第22話 暗いところで待ち合わせ


 何度でも言うが、十一月の日暮れは早い。

 さらに今日は曇り空。

 帰宅のバス車内にて、すでに外の景色は宵闇に包まれていた。この分だと火尾木村に着く頃には真っ暗だろう。


 秋から冬にかけてのこの時期は、俺にとって本当にツラいのだが、今年は輪をかけて厳しい。

 去年までなら紅姫が一緒だったのが、今年からヤツは部活道を始めてしまい、単独での帰宅を余儀なくされているからだ。


 実は、俺の暗闇恐怖症は紅姫には教えてない。

 それは兄分としての安い矜持を保つためだが……素直に白状しておけば、部活なんか入らずに一緒に帰るのを優先してくれてたかもなあ。


 紅姫は色々と残念なところはあるものの、基本的には素直で義理堅いヤツだ。が、だからってそんな妹分に甘えて、やりたいことを我慢させて付き合わせるのも、兄分としては情けないし申し訳ない。

 だからまあ、この状況は甘んじて受け入れると決めた。


 ……けど、アイツ、何の部活に入ったのか言わないんだよなあ。


 普通に考えれば脳筋らしく運動部なんだろうが、言わないってことは、少なくとも俺らには知られたくないってことなのか……?


 あんまり不審なようなら問い詰めるなり調べるなりしてみよう。

 正直、慎重にならないと、学校がらみで俺が動くのはそれだけで紅姫の立場を悪くしかねない。


 なので、紅姫部活問題は現状保留に決定。


 そして、俺的暗闇問題に戻るわけだが。


 苦悩している内に、やがてバスは火尾木村に到着。

 これよりたどるは街灯もまばらな暗黒の田舎道……とか厨二っぽく茶化して、怖じ気を誤魔化しながら降車した俺だったのだが……。


「アオツグ」


 弾んだ声音が呼びかけてくる。

 見れば、笑顔で手を振っている金髪美人さんがいた。


「アルル? 何で……」

「もちろん迎えにきたのだ。母として当然だろう?」


 真っ白い息を吐きながら、満面の笑顔で断言する。


 いや……。


「……だから、風呂の件といい、小さい子供じゃないんだ。高校生の息子を送り迎えするのが当然なわけあるか」

「ふふ、だからこうしてバス停から家までの帰り道で我慢している。本当は朝夕とも学校まで付き添いたいところなのだぞ」

「……勘弁してくれよ」

「ああ、そこまで過保護では、逆に笑われてしまうものな。けど、母として可愛い貴方に構いたい。だから、これはわたしの単なるワガママだ」

「あのなあ……」


 バスが走り去り、一気に周囲が暗くなる。

 思わず口ごもった俺の手を、アルルはそっと握ってきた。

 絡めた指先は冷たい。

 寒空の下でずっと待っていたのなら、それは当然のことだ。


「さあ、帰ろうアオツグ。大丈夫、母が一緒だ」


 アルルの声音はどこまでもやわらかに、青い瞳は穏やかに細められてこちらを見つめている。


 俺は────。


 俺は観念して、ギュッと手を握り返した。

 アルルはやはり優しい笑顔で頷いて。

 そのまま、ふたり並んで帰路に着く。


 正直、アルルが迎えにきてくれたのは助かったし、嬉しい。だから素直に喜んで礼を言えばいい。頭ではわかっている。

 ……けど、素直に振る舞うってのがもう、俺にとっては高難度だ。

 もっとも、対する金髪さんは正反対のようで、さも楽しそうに繋いだ手に力を込めてくる。


「アオツグの手は温かいな」

「……オマエの手が冷たいだけだろ」

「ああ、だからしっかり温めてくれ」


 白い吐息をこぼしながらそんなことを言う。おかげで繋いだ手の感触を否応なく意識してしまう。


 ……いや、言われるまでもなく意識しまくってんだけどな。


 アルルの手は、女性としては掌の皮が厚く硬い。指や、その付け根にハッキリと盛り上がった肉厚のタコがある。単純な竹刀タコとはまた違うそれは、いずれにせよ何らかの鍛錬の結果なのだろう。

 鍛えられた手。

 けど、それでも柔らかで滑らかな女性の手。

 いや……そういうこと以前にだ。

 こうして誰かと触れ合っている。その温もりが、気恥ずかしくも心地良くて、周囲の暗闇が、それほど恐ろしくは感じられなかった。


「そうだアオツグ、部屋で良い物をみつけたのだ」


 アルルは肩から提げた大きなトートバッグに手を入れる。取り出したのはゴツいハンドライト。角柱状のボディの側面にLED蛍光灯が備わった、アウトドア用の品だ。

 俺には憶えがない物。なら、クソ親父の私物なんだろう。本当、あの狂人の置き土産は多様性に富んでいる。


「これなら夜道もかなり明るくなるぞ」


 アルルが楽しそうにスイッチを入れれば、車のヘッドライトばりに田舎道を照らし出してくれた。

 これは、実に頼もしい。


「いいなこれ」

「そうだろう? 貴方を守るための心強い武器だ」


 さも嬉しそうに、右腕を俺の左腕に絡めてくるアルル。

 手を繋ぐよりも露骨に跳ね上がった密着度。

 左手にライト、左肩にトートバッグという状態なので仕方ない……仕方ないか? ……まあ、寄り添う前提なら仕方ないかもしれない。


 ただ、当然というか必然というか、アルルの豊満な胸部隆起が俺の二の腕に押しつけられてケシカラン状況。そりゃあもう柔こいわ温いわで、俺の心臓はエライ騒ぎだ。


「ん? どうしたアオツグ?」

「…………」


 どうしたもこうしたもあるか。

 いたいけなチェリーボーイを殺す気かキサマ。

 ……が、ここで狼狽しては、正に無様な童貞野郎に成り下がる。


「べ、別にどうもしない……」


 気合いのポーカーフェイスで受け流す……声はドモったけどな。

 対するアルルは相変わらずの穏やかな微笑。いつも通り、戸惑ってるのは俺だけだ。


 ……我が子を愛でるのに照れる母はいないってか? いや、世の母の定義がどうなのかは正直わからんけどさ。


 俺は内心やれやれと呟きながら……。

 意を決して、昼間の問題を問い質してみようと思った。


「あー、ところでアルル……今日の弁当だけどさ」

「うむ、どうだった? 貴方の好きなお弁当だとベニヒメが推してきたのだが、正直、さすがに味気ないのではと心配でな」


 ……フッ、謎は全て解けた。


「アルル、あれは〝日の丸弁当〟と言ってな。まあ、悪いものじゃないが、普通はおかずを添えるものだ」

「……そうか、ではやはりベニヒメのお茶目か。仕方のない子だ」


 アルル自身、半ば予想がついていたようで、困り顔で笑う。というか、疑わしく思ってたなら俺に訊くなりしてくれよ。


「変だとは思ったが、アオツグはあまり食にこだわりがないようだったからな。そういうものか……と、言われるままに用意してしまったよ」

「…………それは」


 どうやら多少は自業自得か?

 それとも、そこも含めての遠回しな抗議かもしれないな。

 好き嫌いを訊かれた時もそうだが、振り返ればチャーハンとコンポタを褒めたっきり、ロクに感想を言っていなかった。

 今朝だって、用意してくれた朝食を淡々と食べてしまった。


「悪い。もう少し感想を言うことにする」

「いや、謝るのはこちらの方だ。それに、貴方はいつも美味しそうに食べてくれている。それはとても嬉しいことだ」


 アルルはそう言うが、だったらなおのこと、言葉に出して褒めればもっと嬉しいだろう。俺は反省しつつ。


 ……ふと、アルルの提げたトートバッグが気になった。


 ダークブラウンのデニム生地で組まれたそれは、さっきも言ったがかなり大きめだ。八十センチ四方はあるか? 少なくともハンドライトひとつ入れてくるには大袈裟なもの。

 実際、何か別の荷物が入っている様子だ。


「なあアルル、そのバッグの中身って……」

「……!」


 問いかけようとした俺を制して、アルルが立ち止まった。

 田園と山林とに挟まれた道。近くに街灯はなく、山側は草木が生い茂っており、暗く沈んで見通せはしない。

 その暗がりの奥を睨みつけているアルル。


「アオツグ、わたしの後ろへ」


 俺を背後にかばう形で、路脇の茂みに向き直った。

 それは言葉の通り、俺を守ろうとする所作。何から? 当然、茂みの闇にひそんでいる何かからだろう。


 アルルがトートバッグに手を伸ばす。

 取り出したのは、夜闇の中で鈍く煌めく銀色の円形盾。ラウンドシールド……いや、金属製だからホプロン? ともかく、初見の時に背負っていたあれだ。


 左手に盾を、右手にハンドライトを、やや左半身を踏み出して身構えたその姿は、明らかな戦闘態勢。


 ……いったいどうしたってんだ? などというのは愚問だろう。


 前方の茂みに、穏やかならぬ何かが潜んでいる。少なくとも、アルルはその気配を感じているということだ。


 もちろん、俺には何も感じられない。

 だから何も言わない。

 彼女の邪魔にならないように後ろに距離を取る。こういう時、非戦闘員は大人しく戦闘員に従うのが吉だ。

 気のせいや間違いだったら、それがわかった後で笑い飛ばすなり反省するなりすればいい。


 ガサリと、茂みの中で何かが動いた。

 猫とか狸とかの小動物ではない。もっと大きな何か。

 どうやら、アルルの気のせいではないようだった。


 だが、これはたぶん……。


「そこに隠れているのは承知だ! 大人しく出てこい! さもなくば立ち去れ!」


 アルルがライトを向けつつ張り上げた凜々しくも鋭い恫喝。

 直後に茂みから飛び出してきた黒い影。

 俺は思わず彼女を助けようと駆け出して、けど、黒影の速度は圧倒的なまでに迅速に!


 ハネ飛ばされるように宙に舞ったアルルの身体!


 ……いや、違う、あれは自分から跳んだんだ。


 突進してきた黒影を飛び越え宙返り、軽やかに着地する。

 走り抜けた黒影はドリフト気味に慌ただしく方向転換し、再度の吶喊とっかんを仕掛けてくる。


 迎え撃つアルルは左手の丸盾を大きく振りかぶり、円盤投げよろしく投げ放った。

 その勢いは傍目にも尋常ではない。

 夜気を切り裂いて飛翔した丸盾が、迫る黒影に真っ向から衝突する。


 鳴り響いたのは、甲高いようで重い音

 同時にこぼれた、軋むような獣の悲鳴。


 黒影は大きくよろけ倒れながらも、勢い有り余るままに路面を数メートルは転がり滑って、ようやく停止した。


 敵の沈黙を確認。

 途端、血相変えてこちらに向き直るアルル。

 倒れ込んだ俺に駆け寄り、抱き起こしてくれた。


「大丈夫かアオツグ!」

「……おう、ぜんぜん大丈夫」


 何せ勝手につまづいて自滅しただけだからね。

 とっさに駆け寄ってかばうことすら失敗する無様さ。我ながら運動オンチがひどすぎる。


 改めて、夜道の向こうに倒れている黒影を確認する。

 ハンドライトに照らされたそれは、やはり、いのししだった。

 ただ、かなりデカい。小さめの熊ぐらいはあるんじゃないか?

 この辺は猪はそこそこ居るのだが、さすがにこれほどの大物は珍しい。


「無事で良かった。ふふ、どうだアオツグ。母もこれくらいはこなせるのだぞ」


 デカイ胸を張って誇らしげに笑う。

 強烈なシールドスローの直撃で頭部を叩き割られ、息絶えている大猪。

 一撃で仕留めた腕前は、まあ、確かにスゴいんだが……。


「……何で盾を持ち歩いてんだ?」

「うむ、貴方を守るためだ。鎧や剣は問題になるが、盾なら持ち歩いても大丈夫だろう? バッグに入れれば目立たぬしな」


 得意げに語る自称・女騎士様。

 確かに銃刀法には引っかからんはずだし、今の攻防を見る限りとても頼もしくはあるのだけれど、物騒な点は変わらない。

 まあ、とりあえずその問題は後で詰めるとしてだ。


「……アルル、野生の獣に向き合った時に大声で威嚇いかくしたらダメだ」


 距離がある時ならともかく、遭遇してしまった上でそんなことしたら襲いかかられて当然だ。


「野生の獣に対峙したら、眼を逸らさず、ゆっくりと後退して逃げる。それが基本。もちろん、それでも襲いかかってくることもあるが……」


 いずれにせよ、進んで敵対するのは賢明ではない。

 幸いにも、今回は無事に切り抜けたから良かったが……。

 俺のダメ出しに、勝ち誇っていたアルルは一転、シュンと項垂れて謝罪してくる。


「……そう、だな。その通りだ。無益な殺生は騎士にあるまじき愚行。まして、貴方を無用な危険にさらしてしまうとは……すまない」

「……あ、いや……まあ、無事だったし……。それに、ちゃんと守ってくれただろう? だから、まあ、次は気をつければいいさ」

「……うむ、わかった。ありがとうアオツグ」


 ニッコリと礼を言うアルル。

 いや、礼を言うべきはこっちなんだけど。

 形はどうあれ、自分のために頑張ってくれたのは正直嬉しいもんだ。


「……しかし、この子はどうしたものだろうか?」


 アルルが盾を拾い上げつつ、大猪の死骸を見やる。

 まあ、放っとくわけにはいかないよな。かといって、お墓掘って埋葬

ってのも重労働だし、そもそももったいない。

 猪は食えるのだ。

 ただ、俺は獣を捌くなんてできないし、そもそも車がないとこんな大物運べやしない。なので、玄蔵伯父さんに救援を求めよう。


 俺はスマホを取り出しつつ、改めてアルルを見る。


 さっきの身のこなしと、盾捌き。

 スゴい運動神経と技術……といえば、まあ、それだけではあるけれど。


 ……本当に、何者なんだコイツ。


「アオツグ?」


 ジッと見つめれば、小首をかしげて見つめてくる青い瞳。

 それは相変わらず、俺を気づかってくる優しげな眼差し。


「何でもない。オマエが綺麗だから見とれてるだけだ」


 俺は溜め息まじりに、いつもの台詞で誤魔化したのだった。




 車で駆けつけた玄蔵伯父さんが、猪を運びがてら家まで送ってくれることになった。

 猪は伯父さんが捌いてくれるそうだ。

 今でこそ少ないが、十数年前には猪やらの害は頻発しており、駆除も行われていたため、村の大人の多くは解体技術を身に着けている。

 解体は伯父さんの家で行い、捌いた肉は後日に受け取る予定。

 もちろん丸一頭分となるとかなりの量だ。ざっと五十キロ以上か? 玄蔵伯父さんとこに半分渡すとしても相当な量だ。当分は肉の心配はないだろう。


 俺は改めてアルルを伯父さんに紹介する。が、相変わらず玄蔵伯父さんの反応はあっさりしたもの。

 登川雪江との一件は、まだ知らないのだろうか? 少なくとも玄蔵伯父さんからは何も言ってこない。何となく、俺からも言い出せないままに車は自宅に到着。

 俺は礼を言って、走り去る伯父さんの車を見送った。


 ……結局、ミカヅキからの連絡は皆無のままだった。


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