7-4 地獄しかありません!

 第一想定が終わり。

 駐屯地に戻ってきたあたしたちは、さっそく、後片付けと道具の整備に追われていた。


 疲れきった身体に、どこかずしんと重い空気。そんななか――ぽつりと、誰かが呟いた。


「俺……原隊戻るわ……」


 あたしたちはハッとして、小銃を整備する手を止め顔を上げた。


「レンジャー佐山!?」

「おまえ、なに言ってんだよっ! まだ、第一想定が終わったばっかじゃんか」

 慌てて言うレンジャー瀬川に、レンジャー佐山はふるふると首を横に振った。


「始まったばかりで――だもんな。俺……ついていける気、しねぇわ……」

「まぁ……やべぇなって、思うけどさ……」

 ちらっと廊下の方を見ながら、レンジャー瀬川は頷いた。外は静かだったけれど、いつ助教が見回りに来てもおかしくないからか、声量を少し落とす。


「第一想定でこんな事故があったんだし。この先、少しゆるくなるかもしんないぞ?」

「――もしかしたら、訓練自体が終了するかもな」

 ぽつりと言ったのは、糸川三曹だ。

「悪けりゃ、死ぬとこだったしな。そうなれば――全員、原隊だ」


 その言葉に、場がしんと静まり返る。


 みんな、なにを考えてるんだろう。小塚さんが大変なときに、これからの訓練の話なんて。

 そんなの……そんなの考えるのは、小塚さんが戻ってきてからで充分だもの。


 でも、もし。もし……小塚さんが、戻って来れなかったら? あたしのせいで、小塚さんが戻ってこられなかったら。


 座っているのに、目の前がぐるぐる回り始める。


 あたしは――。

「あた、し……も」

 ふと、呟きかけた言葉に。あたしは自分自身がハッとして、言葉を飲み込んだ。


 ふと、ミズキと目が合う。

「……アキラ。あんた――」

「おい、やってるか」

 不意に部屋へ入ってきたのは、沖野助教だった。その表情は、少し明るい。


「病院から連絡があってな。小塚のやつ、体調も安定して、とりあえず一安心ってとこだそうだ」

「……! 良かったぁ……っ」

 り固まりかけていた室内の空気が、ふっと柔らかなものに変わる。


 救急車で運ばれて行った小塚さんは、当然、駐屯地内の医務室ではなく、ちゃんとした病院にいるはずで。会って、謝りたいのに。それすら、ままならない。


「あとなぁ。一応言っておくけどよ、訓練は中止にはなんねぇからな。話し合いはして、再発防止にはつとめることになったけどよ。

 ――まぁ、そこらへんは俺らが分かってりゃ良いことだから、おまえらは気にせず、次の準備しとけよ」


 「じゃ、しっかりな」と部屋を出ていこうとする沖野助教を。あたしは慌てて立ち上がって追った。


「沖野助教っ、待ってください!」

「――んだよ、レンジャー小牧」

 廊下を出てすぐのところで沖野助教は立ち止まると、振り返って軽く首を傾げた。


「あ、あの……小塚さん……レンジャー小塚は、いつ頃から復帰になりますか……?」

「……衛生のおまえが、それを訊くのかよ」

 ポリポリと頭を掻いて、沖野助教が深く溜め息をつく。


「もう、小塚は戻ってこない」

「え……だって」

 ――回復、したんでしょ?

 そう言いたい、あたしの目を見て。「あのな」と沖野助教は頭をおさえた。その様子は、久しぶりに素のを見ているような、そんな感じがする。


「……一時いっときとは言え、心肺が停止したんだ。例え、第二想定は休んだとしても――一週間足らずで、まだまだどんどんキツくなってく想定んなかに、ぶっ込めるわけねぇだろ」

「で、でも。小塚さんは、戻ってくるって」

「本人はそう希望している。実際、能力も資質も高いヤツなだけに、残念だけどよ」

「あっ、あたしが!」

 あたしはなかば、つかみかかるように沖野助教の腕を取った。


「あたしが……あたしの担当していた爆薬を、持たせてしまったからで。それがなければ、きっと。だから――」

「あいつは、自分から持つって言ったんだ。任務遂行に支障はないともな」

 沖野助教は、すっかりいつもの厳しい顔に戻って、ピシッと言い放つ。


「自分の体力や身体状況を見誤みあやまったなら――それは、あいつのミスだ」

「でも、ほんとは」

「だいたい、事前に負荷を強めたとは言えな。あれぐらいの追い込みは、想定の後半になればなるほど、もっと激しくなる。あいつの身体が――訓練についてこられねぇってことだ」

「そ……んな」


 だって。小塚さんは、ちっとも悪くないのに。悪いのは、訓練が始まる前からケガなんかして、自分の役目も果たせなかった、あたしなのに。


 それなのに、小塚さんがいなくなって。あたしが――残る、なんて。


「あの……あたし、だったら、あたしが……戻りますから。あたしが原隊に戻りますから、小塚さんを……ッ」

「――なに言ってるんだ? おまえ」


 途端。沖野助教の冷たい目が、あたしの胸をひやりと刺した。


「てめぇが辞めるのは勝手だけどよ。それで小塚の体調が良くなるわけじゃねぇだろうが。原隊戻んのが、一人から二人に増えるだけだ」

「ぁ……」


 それは、確かにそうで。

 あたしは一体、なにを言ってるんだろう。

 ――なんだか、視線が定まらない。


 あたしは、だって。でも。


「レンジャー小牧。おまえ……逃げたいんだろ」

「え……?」


 足元に向けていた目を上げると、淡々とした目が、あたしをじっと見つめていた。その色に、背筋がぞくりと震える。


「自分のせいでレンジャー小塚が、原隊に戻ることになった――その責任と罪悪感から、逃げたくてしかたねぇんだろ」

「あた……あたし、は」


 なんでだろう。勝手に、足が後退あとずさりしそうになる。でも、それをしてしまったら――何故だか、そのまま足を踏み外して崖にでも落ちてしまいそうな。そんな、ぞくぞくと肌をあわ立てる怖さが身体にまとわりつく。


「おまえがもし、逃げたら――確かにおまえは、一時いっときでも救われるかもな。けど、それで原隊に戻って――小塚になんて言うんだ?」

「え……?」

「自分も辞めてきたから、また一緒に訓練受けられるように頑張ろうとでも言うのか? それ聞いたら小塚は――なんて言うんだろうな」


 ずくんと、心臓が痛みをともなって跳ねる。


「あたし……は」


 あたしが、小塚さんを差し置いてレンジャーになったら――小塚さんはどう思うだろう。


 でも。


 あたしがもし今、レンジャーをあきらめたら――それは、小塚さんが原隊復帰してしまったこと自体を、まったくの無意味なことにしてしまうって、そういうことで。


(――後悔したら、あかん)


 小塚さんの言葉が、頭に過る。

 でも、小塚さん。そんなの、無理だよ。どうしたって、後悔しかないもの。どうしたって、またあなたに笑ってもらうことが、できそうにないんだもの。


「――っ」

 また、涙が出そうになる。あたしは、いつからこんなに弱くなったんだろう。

 自衛隊入って、いくつか資格も取って。レンジャーなんか目指したりして。その挙げ句、人助けのプロだなんていい気になってケガしちゃって。

 弱いくせに。なんの役にもたたない、足手まといのくせに。その結果――こんなことになって。


「あた……あたし、もう。どう、したら――ッ」

「……なら、とっとと辞めちまえ!

 一人でさっさとここから帰れ! てめぇの尻も拭けねぇで泣いてるようなヤツが、レンジャーとして任務をまっとうできると思って――」


 ダンッ! と。

 不意に、目の前で激しい音がして。沖野助教の言葉が止まった。


 あたしと、沖野助教の間に。いつの間にかミズキがやって来ていて、壁に手を突いている。


「――すみません。転びかけてしまって」

 にこりと。珍しく笑顔で、ミズキは沖野助教に謝罪した。そのままバランスを立て直すと、改めて沖野助教に向き直り、姿勢を正す。

「学生全員、銃の整備終了いたしました。これより、返却に参ります」

「……あぁ、分かった」

 まるでなにごともなかったように、沖野助教は頷いて、くるりとあたしたちに背を向けた。


 そのまま一歩踏み出しかけ――ふと。その足が止まる。

「レンジャー小牧。どう行ったって、地獄なら。せめて自分が行きたい地獄を選べよ」

「……レンジャー」

 振り返りもせず言われた言葉に頷くと。沖野助教はそのまま、また歩き出して行ってしまった。


「――ねぇ」

 ミズキの声に、あたしは涙を拭うこともできず、ぼんやりとそっちを見た。

 ミズキはいつになく優しい顔で、あたしを見つめている。


「あんたの分も、終わらせといたからさ。さっさと片付けて。そしたら、さ。ちょっと、付き合ってくんない?」

「付き合うって――なにが?」

 今一つ頭の働かないあたしが、鼻をすすりながら訊ねると。

 ミズキはにやりと、黙って笑ったのだった。

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