第2話 一秒後の世界

「古都管理室、か」


 あれから一週間たった。あれからというのはもちろん大城戸老からあの手紙――父さんからの遺書――を受け取ってからだ。その間、僕は父さんからの指示――遺言――を実行するべきかどうか悩んでいた。


「悩んでるって? 違う。答えはすでに出てるんだろ?」


 この秋晴れの空にかかった羊雲を見上げながら自分自身に問いかけた。今は名実ともに昼休み。今日の暖かさに誘われてかたくさんの学生が昼食を中庭で食べるために校舎から出てきていた。


 国立聖都学園。


 これが僕の通っている学園の名前だ。

 創立9年を数えるこの学園は、この古都の『学研都市構想サンクチュアリ』の一環として創られた総合教育施設バベル。小学校から大学までが一つの敷地内にあり、そのすべてが『学科』と『レベル』いう分類で構成されているという少し変わったところだった。その変わった制度のおかげで、本来ならばまだ中学3年の授業を受けているべき僕が、今は高校2年の講義を受けている。科目ごとに飛び級クラスアップが推奨されている学校なんて日本にはここ以外存在しないだろう。


 だからといって、別に勉強が得意というわけでもない。今まで他にすることがなかっただけだった。僕はそんなどうでもいいことを考えるのを打ち切って、昼食用に売店で買ってきていたサンドイッチを食べながらこれからのことを考えようとしていた。


「ひとつもーらいっ!」


 不意に背後から延びてくる手が、僕のサンドイッチをつかんで視界から消えた。

え』なかった?!そんなことあるはずないのに! 僕は慌てて後ろを振り向いて立ち上がる。


 そこには身長は僕より少し――多分3センチと変わらないはず――だけ高く、やわらかい太陽の光を反射して茶色に見える長い髪を頭の左右で結び、片手を腰に当てたまま僕のサンドイッチを頬張っている少女がいた。僕は自分に『視え』なかったという事実に驚きを隠せないまま、ただ声をあげていた。


「おまえ……大城戸おおきど、あゆ?!」

「ん? おまえとは失礼ね、上級生に向かって。せめてあゆって呼んでよね、日下部、透、くん」


 はじめて声をかわしたときから僕のことを子ども扱いする『嫌な女』。僕にとっての彼女はそう言った存在だった。身長158.5センチ・童顔なのが僕を年齢以上に若く見せているらしい。一部の上級生からはかわいいなどと騒がれることもたまに……いや、しばしばあるが男がかわいいなんて言われてもうれしくも何ともない。


 だから、せめて学園内でのレベルでは負けていたくないという気持ちが僕を飛び級へと駆り立てているのかもしれない。それを錦の御旗たいぎめいぶんにして彼女に言う。


「でもおまえとは同じレベルの講義を受けているはずだ。だから学園内では下級生ってわけじゃない」

「へぇぇぇ~、あんた頭いいんだ? とおるくんってばすっごーい」

「茶化すなよ、用がないんなら――」


 そう言いかけて僕は『視え』てしまった。身体は無意識に目の前の少女を突き飛ばす!


「なにを――!?」


 彼女が言葉を言い終わるよりも早く、彼女に当たるはずだったサッカーボールは僕の頭に直撃して――


「透くん!? 透くん! とお――」


――誰かが僕を…呼んでる?


 なんだろう? なぜかすっごくあったかい。まるで母さん、みたいだ。

 そんなはず、ないのに……。


 僕はうすれゆく意識の中で、そんなことを考えていた。



 気がつくと、正面には真っ白な天井。白いレースのカーテンが涼しげな風に揺らされてその天井を時折覆い隠していた。朦朧もうろうとしていた意識が次第にカメラのピントを合わせるかのようにはっきりとしてくる。しばらくして、僕は自分が保健室のベッドの上で寝ているんだ、と理解できた。


 ふ、と足元に違和感のある重さがかかっていることに気がついた。そこにはベッドと僕の足にもたれかかるように突っ伏して寝ている一人の制服姿の少女がいる。僕がここでこうしていることになった要因の一端である大城戸あゆ、だというのは特徴的な髪型からもわかる。


 でも彼女だけがその原因というわけじゃない。もうひとつ、重大な要因がある。それは父さんからの手紙にもあった、僕が『視える』モノ、誰にも話した事のない力――それは『一秒後の世界』。


 僕には生まれついて、時々数秒先の出来事が『視えて』しまうがある。この力は自分で見ようと思わなくても、周囲に危険や不思議な出来事が起こる寸前に勝手に発動してしまうものだ。一種の予知と言ってもいいかもしれない。


 人によってはうらやましがるかもしれないこのは、僕にとってはただの嫌悪の対象でしかなかった。僕がこのチカラで予知した出来事を僕自身の行動で変えてしまったらそれは現実には起きなかったことになる。つまり、予知したことが現実になればなったで不幸が起き、現実にならないように僕が行動すればその行動自体が他人には奇異に映ってしまう。

 結局のところ僕自身にとって良いことなんて今まで一つもなかった。


 そして今回も自分が痛い目にあっただけだ。


『こんななんてなければこんな想いしなくて済むのに』


 いつもそう思っていた。それでも僕はいつも他人の不幸を回避するべく行動してしまう。そのことが僕の周りに人が寄り付かなくなっていった原因の一つだと思っているし、事実そうなんだろう。

 そして僕も、人が近づかないのであればその方が気が楽だと思っていたからちょうど良かったのかもしれない。それでも今回は自分自身の行動の馬鹿さ加減に嫌気がさしていた。


「反射的とはいえ、自分のことも考えて行動しないとな」


 だから誰に言うとでもなく、そんなことをつぶやいていたんだろう。そしてその声に気がついたのか、足元でうたた寝していた大城戸あゆが目を覚ました。


「あ、気がついたんだ透くん。大丈夫? 頭、痛くない?」


 そんなことを本当に心配そうに言う彼女。常に勝気そうな彼女からは少しも想像がつかない表情に僕が戸惑っていると、さらに心配そうに言葉を続けてきた。


「あたしのことわかる? 打ち所が悪かったとかないわよね?」

「……大丈夫だと思う、あゆでもそんな顔することがあるんだなって思ってただけだから」

「どういう意味よ!って、いっつもこんな風に怒鳴ってばかりいるからだよね。えーっと……その、一応お礼を言っておかないとだめよね、コホン、ありがと」


 彼女は僕から視線をそらして、すこし照れたようにそうつぶやいた。でも、僕にはその礼を素直に受けることは出来ない。それが今までの僕が自分自身に課してきたルールだから。


「なにかお礼を言われるようなことした? ただ単に僕はあゆを突き飛ばしただけで、その時に運悪くサッカーボールが僕の頭にぶつかっただけだろ。自業自得と偶然が重なっただけじゃないか。あんたには文句を言われる筋合いはあってもお礼を言われることなんてないと思うけど?」


 僕は自分ののことを隠すように、起こったこと、事実だけをなぞる。実際、こんなチカラのことを誰に話したところで信じてもらえるわけはないけど、それでも僕にとっては人には知られたくないことの一つだったから。


 それに今の状態なら下手をすると頭の打ち所が悪かったんじゃないかと疑われかねない。そんなことをこの目の前の彼女に思われるのはなぜかとても嫌だった。


「うーん、でも結果的には助けてもらったわけだしね。だから、ありがと」

「……変な奴だな、あゆって」

「でもねっ! あたしのことを『あゆ』って呼び捨てにするのは許せないなぁ。ちゃんと『あゆ先輩』もしくは『あゆさん』って呼んでくれないとね」

「でも『あゆ』は『あゆ』だろ?」

「あー、だめだめ! こういうことはきっちりしないとね! いい? わかった? わかったらはい、お返事!」

「はいはい、わかりましたよあゆ……さん」


 僕はさっさとこの会話を打ち切りたくて、折れることにした。大人だからな。


「まぁいいわ、今回はそれで許してあげる。とりあえず、大丈夫そうだしね。サッカーボールが飛んでくるのはまだしも、ちょっと倒れ方がまずそうだったから心配だったのよ。何ならCTスキャンとか脳波測定とかしたほうがいいかもってくらい」

「心配してくれるのはありがたいけど、別に放って置いてくれてもかまわなかったのに。特に頭に痛みも感じないし、単なる脳震盪のうしんとうだろうから」

「さすがにそういうわけにもいかないでしょ!? あんたって冷めてるっていうか、達観してるっていうか、若々しさが感じられないのよねぇ。もっと年相応にすればいいのに」

「だから、僕は子どもじゃないって言ってるだろ。子ども扱いするのはやめてくれ」

「でもあたしより年下だよねぇ?」


 僕は言葉に詰まって視線をそらしてしまう。結局のところ年齢を気にしていること自体が子どもである証明だってことを僕自身がわかってるからだろう。だから、そのことを口に出されると反論することも出来ない。それが悔しくって、話題を変えようとどうでもいいようなそんな疑問を口にする。


「それはそうと、今何時?」

「ん? えーっと今は昼の3時を少し回ったところね。透くんはかれこれ二時間くらいお休みだったって事」

「で、あゆも一緒になって寝てたわけか」

「……」

「……あゆ『さん』も!」

「はい、よく出来ました」


 そう言って、彼女は僕の頭を撫でる。本当に完全に完璧にこれ以上ないってくらいに子ども扱いだな。絶対にわざとだ、くそっ。たった年下なだけなのにこれほどまでに子ども扱いされると、言葉に出来ないくらいに腹が立つ。そんな僕の恨めしげな視線をかわすように彼女は、ぽんっと後ろに飛び跳ねるように離れた。


「へっへ~♪ 怒った? でもそれだけ元気があったら大丈夫だよね。うん、安心安心!」


 彼女は腕を後ろに回して、その猫の目のようにくるくると変わる表情を笑顔に変えて僕に向けた。彼女の頭の横で二つに束ねた長く艶やかな髪が窓の外から吹き込んできた風にやわらかく揺らされる。僕はそのスローモーションのような光景を素直に綺麗だと感じて、呆けたように見ていた。

 そんな僕の気持ちをまったく気にもとめないで彼女は声をかけてきた。


「ほらっ、大丈夫なら保健室から出なきゃね! 保健の先生も気がついたら帰ってもいいって言ってたし。ほらほら、早く早く! このあゆさんが直々に透くんを送ってあげるから! 何なら病院にでも連れて行ってあげようか?」

「いや、その必要はないけど」

「じゃあ、ベッドから降りて! 部活をしてない子はさっさと帰宅しましょう!」

「あ、引っ張るなよ! やめろって、おい!」


 そんな妙に元気な彼女に引きずられるながら僕たちは保健室を後にした。

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