第3話 死因

 三人を客間に移し、冷たい水を給仕するため使用人を二人ほど動かす。三人のメンタル面でのケアの意味もあるし、不用意な動きを監視する意味もある。歓談の宴会場から毒の潜んだ犯行現場と化した空間で、楓様の「調査」は始まった。


「榎本様……」


 とはいえ、いかに毅然とした仮面を被っていようとも、楓様は死体を――親交のある方の死に顔を見ることに適応できたわけでもない。震える声で名前を呟き、死体の近くに静かにしゃがみ込む。そうして両手を合わせ、数秒間冥福を祈った。楓様の背後に立つ私もそれに倣っておく。せめてもの儀礼だ。

 シルクの手袋をはめ、楓様は指紋を残さないように静かに死体を検分する。これも派手に手を出せば専門家である警察からお小言を言われるだろうから、できるかぎり細心の注意を払う。その手つきがあまりに不安定で指先が震えているので、思わず私は口を出した。


「楓様。僭越ながら私が検分いたしましょうか」

「芥。で、ですが」

「ご無理をなさってはなりません」


 数分前の発言はその場しのぎの言葉とは思えなかった。ホストとして自らの責任で問題を解決して見せる、その心意気やよし。しかし適材適所という言葉もある。育ちの良いご令嬢である楓様が死体に触れ、ましてや検分するなど難題にも程があろう。

 深呼吸をひとつして、楓様が私を見て問う。潤んだ瞳が不安定に揺れていた。


「芥こそ……こういったことは慣れているのですか?」

「少なくとも、楓様のお役には立てるかと」


 楓様は沈黙の後「……お願いできますか」とか細い声で囁いた。主人に求められるのは従者の本懐。私は極力柔らかく微笑んで「仰せのままに」と返答した。張りつめた緊張の糸を少しでも緩められるように。


 さて。楓様を一歩後ろへ下がらせて、私は手袋をはめた手で死体の検分を始めた。警察と救急車が来るまで十分以内。そこまで多くの時間は残されていない。犯人の特定までは至らずとも、せめて手がかりが掴めれば及第点だろう。

 口の端に泡。半開きの口の中を覗くも食べかすは見つけられない。嚥下した後だったということか。口からの血を吐き出した痕跡もない。喉元を激しくかきむしった痕跡。爪の先が薄い皮膚に食い込んでいる。凝固し始めた血が爪の先に付着していた。

 激しい抵抗や異質が見られたのは胸から上ばかりで、下半身には大きな異常は見られない。痙攣やしびれなどがあったならまた別だが……いずれにせよ死んだ現在では判別しようがないことだ。


「出血は首をかきむしった際、爪が刺さって少し。他には見受けられません」

「……出血の伴わない死因、ですね」

「ええ。楓様ならば既に察してらっしゃるかと思いますが」

「榎本様は、何者かに毒を盛られて命を落とした」


 私は静かに頷く。


「食事中の死亡ですので、その可能性が高いかと」

「榎本様が苦しみ始めたのは本当にすぐで……グラスのワインで乾杯し一口。それからオードブルに手を伸ばされたときにはもう、ナイフを落としていました」


 流石楓様。時系列の把握を含めて子細な観察力である。


「榎本様はワインしか口にされなかったと?」

「ディナーの席について口をつけたのはそれしかありません」


 楓様は断言する。


「もう少し付け加えるならば、席についてから榎本様に近付いた者はおりません。芥がワインをグラスに注いだのが最後でしょうか」

「ちなみに楓様、私が榎本様に毒を盛った可能性も」

「縁起でもない憶測はやめてください、芥」


 楓様に咎められる。左様ですかそれは失礼いたしました、と私は小さく頭を下げた。


「では、このワイングラスに毒が付着していたと?」

「調べてみましょう」

「……できるのですか?」


 驚かれた声を出す楓様。私は無言で頷き、食器棚から銀のナイフを一本取りだした。


「楓様、銀食器を採用する意味はご存知ですね?」

「ええ。……まさか」

「もし、今回使われた毒がシアン系やヒ素であれば、という仮定になってしまいますが」

「銀と化学反応を起こし、黒く変色する」


 これが鑑識であれば専用の薬品やらで毒の種類を調査したり、どの程度痕跡が残っているかも判断できるのだろうが、初心者である我々にそんなキットは存在しない。ここは古の貴族の風習に習って、古典的ではあるがオーソドックスな確認をしておくべきだろう。

 銀のナイフでワイングラスの淵をなぞる。次の瞬間、ナイフの先端がじわりと黒く変色した。背後で楓様が息を詰まらせる音を聞く。


「こんなにうまくいくとは思いませんでした」

「本当に、毒が……」


 念のため、榎本氏以外のワイングラスも調べてみる。だが毒性反応は出ず、ナイフは銀色の輝きを曇りなく放つばかりであった。


「榎本様のワイングラスにだけ、毒の痕跡があった。つまり犯人は榎本様を狙って毒を盛ったのですね」

「そう考えてよろしいかと」

「ですが、どうやって?」


 楓様はテーブル上のワイングラスを見やり、新たな問いを投げる。


「このワイングラスは我が久世家が用意したもの。毎日曇りなく磨いていますし、見た目にまったく違いはありません。どのグラスが出されるかもわからないのに、どうやって榎本様のグラスに毒を盛ったのでしょう」

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