第4話 絵の汚れ 落とし方

ドキドキする。怒鳴られる覚悟もしたし、無視される覚悟もしたし、泣かれるかもしれないとも思った。いくら覚悟しても不安は去らない。それも受け入れて、進まなくちゃいけない。私はそれだけのことをしたんだ。

 

意を決してドアを開けた。

 

あいつは絵のそばでぼんやりと座っていた。はっとした。その横顔は、泣いても起こってもなくてやっぱり前に見たのとおんなじ無表情だった。ただ、夕日に照らされたその顔は、悲しいと言うよりも寂しさを押し殺しているように見えたんだ。

 

あいつはゆっくりとこっちを向いた。私が視界に入っても、その表情は変わらなかった。


私は震える足で近づいて、思いっきり頭を下げた。

 

「ごめんなさい!謝ってもすむことじゃないのはわかってるけど、ごめんなさい!」

 

顔を上げるのが怖かった。睨まれたりなかれたりするのが怖かったんじゃない。それよりも、あの寂しそうな顔を間近で見る方が、耐えられない気がした。

 

「あなたがやったの?」


抑揚のない声。

 

「私がやりました。……この前、なんか、眼中にないって追い払われたような気がして……それでむしゃくしゃして……そんな小さな理由で、自分勝手な理由で……本当にごめんなさい!」

 

言ってて泣きそうになった。自分があまりにも小さくて、情けない人間の気がして。それでも泣くもんかって、下唇を血が出るほど噛んだ。本当に泣きたいのはこの人なんだ。私には、泣く資格なんてない。

 

「顔、上げて」

 

ビクッとして、恐る恐る顔を上げた。綺麗な顔が少しだけ困ったように歪んでいた。

 

「ごめんなさい」

 

そう動く唇を見て、思考がフリーズした。

 

それはわたしのセリフのはずなのに、なんであんたが言ってるんだよ。

 

「私、わからないのよ。人がどうやったら傷つくのとか、私に反感を持つのかとか……私は普通にしてるつもりなんだけど、私の所作や言葉はきっとみんなにとって心地よいものではないのね」

 

きっと他人と生きるのが苦手なのね

 

そう言って寂しそうに笑った。初めて見た笑顔だった。

 

その顔に傷つけられた。やめろよ、と言いそうになった。どんな風に笑うのかと考えたことはあったけど、そんな顔が見たいわけじゃない。謝りにきたのは私なのに、そんな言葉が聞きたかったわけじゃない。

 

「ごめんなさい。きっと気づかないところで貴方達を不快にさせていたのね」

 

我慢の限界だった。

 

「……やめろよ」

 

「え?」

 

「やめろって!なんであんたが謝るんだよ!悪いのは私だろ!あんたが謝ることなんてなにもないだろ!」

 

止まらなかった。

 

「大切な絵なんだろ!私は絵とかよくわかんないけど、すごい綺麗な絵だから、きっと頑張ったんでしょ⁉︎」

 

きっとこの人は、今までそうやって押し殺して生きてきたのだ。コミュニケーションが苦手で、空気が読めなくて、孤立して、それを全部自分のせいにして。不器用だから、釈明もできなくて。自分のせいにすれば全て収まるって、そう思って。

 

「あなた、泣いてるの?」

 

「泣いてない!」

 

私は加害者だ。きっと何も言う資格なんてないし、こうやって逆上してるのなんて意味わかんない。それでも、この人が謝るなんて間違ってる。この人をそうさせてしまった人も、世界も、全部間違ってる。私は馬鹿だけど、そのくらいはわかるんだ。

 

「泣かないで」

 

うつむいて泣くのをこらえていたら、急に柔らかいものに包まれた。

 

「ごめんなさい……。ねえ、泣かないで。ね?」

 

その声はひどくオロオロとしていて、私の背中に回された手はきつくて苦しかった。きっとまた勘違いさせてしまった。この人に、自分が悪いと責めさせてしまったことに気づいた。

 

私はすぐに泣き止んで、間違いを訂正するべきなのに。

 

腕の中があったかくて、優しくて、切なくて、気づけば涙が止まらなくなっていた。

 

 

 

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