#山霊

海野しぃる

山嶺

 メロン熊の頭部を模した出入り口が特徴の夕張市農協名産センター。

 夕張市本町へと向かう途中で、上戸ノアと上戸ユイの兄妹はそこの休憩コーナーの椅子に腰掛け、カットメロンを食べていた。


「メロン、冷えてて美味しい~! 冷えてるのに噛むたびに甘さ爆発でめちゃ美味しいよ~! ねえねえお兄ちゃん、一玉買っていこうよ!」


 ユイが笑い、三編みが揺れる。セーラー服に果汁がつかないように、ノアはウェットティッシュで彼女の口を拭く。

 

「帰りにな。この後はどうせホテルだし、晩飯は夕張メロン食べ放題だ」

「晩御飯の前にデザートに食べれば良いじゃん。札幌で買ったら値段が千円くらい違うよ? 沢山食べないと」

「ホテルでどう切るんだよ」

「ちぇっ、お兄ちゃんのケチぃ」


 形の良い唇がツンと歪んだ。丸い眼鏡の奥のクリクリした瞳がジットリとノアを見つめる。ノアは視線を逸し、ワイシャツのボタンをもう一つ外して、パタパタとシャツの中の空気を入れ替える。

 ――うちの妹はどうしてこう、可愛いんだろうな。

 ――どうして、妹として生まれてきちまったんだろうな。


「悪かったなケチで」

「うふふ、怒った?」

「別に、ちょっと考えごとしてただけさ」

「じゃあ良かった! 水分摂りすぎたしちょっとトイレ行ってくるね。ここで待ってて」

「おうおういってらっしゃい。戻ってきたらおじさんの家に送るメロン決めるぞ」

「お返しの和歌山ミカンのためにもしっかり選ばないとね! 急いで戻るよ!」


 ノアは一人になってからため息をついた。


「お兄さん、お悩みですか」


 隣のテーブルに、いつの間にか男が座っていた。

 どこにでも居そうな顔立ちで、中肉中背パーカー姿の男。歳はノアと同じか少し下くらいに見える。


「誰だ急に」

「占い師ですよ、占い師。ほら、これ」


 男はノアに名刺を渡す。香食零斗、それが男の名前だった。


「壺とかなら買わないぞ」

「この不景気にそんなしょうもないもの売りませんよ。金が欲しいならもっとちゃんと人間の不安につけ込みます」


 そう言って零斗はカラカラと笑う。ノアは眉をひそめる。


「疑うなら占っても良いですよ、無料で」

「占いは結構だ。その後、何か売りつけてくるんだろ」

「ひっどいなあ。ただの趣味ですよ。良くないものと縁ができているみたいだからちょっと心配になっただけです」


 ノアはため息をつき、立ち上がる。

 するといつの間にか、彼の背後にユイが立っていた。


「お兄ちゃん、行こう」

「もう戻ってきたのか」


 ノアは現れたユイに少し驚きながらも嬉しそうに微笑む。

 一方、零斗はユイを見てギョッとした表情を浮かべる。 


「じゃあ僕はこれで退散させてもらいますよ。ご家族水入らずでどうぞ」


 そそくさと逃げ出す零斗。

 ――家族?

 ノアは首をかしげる。自分たちの行き先を知っているような口ぶりが気にかかった。


「お兄ちゃん、今の人は?」

「知らない人だよ。ユイは知らない人から声をかけられても相手にしちゃダメだぞ」


 ノアはユイの手をとってその場を後にした。


     *


「なんでお父さんとお母さんの家はこんなところにお墓なんて作ったんだろうねえ」


 ホテルへ向かう車の中で、ユイはポツリと呟く。


「ああ……生きてりゃ何か聞けたかもな。山の上だし、寒いし、田舎だし。良いところなんて何もないように見えるんだけどな」

「私は結構好きだよ?」

「そうか? 俺には街そのものが大きな墓場に見えるよ。今まさに自然の中へ還る途中だ」

「なんか静かで、穏やかで、良いと思うんだけどなあ」


 窓の外の風景は何処まで行っても山の中、森の中。樹々が途絶えることはない。立体的に展開する緑の壁は、行く手も来し方も流れる町並みも全てを覆っている。残った民家が飲み込まれるのも時間の問題だ。


「田舎なんて実際に住めば面倒なもんだぜ。ゴミ出しとか、アパートとか、変な住人とか」

「あはは、本州ないちじゃないんだから。そんなの無い無い」

「幼稚園もほとんど子供とか居ないしな。同年代の友達があんまり居なくて寂しいもんだぜ」

「あっ、私が物心付く前に札幌出ちゃったからなあ。そこらへんは否定できないかも。子供できても寂しい思いさせちゃうのは嫌だなあ」


 森と住宅地のチグハグなパッチワークを、ノアの操る黒い車が通り抜けていく。しばらくすると住宅地は減って、時代錯誤的バブリーな巨大建造物が顔を出す。三角定規によく似た形のそのホテルが、今晩の彼らの宿だ。


「荷物をおいたら墓参りに行くぞ」

「はーい」


 車は駐車場に停まる。ホテルの前には地元の祭りの看板。ユイは笑う。


「今回も花火あるよ花火! 楽しみだねぇ!」

「二人で見ようか」

「あはは、私たち二人以外に誰が居るの? お父さんもお母さんもお墓の下だよ」


 ノアは車から降りて荷物を取り出す。

 ふと、ユイと手が触れあって、動けなくなるノア。

 ユイは気にすることもなく、自分の荷物を持って行ってしまう。

 ノアは慌てて彼女の後を追いかけようとした。だが彼の足は止まる。視線はホテルの向かいのガソリンスタンドを囲む林に注がれる。


「お兄ちゃん? 何処見てるの?」


 先行していたユイが戻ってきてノアに声をかける。

 ユイがノアと同じ方を見ようとしたところで、ノアはユイを制した。


「なんでもないんだ。なんでもない」


 林の中に居た“それ”は、ノアがユイと共にホテルに消えたのを見届けると、四本の足でまた山の奥へと駆け出した。薄汚れた毛皮、小さな角、意思を感じさせない黒い瞳、奇妙にのっそりした動き。鹿か何かとノアは考えた。


     *


 墓参りを終えて、ホテルのバイキングを楽しんだ二人は部屋でくつろいでいた。

 窓の外では光の花が咲いては消える。

 あとに残るのは薄くたなびく白煙ばかり。

 先の花火の煙が濃くて、後の花火ほどぼやけて見える。

 そんな有様で、もはや目を奪う美しさもない筈なのに、暗い部屋の中で二人だとそれ以外に何もなくて、二人はぼんやりとそれを眺めていた。


「お兄ちゃん、休みは何時までだっけ?」

「十八日まではお休みだよ」


 ノアは声の方を見て、ベッドに無防備な浴衣姿で寝そべるユイの姿を見て、また窓の外へと視線を向ける。

 はだけた胸元が、頭の中から消えてくれない。闇の中で僅かな光を受けて浮かび上がる白く柔らかな肌。


「じゃあ明日はお買い物付き合ってよ。まだ結構休みはあるでしょ?」

「休ませてくれよ。社会人ってのは案外きついんだぞぉ?」

「女子高生とデートとか、超贅沢体験だよ? お金いくら積んでもできないよぉ?」


 二人は同時にクスクス笑う。


「デートといえば、彼氏とか居ないのかよ?」

「ん~、いいなあって人はいるけど」

「けど?」

「今付き合ったらさ、こう……なんていうか、本当に高校生としてこの人と付き合って良いのかなーとか、思う。兄ちゃんぶっちゃけどう? 元男子高校生としては? モテてたじゃん?」

「どうって……」


 ――部屋が暗くて良かった。

 ノアは自分の醜い表情を妹に見られずに済んだことを安堵する。

 ――まだ、お兄ちゃんでいられる。


「迷うんならやめといたらいい。女の子は特にさ」

「……えへへ、兄ちゃんが言うならそうするかな~。嫁き遅れたらお兄ちゃんもらってよ」

「はは、冗談でも、そういう事言うもんじゃないぞ」


 花火はいつの間にか終わっていた。 

 窓の外で細く流れていく花火の煙が月明かりに照らされる。

 それはどこか人の顔を思わせるような奇妙な形に歪んでいた。

 覗かれているような気がして、ノアはそそくさとカーテンを閉めようとする。

 

「さて、さっさと寝るぞ。明日も早いんだしさ」

「はーい!」


 ふと、ノアは眼下の闇に視線を落とす。

 冬ならばスキー場になっているのだが、今は真っ暗闇の中。

 何も見えない。月明かりがあるはずなのに。先程まで花火を打ち上げる人間が居たはずで、彼らが歩くための明かりくらいはあってもいいだろうに。


「どうしたのお兄ちゃん?」

「なんでもないよ」


 違和感はあった。間違いなくあった。だがそれをノアは黙殺することにした。今見た何かを忘れるべく、彼はカーテンを閉めて部屋の明かりを消した。闇の中でユイがメガネを外し、ケースにしまうカチャカチャという音。ノアはユイの居ないベッドに潜り込む。


「おやすみユイ」

「おやすみお兄ちゃん」


 ノアが次に目を覚ました時、上戸ユイの姿は消えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る