第5話 Fixed girl

さて、購入したPep cyclesのNS-S1だが、次の日曜日のポタリングに乗りたいということで金曜日の夕方に納車してくれることになった。金曜日の授業が終わると幸太は急いで鈴木サイクルに向かった。美戸はちょっと用事を済ませて後から来ると言う。


店の奥に、グリーンのNS-S1が置かれてあった。グリーンというがかなり青味がかった水色に近い色だ。幸太は一目で気に入った。この自転車と一緒に楽しい高校生活を送るのだ。


支払いを済ませ、防犯登録をしてもらい簡単な説明を受ける。詳しく説明してもどうせ覚えられないし、分からないことは美戸に聞け、という店長であった。説明が終わると、インスタントコーヒーを出してくれた。


「サーリーとかペップは月に何台くらい売れるんですか?」


幸太はテーブルでコーヒーを飲みながら何となく尋ねた。


「団地の中の店だからね。客はお年寄りがほとんどだから全く売れない。だからウチは正規の取り扱い店じゃなくて、君や美戸のようなお客さんが来ると友達の店から回してもらってるんだ。まあ、半分は趣味みたいなもんだ。」


「この前お借りしたクロスチェックはすごく乗りやすかったですけど、ペップもあれくらい走るんですか?」


「あのクロスチェックは俺の趣味で色々パーツをいいのに換えてるんだ。だから悪いけどノーマルのペップとは比べ物にならないよ。」


店長は壁に掛けてある自分のクロスチェックを得意そうに見た。


「もし乗っているうちに不満が出てきたら持ってこい。その時に教えてやる。」


「自転車もハマると奥が深いぞ。」店長は初めて笑った。





「何でアンタがここにいるのよ!」


大声がした。幸太が振り返ると、同じ高校の制服を着た少女が立っている。ショートヘアのキリッとした顔立ちの女の子が幸太を睨みつけていた。女子にしてはがっしりした体つきで、特に太ももはカモシカのように立派であった。短めのスカートから膝までのタイツが覗いている。


「こら、リン。お客さんだぞ。」


どうも店長の娘さんらしい。だが幸太には見覚えがなかった。


「えーっと、どちら様でしたっけ?」

「はあ? クラスメイトの顔も覚えてないの? 鈴木よ、鈴木 輪!」

「ああ。」


とは言ったものの幸太は別に思い出した訳ではなかった。病弱な幸太は集中力があまりなく、関心のない事は頭に入らないのであった。


「自転車に乗るならシングルスピードよ!何で変速付きにしちゃうの!!」


「そんなの人の自由だろ。」店長が苦笑いしながら、輪をたしなめた。


「今からでも遅くないわ。シングルスピードに戻しなさい。ラックもスタンドもいらないわ。シンプルで故障知らず。プリミティブな美しさ。シングルスピードこそ自転車の原点にして至高の存在よ!」


そういう輪の脇にある黒の自転車は、店長と同じサーリーではあるが違う車種らしい。Steamrollerというデカールがフレームに貼ってあった。ペダルには足を固定するトウクリップという金具が付いている。輪の自転車は走っている時は常にペダルを漕いでないといけない、固定ギヤとかピストとか呼ばれる自転車だが、幸太がそれを知る由もなかった。


「リンちゃーん、ウチの部員に何、絡んでいるのかな〜?」いつのまにか美戸が後ろに立っていた。笑顔だが目は笑っていない。


「ひいっ!!」輪が震え上がった。


どうやら二人は顔見知りで力関係は美戸の方が圧倒的に上らしい。やれやれ、やっと解放されそうだ。幸太はほっとした。


いよいよペップでの初ライドだ。幸太は、制服のパンツの右足の裾をバンドで留めた。スポーツサイクルのチェーンはシティサイクルのようなカバーがなく、剥き出しだからパンツの裾がチェーンに触れると油汚れが付いてしまう。そればかりか、裾がチェーンとギアリングの間に巻き込まれてしまうと、転倒したりパンツが破けたりしてしまう。


帰り道がよく分からない幸太のために、美戸が黒目川に出るまで道案内をしてくれた。美戸の後ろ姿を見ながら、美戸と同じ自転車で走る喜び。自分が彼女にとって少し特別な存在になったような気がする。スタートラインに立てた。


僕、頑張る。ペップで走りながら、幸太は自分に誓った。


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