第7話 Dogtooth violet

幸太がポタリング部に入部して、まだ間もないある日の放課後。


「今日はちょっと走ろっか?」


美戸が幸太を誘った。幸太がポタリング部に入ってまだ間もないが、二人はふだんの放課後は、自転車のメンテナンスをしたり、休日のポタリングのルートを考えたりすることがほとんどで、あまり走りには行かない。時折、幸太の宿題を見てくれたり、お茶を飲みながらたわいもないおしゃべりをしたりする。実のところ、それは美戸が幸太の体調を観察して、なるべく負担をかけないように今日何をするか決めていることを幸太は知らない。


つまり、今日は幸太の体調が良いように見えたのだろう。レモンイエローとグリーンのペップは仲良く連れ立って走り出した。高校の裏から黒目川に出て、川沿いの遊歩道を下って行く。貝沼橋のところを右折して住宅地に入った。保谷志木線を渡り、少し走ると急な坂に突き当たった。


かつては小高い丘だったのだろう。ほとんど住宅となってしまった斜面に土の地面が一部残っている。その山肌に淡い赤紫の花が一面に咲き乱れていた。かたくりの花である。


『野寺カタクリ山』


「わあ、今年もきれいね。」美戸は声を上げ、

「綺麗だ、、、」幸太は呟いた。


かたくりの花が咲く時期だけ開放されている緑地なので、ベンチなどもない。二人は並んで立っていた。その内、幸太は少し疲れたのか、自転車のトップチューブにお尻をのせた。日が落ちて来て少し寒くなってきたので帰ることにし、二人は自転車に跨った。黒目川に戻り、少し走ったところで、


「私はこっちだから。じゃあね、また明日。」

「ありがとうございました。また明日。」二人は別れた。


美戸は幸太と別れると、黒目川と分岐する落合川沿いの遊歩道に入って、そのまま上流に向かって走る。小金井街道に出て遊歩道が終わったところで、クルマの多い小金井街道を避けて、住宅街の中の道を走って滝山団地の自宅まで帰った。簡単な夕食を自分で作り、テレビを見ながらの食事が済むとシャワーを浴びてベッドに入る。美戸は朝早起きであることもあって、夜は早寝だ。だが、その夜、美戸はなかなか寝付けなかった。今日のことを思い返す。かたくりの花を見た、あの時、幸太は呟いた。


「綺麗だ。美戸先輩みたいです。」


そう聞こえたような気がしたのである。空耳か?、それとも自分が自意識過剰なのか?美戸は暗い天井を見つめた。


もちろん悪い気はしない。幸太にしては上出来だと思う。だが、かたくりの花は可憐で清楚だが、地味な花だ。女性に対する褒め言葉としては微妙であろう。最も幸太はチューリップの花を見ても、美戸のように綺麗だと言ったかも知れない。たまたま、それがかたくりの花だっただけだ。佐藤君らしい。ベッドの中で美戸は苦笑し、目を閉じた。


一方その頃。


幸太もベッドで落ち着かなかった。。かたくりの花があまりに可憐だったので、つい美戸のようだと口にしてしまったのである。聞こえてしまっただろうか? 気持ち悪いと思われなかっただろうか? 幸太は寝返りを打った。最も幸太は美戸に好意を抱いているものの恋人同士になりたいというようなことは考えていない。病弱な幸太にとっては、どうなるか分からない未来のことを考えるより、常に現状に満足し幸せを感じることが身に染みついているのであった。


いずれにせよ、これから幸太と美戸の二人の関係はある未来を目がけて動き出すことになる。そのきっかけとなった、かたくりの花言葉が『初恋』であることを美戸も幸太もまだ知らない。

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