアメ、玉出しガム、ネオン色のゼリー、「う〇ち」と名付けておけば子どもは大体喜ぶだろうというヤケクソなコンセプトで作られたっぽいグミなどなどなど……机の上はひど有様ありさまになっていた。


「よしっ、ここにあるお菓子を全部使って最強のイ〇スタ映え駄菓子写真を撮りましょう! まずう〇ちっぽいやつは除外して……」

「除外するのに何で買ったんだよ」

「こんなものもあるんだーって思ったら楽しくなっちゃってつい……」


 なんて話をしながらも、しばらく二人してああだこうだと言いながらインス〇映えを追及していたが、やがて何もかもどうでもよくなって、虹色の綿菓子の上に粉々に失敗したカタヌキをばらまいたりおつまみの鮭とばを刺したりウ〇チのグミを埋め込んだりしはじめた。

 ……もしここにまっとうな大人がいれば「コラッ! そんなくだらないことは今すぐやめろ!」と絶対に止める場面だが、幸か不幸か今ここにまっとうな大人はいない。

 そのうえ、二人とも仕事で疲れていることもあって、段々深夜テンションで何をやっても笑えてしまう状態になってくる。

 いつのまにか机の上にはこの世に二つとない謎のモニュメントが出来上がっていた。


「こんなことしたの、初めてです」


 と、彼女は頬を赤くして笑い、


「こんな最低なことは普通外じゃやらないだろうなあ」


 と、彼も笑うしかなかった。

 時計を見ると、もう深夜の入り口に差し掛かっている。


「……そろそろ片づけるぞ。

 この『映え』に失敗したやつは……もったいないから俺が全部食べるか」

「ええーっ、蒔田さんの健康が危ないですよ。

 憂さ晴らしに付き合ってもらって後片付けまで任せっきりになるなんて申し訳なさ過ぎていけません。私も食べます!」

「すぐに腹いっぱいになるやつに言われてもなあ」


 大人ならではの手早さで狂ったうたげ残骸ざんがいを片付け、冷蔵庫やゴミ箱などに放り込み、二人で急かし合っているからこその素早さで歯を磨く。

 ──十代らしい青春の思い出が欠落している彼と彼女は、今日のようにいきなり思い付きでうろ覚えの『十代らしいイベント』のまねごとにチャレンジする一方で、ふと我に返ったように物わかりのいい大人に戻っていく。

 そのありようは間違いなく普通ではないし、いびつでもあるだろう。


 世の中にいびつでない人間はひとりとしていないし、そして、そのいびつさは人によってまったく違うのが世の常だ。

 ……しかし、そのいびつさの形と種類がほんの少しだけ似ているということは、きっと彼と彼女にとっては幸運なことなのかもしれなかった。

 なにしろ彼は長いセリフを使って自分の気持ちを上手く伝えることが苦手だし、それは思い付きや勢いで突拍子もないイベントを企画しがちな彼女にしたって同じことだからだ。


 洗面所で口をゆすいで、明かりを消して、ベッドに入り込むと当然のように彼女が隣に入り込んできた。

 彼はそんな彼女を当然のように抱き寄せて、服の中に手を入れながら押し倒す。


 ……もしここにまっとうな大人がいれば「コラッ! 明日も仕事で早いというのに一体何をしているんだ!」と絶対に止める場面だが、幸か不幸か今ここにまっとうな大人はいない。


 ── ほんの一瞬、大した前置きもなしに恋人同士のあれそれをしようとしたら、彼女に嫌われてしまうのではないか……という考えが彼の頭をよぎる。

 乙女ゲーの男女はあんなに長い長い会話のやりとりをしているのだから、自分だって長い説明もなしにそういうことをしようとしたら、彼女の機嫌を損ねてしまうのではないか……と。


(……いや、俺の考えすぎか? それともここはやっぱり何か長い話をしたほうがいいタイミングなのか?

 さっきまでやっていた乙女ゲーを参考にすれば……いや、駄目だ。何も思い出せん。

 アイツらが何をあんなに長々と話していたのか完全に忘れてしまった……クソッ、もっとまじめに乙女ゲーをやっていればこんなことには……!)


 ……と、彼は彼女を押し倒したままえんえんと考え込んでしまう。

 窓からかすかに入り込む夜景のほかに光源のない部屋の中、彼女はそんな彼を見上げる。

 そして何を思ったのか、彼女は小さく笑ったかと思うと、彼の頭をぐいっと引き寄せて唇をふさいで、彼の体に足をからめるのだった。

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