第9話 忘れていること

「楽しかったね!」

「ああ! あれが市民プールを改装したもんだなんて誰も信じねぇぞ?」

「ほんとにね~」

「焼きそばもうまかったしな」

「うん、おいしかったね。拓人ってば3人前も食べるし!」

「腹減ってたからな」

「おなかがでてて、ちょっと……恥ずかしかったんだから」

「マジ?!」

「ウ、ソ♪」

「焦らすなよ、マジでへこむぞ? 特に腹が」

「あはは」


 ウォーターワールドを満喫した帰り道。俺たちは、ここ数週間歩きなれた道をあきらの家に向かって歩いている。


「今日は本当に疲れたな……」

「え~、そう? わたしはそうでもないけどなぁ」

「ここんところの勉強疲れが吹き出したという感じだな」

「単なる運動不足だと思うな」

「……何か言ったか?」

「べ~~つに~~~。あ、そうそう! あのウォータースライダーすごかったねぇ!」

「ああ、俺は別の意味ですごい思いをさせてもらったがな」

「もう、意地悪なんだから!」

「ごちになりました」

「すけべ! べーっだ」


 全長150m、高低差25mなんてばかでかいものを市の経営でよく作れたもんだ。まぁ、あきれつつも思いっきり楽しませてもらったわけだが。なんと言っても二人で一緒に滑っても文句を言われないところがいい。


 そして、着水に失敗するところに趣があるんだよな、うん。


「でも……あのとき、あきらのふとももが俺を離してくれなかったせいで、危うくドザエモンになるところだったんだぞ。いやマジで」

「だからゴメンってあやまったじゃない」

「うむ、だからこの件はノーサイドだ」

「う゛~~~」

「俺も……気持ちよかったしな」

「本当に気持ち……よかった?」

「ああ、もうなんて言うかこう……(頸動脈をしめられた結果)意識が飛びそうで」

「そ、そうなんだ……」

「……」

「拓人のこと、好きだから……。拓人なら……いつでもいいのに」

「へ?」

「あわわわ……なに言ってるんだ、わたし!」

「……」

「……」


 つないでいた手を離して、もじもじするあきら。いや、そんなことされると俺も照れるのですが。まいったなぁ。


「そ、それにしても……おまえって結構もてるのな」

「え、そんなこと無いよ」

「でも今日だって、ちょっと焼きそばを買いに行ってる隙に男どもが寄りついてただろ?」

「うっ。あれは……困ったよね」

「だよな、まさに飢えたハイエナのごとくだ」

「……たぶん」

「ん?」

「たぶん、この拓人がくれた水着のせいだよ。ほら、馬子にも衣装ってね」

「そうだな、うん。その通りだ!」

「あ、ひどいなぁ! 人が謙遜けんそんして言ってるのに」

「謙遜してたのか。ふ~ん」

「あーーん、そう言う意味じゃなくって~~~! もう、本当に意地悪なんだから!」

「はいはい、わかりました、わかりました」

「でも……ありがとね。ちゃんとわたしのこと守ってくれたよね」

「あ、当たり前じゃないかよ」

「どうして? どうして当たり前……なの?」

「どうしてって……そりゃおまえ……ほら、なぁ」

「聞きたい」


――ドクン。


「……」

「言葉で……聞きたい」


――ドクン。


「……それくらい、わかるだろ」

「それでも……聞きたいよ」

「……」

「おねがい」

「……わかったよ。一回しか言わないからな、よ~くきけよ!」

「うん……いいよ」

「おまえが……。ゴホンっ! お前が俺の……彼女、だからだ。だから……誰にもおまえの水着姿を見せたくなかったんだ、わかったか?」

「……彼女だから?」

「そうだよ、悪いかよ」

「ううん、悪くないよ。そっか……彼女だから、か……」


 そう言うと、あきらは遠くの空を見つめるように俺から視線を外した。

 なんだ?


 俺はてっきり泣くか喜ぶかすると思ったんだけど……な。これはちょっと意外なリアクションだぞ? 予定外の反応をされるとこっちが困る。


「……」

「……今日ね、隣町で花火大会があるのって知ってる?」

「えっ?! あ、いや……初耳、だな」

「それで……今晩、一緒にね……」


 まずい……非常にまずい! いや、それにもまして……今、何時だ?

 4時……50分?!おぃ、ちょっと待て! ワープしても間に合わねぇ!


「わ、悪いっ! 今日はこれからどうしてもはずせない用事があって……マジでやばいんだ。本当に……ゴメン!」

「あ……そう、なんだ」

「本当、ゴメンな。この埋め合わせは必ずするから!」

「うん……わかった。残念だけど、用事があるんじゃ仕方……ないよね。急いでるんでしょ? 早く行かないと……ね」

「ああ、ありがとう。じゃ、俺……行くから」

「うん、またね」

「ああ、じゃあな!」


 で、ダッシュでその場を離れる俺。


 おっと、忘れてた!


「あきら~~~! 誕生日、おめでとうなーーっ!」


 俺は大きく手を振りながら叫んだ。あきらはゆっくりと手を振ってくれた。あきらの麦わら帽子の長いリボンが、風になびいて……俺を見送ってくれているようだった。




「ただいまっ! はぁはぁはぁ……毎度このパターンで悪いんだけど、遅れてゴメン!」


 俺は帰り着くなり玄関先で謝った。こういう事は先手必勝。特に自分に非があるときは、まず謝ることからはじめるべきだと思う。


「あ、拓人さん、お帰りなさい」


 奥から佳乃さんの声が聞こえる。その声に向けて俺も声をかけた。


「佳乃さん、遅れてゴメン……待った……よな?」

「いえ、それほどでもないですよ。いろいろとやることもありましたし」

「じゃあ……いこっか、花火大会」

「あ、その前に……」


 そう言って、佳乃さんが姿を現した。


「えっ、それって……浴衣? すっごく似合ってるよ! うん、きれいだ……」

「照れますね……、ありがとうございます。それで……実は、拓人さんの浴衣も用意してあるんですけど……」

「えっ、本当に? 着る着る!」

「ではこれを……」


 そう言って、佳乃さんは浴衣を差し出して……あれ? 浴衣の袖口そでぐちからちらりと白いものが見えた。


「佳乃さん……その腕の包帯、どうしたの?!」

「あ、え……ちょっと階段で転んでしまって。たいしたことないんですよ」

「いや、でも……ちゃんと病院行った? 本当に大丈夫? 無理してない?」

「ええ、大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」

「心配するのなんて当たり前なんだから、そんな風に言わないでよ。でも……本当に本当に大丈夫? 花火大会、やめといた方が……良くない?」

「本当に、本当に大丈夫です。くすっ、拓人さん、なんだか子供みたいですよ♪」

「でも……」

「これでも花火大会、楽しみにしてたんですから。これくらいのケガであきらめられません♪」

「そっか……。でも本当に無理だけはしないでね」

「そんなに私……信用できませんか?」

「いや、その……ふつうのことなら信用できるんだけど、こういう事に限っての佳乃さんは信用できないからさ」

「そう……かもしれませんね。でも本当に大丈夫ですから。ほら、拓人さんも早くこれに着替えてくださいね。花火……はじまっちゃいますよ」

「うん……わかった」


 子供の頃のような返事をしてしまう。そっか……昔もこういう事があったな。あのときも佳乃さんは無理をしてて……。俺は何もすることができなかった。


 でも、あのころとは違う。なにかあれば佳乃さんを背負ってでも帰ってくることもできるし……佳乃さんに守られてばかりだった俺じゃない。


「そうだよ、もう……子供じゃないんだから……」

「なにか言いました?」

「いや、ただの独り言……よしっと。佳乃さん、どうかな? 俺の浴衣姿」

「うーん……ちょっと小さかったですか?」

「いや、そうでもないと思うよ、ほら」

「そうですね……うん、似合ってますよ」

「あははっ、照れるねこりゃ」

「拓人さん……大きくなりましたね。いつの間にか私より背も高くなって……。やっぱり男の子なんですね」

「あたりまえじゃん、なにを今頃そんなこと言ってるのさ。佳乃さん変だよ? ほら、早く行こう! いい場所なくなっちゃうよ」

「そうですね、行きましょうか」

「ああ!」


 俺は佳乃さんの手をとる。子供の俺はもういない。今はもう、彼女と……佳乃さんと肩を並べて歩くことができる。


 それを成長というのなら……こんなにうれしいことはない。

 佳乃さんに守られていた、自分。これからは佳乃さんを守れる、自分。

 一緒にならんで歩けることが。

 ただ、それだけのことがうれしい。




「秋月は……知らず古今あることを。 一条の光色、五更深し……」

「なにそれ?」

「菅家文草……菅原道真の詠んだ漢詩和歌の一部、です」

「ふ~ん……どういう意味があるの?」

「今の私と拓人さん……と、いったところでしょうか? 少し違うかもしれませんが……あまりにきれいな月でしたから、つい」


 言われて俺も空を見上げた。

 西の空は赤く染まっていて、少し早い秋を予感させていた。そして東の空には、いつの間にのぼっていたのか……きれいな月。吸い込まれそうな……丸い……月……。


 きれいな、まぁるい……おおきな、月……。

 なんだ……ろう……白く、アカイ……銀の――――――。


「拓人さん! 拓人さん?!」


 なんだ……誰かが……俺を、呼んでる?


「拓人さん! 拓人さん! どうしたんですか?!」

「え……。あ、いや……ちょっと月に見とれてたみたい、だ」

「……よかった……。大丈夫……ですよね?」

「うん、大丈夫。そんなに俺ぼーっとしてた?」

「ええ……」

「そっか。でももう大丈夫。たぶん……貧血みたいなもんじゃない? それより、ほら急ごう!」


 俺たちは再び、花火大会が行われる神社に向けて歩き出した。

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