第45話 トリックスターは女騎士の夢を見るか?


 帰りは楓さんが車を出してくれた。


「彼女を、無駄に人目にさらすこともないでしょう」


 確かにその通りなんだけど、社長夫人自ら運転手を買って出てくれたのは恐縮だ。とはいえヘタに遠慮するのも逆に失礼だろう。バスの時間も合わないし、御厚意に甘えることにした。


 そうして火尾木村へと向かう車内でのこと。

 

「アオツグ、お昼のことなのだが……」


 そう切り出したアルルの声は、少し申し訳なさそうだった。

 昼……? ああ、昼休みに学校きてた件か。そういやまだ事情を聞いてなかったな。そもそもはそれで大騒ぎしてたってのに、続くドタバタのせいで完全に頭から抜けてた。


「ベニヒメがな、お弁当をうらやましがっていたのだ」


〝アオ兄はいっつもアル姉の弁当食べれていいなあ……〟


 何気ないメッセージのやり取りの中での、同じく何気ない書き込みだったようだが、真に受けた生真面目で世話焼きのアル姉さんは、早速に弁当を用意して、遥々と神之原学園まで届けにやってきたらしい。


「……明日からじゃあダメだったのか? 朝、紅姫をウチに寄らせるか、もしくは俺が受け取って渡したっていい。……その、こないだのケータイショップの騒ぎがあるから、今はあまり人目につくような真似は避けて欲しいんだよ」

「うむ、その通りだな。すまない、確かに軽率だった。可愛いベニヒメのためならばと、つい張り切ってしまったのだ」


 神妙に反省しているアルル。

 まあ、済んだことは仕方ない。

 実際、こっそり裏門で弁当受け渡すだけだったら、問題は無かったかも知れない。俺が先走ったのが一番マズかったんだ。


 今はとにかく、人目につかなかったことを祈りつつ……。


 俺は隣のアルルを見る。

 後部座席に座した俺たちは、ふたり並んで……というにはちょっと距離が離れてる。俺が右の窓際で、彼女が左の窓際。てっきりすぐ隣に座ってくると思ったのに……いや、人前では無闇にくっつくなと言ったのは俺なんだし、これが本来あるべき距離感だろう。

 だから、それ自体は仕方ない。けど、何だかアルルの雰囲気が妙にぎこちないというか、思い詰めているように見えるんだよな。


 カタナ男について問い質したせい……か? 何か隠しているらしい彼女は、それが後ろめたくて動揺しているのかも知れない。


 フォロー……した方が良いだろう。

 けど、どうフォロ-したもんかね。


 などと考えていたら、スマホが着信、玄蔵伯父さんからの電話だ。


「すみません、伯父からです」


 運転席の楓さんにいちおう断ってから、通話に出る。


「もしもし、碧継です」

『はい、玄蔵です。実は急な出張が決まりまして、また紅姫のことをお願いしたいのですが』


 穏やかながらも単刀直入な切り出し。告げられた内容もまた同様だ。


 玄蔵伯父さんの仕事は輸入雑貨の貿易商。

 あくまで貿易商人であり、店舗を構えているわけじゃない。おまけに個人経営なので、仕入れの為に遠出をすることも多く、そうして長く家を空ける時には、いつも俺が紅姫の面倒を見ることになっているのだ。


『それで、今回は少し長くなりそうなのですよ。おそらく年内には帰れそうにありません』

「それは大変ですね……いや、俺じゃくて伯父さんの仕事の方が」

『ははは、わかっています。けど、奔放な紅姫あの子の面倒をみるのが大変なのも事実ですよ』


 いや、年末年始に休めない伯父さんの方が明らかに大変だろう。


『とりあえず、あの子には今夜からそちらに行くよう伝えましたので、よろしくお願いします。何かあったらケータイに連絡を』

「はい、いってらっしゃい伯父さん」

『ええ、いってきます』


 通話を終えて、小さな溜め息をこぼす。

 いつもながら微妙に他人行儀なやり取りだが、大部分は俺のせいだ。

 ハッキリと、後ろめたい。

 二年前の事件以降、伯父さんには苦労をかけまくってる。何より、伯父さんと紅姫を世間から守るために俺が弄した小細工については、伯父さんは一貫して良い顔をしていない。


 貧乏クジは必ず誰かが引くしかなくて、だったら、引くのはひとりで充分だ。だから、俺に世間の意識を集中しようという案に、まあ、当たり前だけど玄蔵伯父さんは反対した。

 そもそもウチのクソ親父が全部悪いんだけど、それは伯父さんからすれば己の愚弟が悪いってことで、なら、泥をかぶるのは大人である自分であるべきだと、そう主張していた。

 それでも、最終的に伯父さんが受け入れてくれたのは、頼堂さんが協力を約束してくれたのと、何よりも他に良い案が浮かばなかったからだ。


 紅姫を守るのは絶対条件。そして、伯父さんの評判が落ちれば商売に影響し、経済的に追い詰められる。なら、後は俺がやるしかない。

 そう言って無理矢理に押し切った。

 伯父さんとしては、今でもぜんぜん納得はしていないと思う。言ってみれば、甥っ子を生け贄にして保身している形だもんな。


「アオツグ」


 ふと、呼びかけてきたアルルの声。

 やけに近いと思ったら、すぐ隣に来てた。それも吐息が届くるような至近距離だ。


「うお! 何だ?」

「ゲンゾウ殿は何と?」

「え? ああ、仕事でしばらく家を空けるから、紅姫の面倒を頼むって連絡だった」

「ふむ、では、ベニヒメがウチに?」

「あ、ああ、しばらく泊まると思う」

「……そうか、了解した」


 アルルは頷きながら、ジッとこちらを見つめてくる。

 というか、さっきからずっと見てる。

 何だ? 何か言いたいのか? もしかして紅姫が泊まり込むのがイヤなのか? いや、そんなわけ無いよな。

 ならいったい何が……。


「あの……、アルル?」

「う、うむ……その……だな、アオツグ……」


 ズイッと前のめりに身を寄せてくるアルルさん。もはや隣に座しているとかいうレベルじゃ無い。腕こそ回してないが、ほぼ抱きついている密着度で、現に胸の膨らみは二の腕に完全に触れている。

 相変わらずやわこくてあったかい感触に、思わず逃げようとしたチェリーな俺だったが、すでにして画面端に追い詰められている状況だ。仰け反り強張ったところに、アルルはさらに詰め寄って来る。

 もはや鼻先は触れ合う寸前。いったい何なんだ? いつものスキンシップ……? にしては、アルルの表情はもの凄く真剣で、青い瞳がひたすら真っ直ぐに俺の眼を見つめ続けてくるのが良くわからん。


 俺は何か悪いことしたのか?


 けど、アルルの様子は真剣ではあるが、責めたり怒っている感じはしない。むしろ、何かに戸惑っているというか……。そうだな、この感じは前にも覚えがある。

 あれは……そうだ、ウチに来た翌日だ。コンポタの味見した後、俺が小癪にヤサグレた思考を抱いていた時だ。

 あの時も、アルルはこうして、俺に対してどう声をかければ良いのか困惑している様子で、じっと見つめ続けていた。


「アルル、何か、言いたいことでもあるのか?」


 ゆっくりと探るように問いかける。

 アルルは一瞬、戸惑うように唇を震わせた。息を呑んだのか、それとも言葉を呑み込んだのか、いずれにせよ返答に詰まったのは確かだろう。

 それからやや身を引き、すぅ……と、短く息を吸い込んでから、意を決してという表現そのままに、真摯な面持ちで切り出してきた。


「ベニヒメは……、その、貴方の家族……だな?」

「……?」


 突然何の話だ?

 わけがわからんけど、とりあえず、質問の答えは明白だ。


「あ、ああ、妹同然だし、そもそも従妹だしな。普通に家族だと思うけど……」


 少し言い淀んだのは、紅姫個人がどうこうではなく、俺にとっては家族という概念自体が少し遠いからだ。

 ずっと父子家庭で、オマケに父親はアレだったからな。いわゆる家族の団欒ってのとは無縁で、幼い頃は、それこそ紅姫と過ごしている時くらいしか、身内という繋がりを感じたことは無かった。

 だから、俺が知る家族という感覚は、兄分と妹分……兄妹という形だけで、親子という概念はどこか希薄な、正直、微妙に他人事なもの。玄蔵伯父さんのことは尊敬しているし、感謝もしているが、あくまで伯父としてであり、親戚としての親愛だ。父代わりと思ったことは無い。


 だから、そうだよな。

 だからこそ紅姫だけは、確かに俺の妹で、つまりは家族なんだろう。


「うん、紅姫は俺の家族だ」


 改めて、ハッキリと言い直した。

 取り繕ったわけじゃない、正直な意思。俺にしては珍しいくらい、感情的にも理屈的にも明朗で迷いの無い返答……だったんだが、対するアルルはヒクリと全身を強張らせた。

 驚いた……っていうより、感極まった表情か? しかも、それは喜楽ではなく、悲哀を堪えるような、今にも泣き出しそうな感じだったから、俺の方こそ驚いてしまった。


「アルル?」

「……あ、うむ……す、すまない。その……そう……ベニヒメは貴方の家族で……だから、わたしにとっても家族……で、良いのだよ……な?」


 アルルは言い淀み、惑いながら、言葉を探すようにおずおずと。

 何だ? 何を今さらそんな……。


「……オマエは俺の母代わりで、だから、俺の妹の紅姫はオマエの娘同然だって、初見の時に言ってたろ?」


 そんなこと、とっくに歴然としていたことだろうに。

 確かに、紅姫はアルルを〝姉〟と呼称している。が、俺なんかより露骨にアルルの母性に甘えまくってる。

 だいたい姉だって明確に家族だ。アル姉だろうがアルママだろうが、それは呼称の違いでしかないと思う。


 いったい何をそんなに不安そうに……。


「碧継、お前が彼女に〝人前ではベタベタするな〟などと、格好つけた態度を取るからでしょう」


 あきれもたっぷりな指摘は、運転席の楓さんから。


「推測ですが。紅姫がしばらく家に居るなら、家でもお前を撫でたり抱き締めたり添い寝したりできなくなるのか? と、アルドリエルは不安だったのですよ」


 は? 何だそれ?

 アルルを見れば、何だか真っ赤になって唇をアワアワさせながら、見開かれた青い瞳はそれでもなお真っ直ぐに俺を見つめたまま。


「あ……そ、そ、そうなのだ! ベニヒメが家族なら、あの子が居ても、わたしは今まで通りに貴方を撫でたり抱き締めたり添い寝したり〝あーん〟でご飯を食べさせたりしても問題無い! そうだよな? そうだろう? 家族なのだから!」


 まくし立てるアルル。

 何だその切羽詰まったハイテンションは?

 つーか人聞き悪いな。添い寝したのは停電の時だけだし、あーんで食べさせてもらったことなんざ一度も無いだろう。


「あのなアルル……」

「も、もちろんベニヒメも一緒だぞ! ふたりまとめて撫でたり抱き締めたり添い寝したり〝あーん〟で食べさせてあげたり一緒に入浴したりして愛でまくるぞ! 家族だから! 母だから!!」


 俺の腕をグイグイぎゅうぎゅうと抱き締めて力説するアルル。

 何か妄想が増えてるし……本当に、何でそんなに切羽詰まってる? いったい何に追い詰められてるんだオマエは……。


「仲が良いですね。実に興味深い」


 楓さんが溜め息まじりに言う。

 御乱心のアルルとは対照的なローテンション。けど、ルームミラーに映る口許は思いっきり邪悪な三日月型に笑んでいる。


「……アルル、ちょっと落ち着け、楓さんに笑われてるぞ」

「ッ!? あ……!」


 バッと運転席を見やったアルルは、気恥ずかしそうに口を噤んで、けど、離れようとはしなかった。むしろ俺の肩口に顔を押しつけるようにしてギュッと身を寄せてくる。

 言動を自覚して恥ずかしくなったのか?


 それとも────。


 赤面しながら取り乱していたアルル。

 それが楓さんの指摘通りに、俺とイチャつきたいという想いからなのだったら、何とも平和で幸福なんだけどな……。




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