煙草

隙間

「君には分からないよ。」

 煙草を燻らす彼女はそう漏らす。

 彼女の言葉は生暖かく、ねっとりした風に吹かれて、見当違いな所に飛んでいき、夜の帳に吸い込まれ、消えていく。

 多分、僕は彼女を理解ってない。だから彼女の中にポッカリと空いた穴を埋められない。彼女との数十センチの間も埋められない。

 "相互理解の促進"なんて理想主義者が唱えそうな文句がふと、真っ黒な海から浮き上がってくる。思えば、僕は彼女を知らないが、彼女も僕のことを知らない。互いに知っているのはせいぜい名前と、煙草の銘柄ぐらい。

 殆ど赤の他人、ボロアパートの隣人同士だ。なんなら洗濯物に煙草の臭いが付くと苦情を入れたことすらある。隣人のことを深く理解する人間などいるだろうか。いたとしたら相当な変人か、ストーカーだ。

 何も言わず、何も起こらず時間は過ぎていく。ギラギラと、月明かりを反射する光点だけが、僕達を包む暗闇の中を蠢いている。

 彼女が立ち上がる。猫たちは蜘蛛の子を散らすようにスタタッと走り去っていく。

「帰る」

 蝉の巣窟と化した階段を駆け上がる。蝉たちもバタバタと飛び去っていく。

 彼女が部屋に入る直前、思わず声を張り上げた。

「分からなくたっていいじゃないですか」

「は?」

「その方がお互い気楽でしょう?」

 隙間があった方がたぶん、いや、きっと、楽じゃないか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る