事件当日――⑤

「本当に申し訳ない。あなたを信じることができなかった」


 アンビアの病室。ヒーラーと他の警察騎士たちが退出した後、ゲイルはベッドに腰かけている患者に非礼を詫びた。


 いや、『元患者』というべきか。すでに蘇生は完了し、アンビアは何不自由なく体を動かしている。胸部の傷も塞がれ、見た目には生者と区別がつかない。


 しかし、その体に本当の命が宿ることは二度とない。


「気になさらないでください。こうして対話の機会を作ってもらえただけで、私には充分です」


 口元からしわがれた声が漏れた。頭蓋骨の形が透けて見えるほど薄く衰えた顔からは、いかなる表情も読み取れない。


「私のメッセージは無事、届いたようですね」


「顔見知りの鍛冶屋から事件のことを聞きました。どこかの商人が噂を広めたようです」


「では、私の目論見は成功したのですね。赤いローブを被って、頑張ったかいがありました」


 ゲイルには、アンビアの考えが分かるような気がした。逃亡中の指名手配犯が信用を得るのは難しい。ましてや魔王の参謀だった者に『蘇った魔王に会ってくれ』などと言われて、誰が信じるだろうか。


 アンビアは命を捨てることで、誠意を見せようとした。手紙でそのことが伏せられていたのは、あまりに非現実的であまりに不穏当な方法だからだろう。『欺瞞が入りこむ余地のない、明確な行動』と手紙には記してあった。あの表現が限界だったのだ。


 アンビアは自殺を決意する。問題は、自分が死んだことをいかにして相手に伝えるかだ。手紙の中でアンビアは、ゲイルに王都にいてくれるよう頼んだ。しかし、王都のどこにいるかまでは分からない。インプのリムにゲイルを尾行させるわけにもいかない。アンビアがティアミナの大森林を離れている間、魔王の世話役が必要になるからだ。


 リムから王都の情報を聞いて、より細かな場所を指定するという手もある。だが、指名手配犯から「ここに来い」と言われて、素直に命令に従う人間はいないだろう。アンビアの置かれた微妙な立場が、状況をますます複雑にする。


 ゲイルの家の前で死ぬという荒っぽいやり方も、土地勘がないので使えない。事前にリムから家の場所を教えてもらったとしても、一人ではたどり着けないだろう。


 だが、ゲイルが警察騎士であるという事実が、こういった問題を一挙に解決する。昔、警察騎士に恋した女が、その男に会いたい一心で軽微な事件を起こしたことがあった。事件が起これば、警察騎士がやって来る。この発想を応用すればいい。警察騎士に会いたいなら、自殺してから蘇ればいい。


 事件を担当する警察騎士がゲイルでなくとも構わない。指名手配中のアンビアが死体となって発見されれば、警察騎士内で情報が共有されるのは確実。現場に『警察騎士ゲイル・ロンバート』の文字が残っていれば、なおさらだ。アンビアの死はいつか必ずゲイルに伝わる。


 唯一の問題点は、ゲイルが非番である場合だ。王都は広い。敷石の文字を見つけたら、警察騎士はゲイルを探してくれるだろうが、アンビアは念のため保険をかけておくことにした。警察騎士とは異なる情報の伝達手段――風よりも早い『街の噂』を利用したのだ。


 赤いローブを被り、わざと目立つような歩き方をすることで、人々の注意を引きつける。路地裏に入り、不気味な悲鳴を上げれば、物好きな住民が様子を見に来るだろう。そして、地面に書かれた『警察騎士ゲイル・ロンバート』の文字を発見する。事件の噂は王都中を駆け巡り、いつかゲイルの元に達するだろう。死体の側に書かれた名前は、アンビアの訃報をゲイルに届けるための『宛名』として機能する。


 昨日の手紙は、王都で何かが起きることを匂わせていた。普段のゲイルなら、職業的な義務感も手伝い、たとえ非番の日でもバームに留まっただろう。結果的には、ゲイルは手紙を単なる悪戯として片づけたので、王都にいたのは偶然に過ぎないのだが。


「改めてお願いいたします」アンビアはかすれた声で続けた。「魔王に会ってくださいませんか」


 ゲイルの答えは決まっていた。「分かりました。ティアミナの森に行きましょう。すぐに出発します」しかし最後に一つだけ、アンビアに尋ねておきたいことがある。「どうして、あなたは魔王のためにそこまでするのですか。自分の命を捨ててまで、彼の願いを叶えるなんて」


「ああ、それは……」言葉を詰まらせるアンビア。だが、それも一瞬のことだった。「彼のことを愛しているからです」


 ゲイルにとって、それは予想外の答えだった。彼はアンビアの姿を一心に見つめた。


「よく間違われるんです。魔物の性別は分かりにくいですからね」


 事件の謎はすでに解き明かされている。しかし、新たに発覚した事実が、思考を止めるなとゲイルに囁いていた。心の奥に引っかかっていたいくつもの疑問が、この発見を基点として、一つの真実へと繋がりそうな気がする。


 強い衝動に駆られ、ゲイルは気づけば声を出していた。


「魔王を愛していたから、自分の命を捧げた。あなたが自殺した理由は、本当にそれだけですか?」


 対話を始めてから、一番長い間があった。アンビアの口が開きかけては閉じ、何か大切な言葉がその度に胸の奥へと帰っていく。強い思いに流されそうになるのを、彼女は懸命にこらえているようだった。


 だが時が経つにつれ、少しずつ感情が溢れ出し、


「私も……あなたに会いたかった。会って、心から話がしたかった」


 バラバラだった記憶の欠片が結びつき、一つの形を成した。ゲイルの両親の失踪。その五年後にどこからともなく現れた魔王という存在。彼を支えた参謀役のリッチー。魔王もリッチーも元は人間であり、魔王は男で、リッチーは女だった。


「まさか、あなたは……」


「ええ、私は――」


 その先にあったはずの言葉を、アンビアは苦し気に飲みこんだ。軽はずみな行動を悔いるかのように。子を育てなかった自分に、親を名乗る資格はないとでも言うように。


「私はリッチーのアンビアです」人間が泣き顔を隠す時のように、アンビアは骨ばった顔をうつむけた。「あくまでもね」

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