第18話 Cafe

黒目川のほとりに昭和レトロな洋館が佇んでいる。その洋館『喫茶ナタリー』のカウンターで幸太は白いシャツ、黒のパンツという姿でコーヒーカップを洗っていた。


「幸太、大丈夫か?」

「うん、大丈夫だよ。おじいちゃん。」


夏休み、幸太は祖父の喫茶店でアルバイトをしていた。ペップのパーツやポタリングに向いたウェア、バッグなど欲しいものはたくさんあるのだが、高校生の小遣いではどうにもならない。たまにはポタリングで美戸と外食もしたいし、お茶もしたい。お金はほしいが、病弱な幸太をバイトで雇ってくれるところなどないし、幸太も自信がなかった。そんな折、祖父に喫茶店の手伝いをしてくれないか?と言われて飛び付いたのであった。


祖父としては、普段あまり話す機会のない幸太とゆっくり話すことができるし、小遣いをやる口実になる。何より幸太が喫茶店の経営に興味を持ってくれれば、という思いがあった。祖父がこの店を始めてからもう40年近く経つ。心血を注いだこの店を幸太が継いでくれたら、という密かな願望があった。


幸い、店の土地も建物も自己所有でローンや家賃はない。今、喫茶店を開業し、食べていくのは大変だが、昔はそこそこお客が入ってくれれば喫茶店は儲かる商売だったのである。常連客もついているし、病弱な幸太でも無理をしないで続けられるだろう。せめて自分が生きているうちに、この店がなくなるのを見たくはなかった。自分がいなくなった後はもう仕方ない。いよいよとなれば店を貸すなり売ってしまえば良いのである。


病弱な幸太にカフェインは良くないということで、幸太はほとんどコーヒーを飲まない。故にあまりコーヒーには興味がないようである。まあ、急いては事を仕損じる。少しずつ興味が出るよう仕向けていこう。祖父は策を巡らすのであった。


とりあえず、ずっと立ち仕事はできない幸太にロングスツールに座らせながら、洗い物などをさせている。


そんな、ある日。幸太が体調が悪いと言って休憩に入っている時に高校生らしき女の子が店に来た。店のお客さんはほとんど近所の主婦とかお年寄りばかりなので、祖父は意外に思った。幸太の友だちかな? と思ったが、違っているといけないので黙っていた。一時間ほど店にいたが会計をして帰って行った。


もうしばらくすると、幸太が青白い顔で戻って来た。幸太にこんな女の子が来たと話すと心当たりがあるようだった。


数日後、また彼女がやって来た。


「この前は挨拶もせず、すみませんでした。佐藤くんと同じポタリング部の田中美戸です。よろしくお願いします。」


彼女はぺこりと頭を下げた。美戸は幸太の仕事の邪魔にならないよう、時折幸太に話しかける以外は文庫本を読んでいたり、スマホを眺めている。きちんとした娘さんだと祖父は美戸に好感を持った。


一時間ほどいると、祖父に会計をお願いしますと声をかけた。


「田中先輩から代金は取れないです。僕が奢ります。」幸太が口を挟んだ。


幸太がそういう男の見栄を持つようになったのか? 祖父としては嬉しかったが、美戸はちょっと困った顔をした。ここは幸太の祖父の店なのだ。祖父の前で毎回毎回幸太に奢らせる訳にはいかない。第一それでは美戸が気軽に来れなくなってしまう。


「じゃあ、今度から私のコーヒーは佐藤くんが淹れてくれる?」


幸太の奢りとは言え、幸太が淹れたコーヒーなら商品のレベルではないから、試飲みたいなものだ。それなら、角が立たないだろう。賢い娘さんだと、祖父は感心した。


美戸にまずいコーヒーを飲ませる訳には行かない。幸太は祖父の手の空いている時に、コーヒーの淹れ方を熱心に教わるようになった。夏休みが終わる頃には、お客に出すコーヒーをドリップできるようになった。最もコーヒーの奥は深い。まだまだ覚えることはたくさんある。そのうち幸太は喫茶店の経営についても興味を持つようになった。


幸太は夏休みが終わっても、土曜日は祖父の喫茶店のアルバイトを続けた。自分でもできることがある。それで喜んでくれる人がいる。まだ幸太自身も気付いていないが、幸太は自分の進路を見つけたのだった。

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