第5話「頑張りすぎ」






   5話「頑張りすぎ」




 温泉旅行から、千春の生活は変わった。



 朝は、秋文と一緒に早い時間に起きるようになった。彼が、自主トレをしている間に、朝食やお弁当を作ることにしたのだ。

 お弁当は作らなくてもいいと言われていたけれど、食生活を見直したくて、千春から「作りたい。」と、秋文にお願いしたのだ。


 そして、食事の見直しをしようと、空いている時間はスポーツ選手の食事を調べては、作ってみて彼に相談した。

 今までも気にはしており、彼からの要望も聞くて作ってはいたけれど、まだまだだったのだと調べていくうちに千春は実感し始めていた。




 そして、仕事のスタイルも変えようと、千春は上司に相談した。上司にだけは、千春がサッカー選手の「一色秋文」と結婚したと伝えてあった。

 そのため、あっさりと「辞めないので働いてくれるのであれば、応援する。」と言って貰えたのだ。千春は会社の対応や上司の優しさに感謝をして、なるべくは同じぐらいの仕事をこなせればいいなと思ってしまう。


 今抱えている仕事を終わらせたら、千春は自宅で出来る小さな仕事のみを貰うようにお願いした。そうすれば、家事も出来るし彼の応援にも行きやすいと考えたのだ。


 通勤生活が終わるまではまだかかりそうだけれど、少しずつ秋文のために動いていけるのが、嬉しかった。




 

 「……千春、張り切りすぎじゃないか?」

 


 少し怪訝そうに秋文に言われたのは、そんな生活が1ヶ月続いた時だった。

 自分では生活が変わり、新鮮で充実していた。今は試合がない時期なので、彼の応援に行く事はないけれど、それでも秋文の生活を支えていることが幸せで仕方がなかった。



 「そんな事ないよ。私がやりたいからやってるだけだし。……無理もしてないよ。」

 「そうか?なら、どうして今日は雨だって千春が自分で言ってたのに、外に洗濯物干してたんだ?」

 「あっ………!!大変っ!」

 「もう取り込んである。」



 焦ってベランダに行こうとするれけど、秋文は落ち着いた口調でそう言って、千春を止めた。


 「……ごめんなさい。すっかり忘れてて………。」

 「それだけじゃない。ボーッとしてることも多くなってきただろ?」

 「それは……。」



 秋文の指摘は、千春も感じていた事だったのでドキリとしてしまう。


 確かに彼がいう通り、仕事をしたり家事をしている時にボーッとしてしまい、ミスが多くなってきていた。

 きっと新しい生活スタイルになり、不慣れな事が増えているからだと思っていた。

 けれど、彼がそこまで心配しているのだから、もしかしたら疲れすぎていたのかもしれない。



 「俺はおまえに倒れられるのが心配だよ。そっちの方が怖くてサッカーに集中出来ない。」

 「………ごめんなさい。自分でも気づいてなかったのかもしれない……。夢中になりすぎてたかな。」

 「俺のために頑張ってくれるのは嬉しいし、そんな千春を見てると頑張ろって思えるんだ……でも、やりすぎはよくない。」

 「……はい。」



 秋文はいつも正直な気持ちを伝えてくれる。

 だからこそ、彼の言葉は安心できる。


 そして、自分の事をよく見てくれているのも、千春にはわかっている。だから、彼に言葉を素直に受け入れられるのだ。


 

 いつもはそれで終わっていたのに、今は違っていた。何故か焦ってしまっていた。

 けれどそれさえも見越していたのか、秋文は千春の手を掴んだ。



 「秋文?」

 「今日はもうおしまい。寝るぞ。」

 「え!?でも、明日の朝の仕込みとか、洗濯物も畳まなきゃいけないし。」

 「そんなの明日でいい。それに、明日の朝食なんて食えればいいよ。1日違うもの食べたからって、違わないんだ。」

 「そんな……。」


 

 リビングで、これからの献立をいろいろ考えていた千春は、秋文に手を引かれるままに、ずるずると寝室へと運ばれてしまった。 



 「まだ22時だよ?」

 「ダメだ。俺から逃げたら怒るからな。」



 秋文はそういうと、千春を抱き上げてベットに横にして寝かせた。

 そして、部屋の電気を消すと、自分もベットに入り、逃がさないと言わんばかりに、正面からギュッと千春を抱きしめたのだ。



 「とりあえず、今日は休め。……千春、お願いだ。」

 「…………わかった。ありがとう、秋文。」



 彼の切な言葉を聞いてしまうと、千春はもう断ることは出来なかった。


 秋文にそんなにも心配させてしまった。


 そう、反省し彼の胸に顔を寄せて目を閉じながらも、「明日は少し早く起きて……準備しないと。」という事ばかり頭で考えていた。






 そんな事を続けながら、千春はサッカーの試合がオフの間も、働き続けていた。

 そして、仕事の引き継ぎを終えて、自宅への仕事がスタートする直前には、千春はヘトヘトになってしまっていた。


 けれど、秋文の前や仕事中は気が抜けず、いつも笑顔で過ごすようにしていた。秋文も地方での合同合宿や日本代表の練習で忙しくしており、千春の助けを必要とする事が増えてきていた。

 特に、来年度は日本代表のキャプテンにもなった秋文は、練習だけではなくメディアにも出演するなど大忙しだった。


 彼が多忙になれば、千春も多忙になるのだ。

それでも、秋文がイキイキとサッカーをしていたり、サッカーの話しをしたりするのを見ていると、千春は頑張ろうと思えるのだった。





 そんなある日だった。  



 「今日は少し体が重いな……。」



 会社での仕事があと1日となったこの日は、手土産などを持って会社に朝早くから来ていた。


 しかし、どうも体調が悪かった。

 最後の日なのだからと、気合いで職場に来たものの、千春は自分のデスクに着くと、椅子に座りテーブルに顔をつけてぐったりとしてしまった。

 職場にくるだけで、疲労してしまったのだ。



 「ダメだ………そろそろみんな来るんだから、シャキッとしないと。」



 自分では、大きな声を出したつもりだった。けれども、実際は呟くような小さな声しか出ていなかった。


 立ち上がろうとした瞬間……ふらりと世界が揺れ、そして視界が真っ暗になった。

 「あぁ、倒れちゃう………。」そんな風に思ったのは一瞬で、倒れる前に千春は、ぐったりと意識を失ってしまった。


 その時に思い浮かんだのは、秋文の顔だった。



 「また心配かけちゃう…………。」


 千春の両目には涙が溜まっていた。







 

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