物理でも心理でもなく

〇ヴァンパイア


ヴァンパイアの特徴については、多くの点で誤解がある。それを訂正しておきたい。


・十字架に弱い→嘘である。

・聖水に弱い→そもそも『聖水』などという特別な水は存在しない。よって、嘘である。

・太陽光に弱い→事実である。太陽の光を浴びると、ヴァンパイアの皮膚は炎上する。

・鉄や銀に弱い→鉄や銀だけでなく、金属全般に弱い。太陽光と同じく、金属はヴァンパイアの皮膚を炎上させる。

・鏡や水面に映らない→普通に映る。

・強烈な匂いに弱い→ヴァンパイアの嗅覚は人間と大差ない。




「なんだこれは!」


 ギラムが驚愕したのも無理はない。誤解を訂正すると言いながら、その訂正内容に誤りが含まれているのだから。


「太陽の光を浴びると、皮膚が燃える……? 燃えるかあ!!」


 燃えるかあ……燃えるかあ…………燃えるかあ………………ギラムの一人ツッコミが、古城に悲しくこだまする。


「太陽が弱点だと!? 生物として致命的ではないか!」


 どうしてこんな誤解が生まれたのか。ヴァンパイアが基本的に夜行性だからだろうか。それとも、戦争中、夜戦にしか参加しなかったせいだろうか。もしくは、ヴァンパイアは肌が弱いので、日焼けを恐れて、太陽光を避けるためだろうか。


 ギラムは声を大にして言いたかった。日光を浴びても、ヴァンパイアの皮膚は燃えませんよ、と。


 言いたいことはそれだけではない。間違いは他にもある。


「金属が皮膚を炎上させる……? 怖いわあ!!」


 怖いわあ……怖いわあ…………怖いわあ………………ギラムの一人ツッコミが、今一度悲しくこだまする。


「金属文化の全盛期だぞ!! スプーンにも金属が使われてるんだぞ!!」


 ヴァンパイアが金属を嫌うのは事実だが、発火するからではない。ヴァンパイアは肌が弱いので、特定の金属に触れると赤いブツブツと痒みが生じる。だから彼らは手袋をはめたりすることで、金属に直接触れないよう用心している。


 ギラムは忠僕の名前を呼んだ。


「グレゴーリー! グレゴーリー!」


 忠僕はすぐに駆けつけた。


「お呼びでしょうか、ギラム様」


「この『魔物大全』を刊行したのは、どこの工房だ?」


「王都バームの写本師ギルドです。親方の名前はペヌタヴィルッチでしたかな」


「そのペヌタヴィリュッチとかいう舌を噛みそうなヤツの工房にクレームを入れてこい。『魔物大全』の情報に誤りがあるってな! ……ついでに!」


 ギラムはふとした思いつきを口にした。


「『魔物大全』の刊行責任者を城に連れてくるんだ。直接謝ってもらわんと、怒りがおさまらん」


 ギルドの構成員が城にやってきたら、ギラムはこんな風に言うつもりでいた。『この本のせいで、ヴァンパイアに関する誤った認識が、世間に広まってしまった。吾輩は非常に傷ついている。そこで提案なのだが、お詫びとしてあなたの生き血を貰えないだろうか』。


 これならグレゴーリーも文句は言えまい。謝罪代わりに血を受け取るのだから、理にかなっている。正々堂々、新鮮な血を満喫できる寸法だ。


 悪だくみを心に秘め、ギラムは来客が訪れるのを待つことにした。


 翌日、日没直後。ギラムが目を覚まし、おなじみの肘掛け椅子に腰かけると、朝食片手にグレゴーリーが現れた。


「ペヌタヴィルッチ・ギルドより、『魔物大全』の担当者がお越しになっています」


「ようやく来たか」


 表面上は冷静さを保っているが、ギラムの心は浮き立っていた。


「まったく。一日も待たせおって」


「ギラム様が日中、お眠りになっているせいかと存じますが」


「………………。……それで、客は男か? 女か?」


 重要な質問だ。人間の血は男より女の方が格段に美味い。ヴァンパイア界の常識である。


「美しい女性の方でございますよ」


 上出来。ギラムは感情の高ぶりを抑えられず、頬の筋肉を緩めてニッコリした。考えたことが顔に出る性格は、子供の頃から変わっていない。


「よし、中に入れろ」


 部屋を退出したグレゴーリーは、ほどなくして一人の女性を連れて戻ってきた。その女性の姿を見て、ギラムは大いに失望した。


 たしかに女性ではある。グレゴーリーの言葉通り、美人でもある。長い金髪に透明感のある白い肌。これが人間だったら、何も言うことはなかったのだが。


 現れたのは人間ではなく、血液のマズさに定評のあるエルフだった。そのうえ。


「へー、ここがヴァンパイアの住まいかー。すごく広いんだねー。わたし、お城に来るのなんて初めてだから、ワクワクしちゃうな」


 どう見ても謝りに来た態度ではない。不安な予感で胸いっぱいのギラムに、エルフの目線が向けられる。


「うわ、本物のヴァンパイアだ! すごい、すごい!」


 エルフはギラムに急接近。そして、ヴァンパイアのトレードマークである二本の牙を、つんつんと指で叩き始める。


「これが噂の牙ですか! ひゃー、とがってるー! この恐ろしい武器で血を吸うんですね!」


 ――このエルフ、ヤバイ。血の取引のことさえなければ、速攻で追い返したい。ギラムは歯をつつかれながら、軽く恐怖を感じた。


「……とにかく掛けたまえ」


「あっ、いけないわたし! ついつい夢中になっちゃって。今日は仕事で来たんだから、牙をいじるのはそれが終わってからですよね!」


 前後の問題じゃねーよ、とこっそり呟くギラム。エルフは対面の椅子に座り、テーブルの上に置かれた白パンを手に取った。グレゴーリーが運んできたギラムの朝食だ。


「わたし、エルフュのゾビディガっていいみゃす」


「食べながら喋るな。名前の原型がわからん」


「ショミビマでしゅよ、ジョ・ウィ・ディ・ア」


 本名を知るのは諦めて、本題に入る。


「君を呼んだのは他でもない。君が編集を担当した『魔物大全』という本があるな?」


 テーブルに置かれた『魔物大全』に目をやる。エルフのゾビディガ(仮名)は、ぐっと白パンを飲みこむと、熱をこめて語った。


「そうです! 私が担当しました! いやー、いい本ですよねー。『魔物大全』の原稿が持ち込まれた時の感動は、今でも覚えてますよ。エフライム王国のみなさんにこの本を読んで欲しい! その一心で本作りを頑張りました。これまで刊行された魔物関係の本って、差別的な表現が多かったじゃないですか? それに比べて『魔物大全』は中立、まさに中立! 人間と魔物の相互理解に欠かせない一冊だと思ってます。魔物同士が互いのことを知る上でも、この本はめちゃくちゃ役に立ちますし……」


「……吾輩は、製本業者の仕事哲学を聞くために、君を呼んだのではない」


 相手のペースに飲まれないよう、ギラムは強気な姿勢を見せた。『魔物大全』を開き、問題のページを示す。


「ここを読んでみるがいい。『太陽の光を浴びると、ヴァンパイアの皮膚は炎上する』とあるが、完全な誤謬だ。日光を体に受けたぐらいで、ヴァンパイアは燃えたりしない」


「えっ! そうなんですか!」


 ゾビディガはしおらしく手足を委縮させ、何度も何度も頭を下げた――


 ――というようなことは全くせず、代わりに翡翠色の瞳をキラキラと輝かせ、晴れやかな顔で叫んだ。


「わざわざ教えてくれて、ありがとうございますっ! わたし、感動してますっ!」


「あっ、いや、そうではなくてだな……」


「過ちを許せる魔物になりなさいって、おばあちゃんは言ってました。文化は一人で作るものじゃない、みんなで作るものだと、おじいちゃんに教わりました。そう、まさに! 本は一人で作るものではありません。作者、編集、写本師、本売り、読者、色んな人間や魔物の力が合わさって、一冊の本が出来上がるんですよね! 本に間違ったことが書いてあったら、そのたびに訂正すればいい。間違いを批判するのは心の小さい生き物です。写本師ギルドも読者の方々も、エフライム国民全員が優しい校正者なんです!」


 極論すぎると思ったが、ゾビディガの気迫におされて、言葉を出せないギラム三世。


「ギラムさんは、わたしを自宅に招待してくださりっ! 本の誤りを訂正してくださりっ! おまけに白パンまでごちそうくれました! 感動してます!」


 白パンはお前が勝手に食ったんだろ。白パンはお前が勝手に食ったんだろ。白パンはお前が勝手に食ったんだろ。白パンはお前が勝手に食ったんだろ。ギラムの頭を白パンが埋め尽くした。


「あの! 他にも間違いがあれば教えてほしいんですけど!」


「あ、ああ……」


 リッチーが操るスケルトンのように、ギラムはゾビディガの指示に諾々と従った。話してるだけで疲れる狂騒エルフと早く別れたい。その気持ちだけがギラムの心を動かしていた。新鮮な血とか、もうどうでもいい。


 ゾビディガは訂正内容を羊皮紙にまとめ終えると、


「次の版では、正しい情報に書き換えられると思います。ご協力ありがとうございました!」


 最後にもう一枚白パンを口にくわえて、ゾビディガは部屋から走り去った。来た時と同じ、無傷な体のままで。


 背もたれに倒れこむギラム。疲れた。無意味に疲れた。生気を奪われたギラムは何気なく『魔物大全』に手を伸ばし、ページをパラパラとめくった。意欲のない両目で、流し読みをする。


「とんだ災難だったな……」


 何度も読んだ、例のページと向かい合う。ヴァンパイアの弱点は太陽光。世間はそう誤解しているらしい。人間だけならまだしも、魔物のエルフでさえ本気でそれを信じていた。エフライム王国の住民にとっては、それが常識なのだろう。


「ん……待てよ」


 常識。この一単語が、彼に天啓を授けた。


「世間的には、吾輩は夜しか活動できないことになってるのか」


 本に書かれている内容を疑う人間は少ない。それは魔物でも同じことだ。文字で得た情報は全て正しいという前提で、素朴に内容を受け入れる読者が圧倒的多数を占める。ましてや、図鑑とか辞書とか辞典のような権威ある書物に疑いを抱く生き物など、ごくわずかしかいない。


「ヴァンパイアは昼間動けない。それが国民の常識であり、図鑑の記述もその常識を補強している」


 新鮮な血を手に入れるには、誰かを傷つける必要がある。それは新エフライム法で罪に当たる行為だ。


 だが、しかし。捕まらなければ、何の問題もないわけで。


「日中に事件を起こせば、完璧なアリバイが手に入るではないか!」


 ギラムは喝采した。歴史上、これほど完璧なアリバイ工作が存在しただろうか? 物理的な手段でアリバイを作るわけでもなく、心理的な盲点をつくわけでもない。ただ純粋に、知識の差がアリバイを生み出す。間違った常識が、ギラムの犯行不可能性を証明してくれる。


 名づけて『知識トリック』。このトリックを核として、ギラムは計画を練り始めた。実行は三日後。場所はポターヌ家の別荘が立つ湖。狙いはポターヌ家の娘、ソフィア・ポターヌ。命を奪うのではなく、ほんの少し血管から血をもらうだけ。一世一代の軽犯罪である。


 ギラムは内密に事を進めた。『計画』のことは、グレゴーリーにも隠した。こんな浅ましい犯罪行為がバレたら、警察騎士に通報されて、そのまま牢屋にゴールインするのがオチだ。捕まった主人に向けて、グレゴーリーはきっと訓戒を垂れるだろう。『法を守るのが貴族の義務です』みたいな感じで。


 ギラムは計画を作りあげた。忠僕に気づかれることなく、必要な道具を揃えることもできた。早寝早起きを心がけ、正午に目を覚ませるよう体内時計を修正し、久方ぶりに充実した二日間を過ごし終え――


 ――最高の気分で、計画の実行日を迎えた。

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