第6話 越前大野に根付く

会社は二十日締めで二十一日から翌月の二月分にはいる。その出だしが本郷美希の貸切で始まった。幸先良いスタートダッシュで他の同僚を尻目に景気の良くない二月としての山路は調子が良かった。

 朝の通勤通学のかき入れ時が過ぎてトイレ休憩を兼ねて北山辺りの公園に行くと先客があった。しかもうちのタクシーが公園トイレの傍に停まっていた。そのタクシーの車番は西本さんのだった。本人か ? 彼が休みなら別の者が代車で乗務しているのかも知れないと車内から様子を見た。トイレから出て来た西本さんを見届けて山路は車を降りてトイレへ向かった。

 どや、まあまあやとハイタッチのような会話をしてすれ違った。用を済ませた山路は傍のベンチで一服する西本の隣へ座った。

「先日の無線配車は上客か」

「新年の挨拶回りであれからほぼ一日貸切でした」

「ほ〜う、何やそれは、そんな客を山路はん持ってたか ?」

「いやーそれが最近十日ほど前に新年会帰りのお客さんを乗せたんですけどそのお客さんのご指名なんです」

「そんなんありか」

「それがありなんです私もびっくりしてます」

「それりゃあ瓢箪から駒やないか」

「出て来たのは駒でなく五年前の震災の欠片かけらなんです」

「何やそれりゃ」

「あくまでも欠片、断片ですから全体像がまだ見えませんから今は何とも言えませんが……」

「ホゥ〜カ、まあそれなら聞いてもしゃあないわなあ。それより山路はん何度も言うようやが……」

 ーー山路はん早う持ち家を買うこっちゃ。今はそんな余裕はないと思てんと家賃程度のローンを組めば良い。年金生活になれば最低でも四、五万の家賃を払えば生活費は残らへんさかい家賃の支払いがなければ何とか生活出来る程度の年金やと思わんとあかん。今の家賃程度のローン返済なら不便な所しかないが年金生活で通勤が無くてそれで自活するならそれで十分と思わんとあかん。

 これは年金生活を目前にした西本さんの偽ざる教訓で、西本さんは会う度に言ってくれる忠告だった。

「今は上客でも先は分からんから当てにしたらあかんで、一方ではコツコツと短い客でも確実に掴んでいかんと後で苦労するで」

 煙草の吸い終わった西本はベンチから重い腰を上げて自分の営業車に向かった。山路は遠ざかる彼の車を見ながら昼からの稼ぎに車を始動した。


 今日もそこそこの水揚げになると西本さんの教訓もむなしくいつもより早めに入庫してしまった。納金を済ませてタクシーを洗車していると珍しく隣の車番の松井も入庫して来た。松井もタクシーの洗車を始めるとやっかみ半分で「山路さんの最近調子よろしいですね。上客掴んだんですか。一人勝ちはずるいですよ」と絡んで来る。

 何言ってんだそっちの調子の良いときは掴んだ遠距離客の自慢話ばかりしてといい気なもんだと松井を適当にあしらった。それより奥さんとはどうなんだと話を振ると松井は散々だと貶し始めた。延々と続く奥さんをこき下ろす松井を見ていると殴られると云う奥さんの話には真実味が帯びてきた。

「収入の大半を占めている奥さんをもっと大事にしてやれよ」

「あいつは直ぐ調子に乗るからこれぐらいが丁度いいんですよ」

 と悪びれる様子もなく淡々と語っていた。

「それより山路さんはどうなんですか」

「何がどうなんだ」

「聞きましたよ一緒に暮らして居た人と別れた話を」

「それはおととしで一年以上前の話しだ」

「だから女はチヤホヤすると直ぐに調子に乗って我が儘になるんですから挙げ句の果てに亭主が気に入らんと別れる女が結構居るそうですよ」

「俺の場合は別な事情だ」

「それ以外に何があるんですか」

 女に対して視野の狭い男だなあ。だからすぐ手をだすんだろうなあ。

「お前に云っても解らんだろうなあ」

 そう言って先に洗車を切り上げると空いたスペースに移動させてあった軽自動車に乗り込んだ。その時に本郷美希から一週間後の期日を指定した貸切予約のメールが入って来た。もちろん了解の返信を入れた。そして居ても立っても居られず事務所に戻り休みを入れた。

「今から連休か月締めになったらまた慌てんでもええように今稼いどかな後で往生するぞ」と松本係長に半分脅しのように引き留められたが気になってそれどころじゃなかった。


翌日山路は一泊二日で越前大野に向かった。

 昼には越前大野に着いた。岡田さんは今度は駅まで迎えに来ていて改札を抜けると荷物を持ってくれた。

「いいんですか調理場ほったらかして」

 三時頃から夕食の仕込みが始まりますからそれまでは今日は暇ですからと笑って迎えてくれた。この笑顔に応える為に俺は来たと密かに心に問うた。

「女将さんが云うには『あの人はあなたには福の神かも知れんから大事にしい』と言われました」

「それじゃその内に団体客でも連れて来ないといけなくなりますね」

 まさかそこまでの思い込みはないですよと二人は笑いながら車を走らせた。

 まず岡田さんの持ってる十一面観音菩薩が長谷寺の御本尊どうか確かめる必要が有った。そこで車中でもう一度あの仏像を見せてもらった。

 実物は十メートルもあってしかも顔だけしか拝めず全体像は分かり難かった。山路は長谷寺の参道の門前町の仏具店で似たような物を見付けて写真を撮った。そして店主に御本尊の観音様の見分け方を訊いた。見分けは簡単で手にもっているものが違うだけだった。右手に錫杖、左手に水瓶を持っているんです。これが長谷寺の十一面観音菩薩の特徴ですと聞かされた。

 山路は今一度、写真と寺の案内状の観音像を見比べた。

「岡田さん、これはやっぱり女将さんが言われたとおり長谷寺の御本尊の十一面観音菩薩です」

 これには岡田さんもいたく恐縮された。

 車は旅館とは反対方向に走っていた。

「何処へ行くんですか」

「いつも天空の城の撮影ポイント巡りですから今日はひとつ城へ行ってみませんか ?」

 それはいいですねと承諾すると車は城の南側の駐車所に止まった。

「見ての通り山城ですから結構きつい登り坂の道が続きますから一寸此処で蕎麦でも食べてから行きましょう」

 言われて近くのそば屋に入った。岡田さんはそこで携帯を取りだして少し離れた場所から旅館に連絡を入れた。

「いや一ちょっと女将さんに一応一報入れておかないとね」

 そう云いながら蕎麦が来る頃に岡田さんは席に戻った。

「仏像の件もついでに話しましたよ」

 当旅館のお客さんである山路さんがそこまで尽くしてくれたことに女将さんもいたく感動された。同じリピータ客でも山路さんは間隔が短く普通は年に二、三度でもよく来てくれるのに三ヶ月でもうその域に達した山路さんをちゃんと案内したげなさいと言われたらしい。

 あの旅館の女将さんは前回の時に一度挨拶を受けた。その時の印象では四十代に見えて着こなしの良い和服と相まって品の良さは旅館の女将としては申し分の無い人だった。


 駐車した南側は城の大手門でなく搦手からめて門だった。天守には西側が近いがこの門は復興城門で一番に趣があった。それとあえて城の作りが解る南から入り、江戸時代に作られた百間坂に寄ってから幾十にも曲がりくねった山道の最初に有る東屋の中に幕末の大野藩の歴史解説が有った。

「わざわざ遠回りしたのはここの解説を見せたかったのですよ。とにかくこのわずか四万石の藩とは思えないほど幕末には日本の魁けになった藩ですよ」

 藩主の土井利忠は財政改革を行い飢饉によって作った借金を返済して、更に他藩に魁けて西洋の技術を取り入れて近代化を図っていた。明治維新の十年前からは西洋式のスクーナー型の帆船を建造して樺太開拓にも乗り出していた。

 樺太の鵜城に会所(運上屋)を置いて南は久春内くしゅんない群三浜村の来知志らいちし以北から、北は北緯五十度付近の幌渓ほろこたんまでの二百キロ近くの樺太東海岸側を準領地として幕府から認められた。

「もし越前大野藩が北緯五十度まで樺太開拓をしていなければ日露間で幕府が北緯五十度国境線を主張してもロシアが日本人は定住していないではないかと言われれば主張の根拠が無いわけですから反論できなかった。それがどうです、ここに定住している藩は幕府から軍備までの自治権を認められたひとつの行政機関ですからね。どうですか山路さんこの越前大野藩のフロンテア精神は凄いと思いませんか、私も負けてられませんよ」

 どうやら居場所のなかった岡田さんは此処を自分の郷土として懸命に根付かせようとしている。それは記憶の無い彼には自分の存在意義を高めたいと云う反動から来ている。そして山路啓介の為に越前大野の誇れるスポットを彼なりに探して相当勉強したようだ。そしてそこになんとしてでも失ったものを取り戻すと云う精神を重ね合わしているようだった。

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