第3話 Bicycle

「本当?」


美戸の顔がぱっと輝いた。少なくとも美戸は迷惑と思っている訳ではなさそうだ。幸太はほっとした。


「よかったら、一緒に自転車屋に行く? 紹介だから少しはサービスしてもらえると思う。」


「大体いくら位するんでしょうか?」一番心配していたことを幸太は尋ねた。


「ピンキリだけど、私ので10万円位かな。あと、それ以外に最低限ライトやチェーンロック、ズボンの裾を留めるバンドとかを買うお金が必要ね。」


美戸は淀みなく答えた。意外と高いな。幸太は思った。自分のわずかな貯金ではとても足りない。両親と祖父母にねだるしかない。だが、そんな高価な自転車を買ってもらえるだろうか?それにたまに親と行くスーパーでは、いわゆるシティサイクルといわれる自転車が15000円位から売っていたはずだ。モノが違うと言えば、それまでだが。最も美戸に言わせるとポタリングをする位ならそれほど自転車にこだわる必要もなく、もっと安い自転車もあるからその辺も相談するといいよ、ということだった。


幸太と美戸は野火止用水のびどめようすいに沿ってゆっくり走り、西武池袋線の踏切を越えたところで一気に坂を下って高校まで戻った。これから自転車屋で色々話を聞くにはあまり時間がなかったので、月曜日の放課後に一緒に自転車屋に行く約束をして、今日はお開きとなった。美戸は自分のレモンイエローの自転車を部室にしまうとクロスチェックのサドルを目一杯下げて乗って帰って行った。帰って行く後ろ姿が見えなくなるまで、幸太は美戸を見送った。幸太が思うに、美戸は自分の自転車は学校に置いて、わざわざクロスチェックを借りて往復してくれたのであろう。


できるなら美戸と同じ自転車にしたいが、自分の貯金ではとても買えない。どうしたものか? 家に帰った幸太はうわの空で夕食をとっていた。運動したせいか、いつもより箸が進む。夕食を残さず食べ切ってしまった。幸太にしては珍しいことだ。


「幸太、ほしい物は決まったか?」


父が尋ねた。そうだった、学費の安い公立高校に進学できたことに喜んだ両親はお祝いに何か買ってくれると言っていたのをすっかり忘れていた。確か、iPhoneとかiPadとかノートパソコンとかちょっと高い物でも買ってくれると言ってたはずだ。


「自転車がほしい。」


両親は意外そうな顔をした。そんな物でいいのか?という表情だ。幸太は続けた。


「自転車部に入りたいから、いい自転車がほしい。通学もそれでするから、お願いだから買って。」


ポタリング部でなく自転車部と言ったのは、ポタリングとは何か説明するのが面倒だったからである。


両親は不思議そうに顔を見合わせた。病弱な幸太が自転車部なんて続けられるのだろうか? それでも何かにつけ消極的な幸太が珍しく言い出したことなので、やらせてみるか。もし続かなくても自転車で通学してくれればバス代が浮くから充分元は取れる。両親は無言のうちに意見が一致した。


「じゃあ、10万円まで出してあげるから、それで自分で買って来なさい。あと、雨の日以外は通学にも使うこと。」


母は言い渡した。ほっとする幸太だった。


幸太が高校に入るなり気になる女の子ができて、その子と一緒にいたいがために部活動を始めて、自転車を買いたいなどとは全く考えつかない両親だった。


その晩、ベッドの中で今日のことを楽しく思い返す幸太だった。入部したいと言った時の美戸の嬉しそうな笑顔。ふだんはあまり寝付きの良くない幸太だが、昼間の心地良い疲れのせいか、あっという間に眠りに落ちたのだった。

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