第16話森の霊女と沼地の魔獣

梅の霊樹でつくられたちいさな杖をふるとそこには、光の線がはしり、魔法陣が空中に刻まれた。

五芒星を中心に複雑な紋様を持った魔法陣であった。


「三千世界の彼方よりいでよ、我が友」


その言葉に続き、何語かもわからぬ呪文を瑠加は唱えた。

低い、男性のような声だった。

妖艶な美女から発せられたとは思えないほど、しわがれた、ききとりにくい声であった。

暗闇に怪しくひかる魔法陣から現れたのは、青色の髪をした、無機質な表情の女であった。

その色は黒にちかい青であった。

彼女の髪も、黒い服も、べっとりと油っぽい水で濡れていた。


あきらかにその存在は人ではない。


人のかたちはしているがである。


まるで生命というものを感じさせなかったからである。

整った顔には正気がなく、ウーウーとなにかうめき声のようなものを紫の唇からもらしていた。

「血の盟約により我に従え、森の霊女ウンディーネ」

青い髪の女はゆっくりと頭を下げた。

それは承諾の意であり、この水を司る精霊は瑠加の使い魔となったのである。


続け様にもう一体の魔獣が魔法陣から出現した。


それは巨大な馬であった。

ただし、普通の馬ではない。

全身に魚のような鱗をびっしりとはやし、身体中からなにやらべとべとした粘液を放出していた。

生臭い息を吐きながら、意思があるかどうかわからない黒い単色の瞳で雪たちを見ていた。

「沼地の獣ケルピーよ、我に仇なすものを滅ぼせ」

ひゅっと勢いよく杖を降り、瑠加は魔獣ケルピーに命じた。

ぶるるっと魔獣ケルピーはいなないた。

ぱかりっと地面を分厚い蹄でをけると、アスファルトがくだけ、四方にとびちった。


ふりかかる破片を香菜こと黒いチューリップはサーベルをもって弾き返す。

ドラキュラとなったみやびと背中あわせに立つ。

その真っ赤な爪はナイフのように鋭くとがり、敵の血をほっしていた。

ぺろりと唾液たっぷりの赤い舌で、みずからの爪をなめた。


おおきな舌うちをし、朱椿伊織は二体の魔獣をにらみつけた。

猫科の肉食獣に似た瞳には勇気と闘志がみなぎっている。

不気味な怪物たちと対峙しても、彼女は臆することはない。

「さすがは、白梅の直系……伝説級の魔獣をこうも簡単によびだすとは……」

それでも感嘆せざるおえない。

相手の実力を。

実力を認めながらも、彼女らは立ち向かわなくてはいけない。

それが彼女らの役目であった。

魔術師と呼ばれる存在があまたあらわれ、彼らが罪なき人々を傷つけるとき、現行の法律では対処しきれなくなっていた。

この国の魔法社会をとりしきる六花のものたちはそれを憂慮し、自浄作用的に伊織らを派遣し、その犯罪解決にあたらせた。

天狗の血をひく朱椿伊織は、いくつもの事件を解決しており、メイジキラーの異名をもっていた。


白い両のてのひらを眼前にひろげ、水原瑠美は精神を集中させ、呪文をとなえた。

「雨と水の神……雨師に願い奉る……その眷属をつかわせたまえ……」

トランス状態のため、ひとみは虚ろであった。

はあはあと熱い吐息をもらしている。

悶えるようなあえぎ声だった。

ほっそりとした手足は微かに震えている。

てのひらがビリビリと破れ、そのひび割れからなにか異物があらわれた。

それは白い鱗を持った蛇のような生き物だった。

チロチロと赤い舌を口から出し入れしていた。

不気味きわまりない生き物を手から生やし、その長さは二メートルほどに達した。

鎌首をもたげ、蛇のような生き物は伊織たちを見ている。

この生き物は水の神である雨師につかえる精霊蛟であった。


無精ひげをはやした口元を手で押さえながら、文彦は

「うわ、気持ち悪いな」

といった。

突如、彼の首もとに抱きついた人物がいる。

時屋荘の大家である三成実知だ。

キスするのではないかというほど、その秀麗な顔を近付け、実知は明るく微笑んだ。

「やっぱり来てくれたんだ。文彦くん……」

湿り気のある暖かい吐息を含みながら、実知は耳元で囁いた。

おおきな瞳は涙で潤んでいた。

手には長剣を握ったままなので、危なくて仕方ない。

「やあ、奇遇だな……三成」

目をそらしながら、狼狽えながら、文彦は言った。

「私、あなたにもらった本、大事にもって、待ってたんだよ」

すこしふくれながら、少女のような声音で実知は甘えた声で言った。


「痛い、痛い、痛い」

悲鳴にもちかい声で、文彦は叫んだ。

彼の腕の内側をとても強い力で捻っていたのは、伊織であった。

抱き合う二人を口をあけ、驚いた表情で結沙はみていた。

どうやら義理の父親と昨日友達になったばかりの実知との間に過去、なにかがあったように思われる。


冷ややかな目で、武瑠はそのやりとりを見ていた。

「茶番だな」

ぼそりと彼は吐き捨てる。

じろりと武瑠は雪の年齢よりも幼く見える愛らしい顔を欲望の眼差しでみつめる。


彼は確実に欲していた。


自らの欲望を目の前の小柄な女性に、たっぷりと注ぎ込みたかった。

愛する妹の魂を移しかえ、崩れいくその体の代用にしてあげたかった。

妹の魂を雪の体に挿入し、とってかわったのち、彼女は全身全霊をもって自分のことを愛するであろう。

そうなるのであらば、その愛に答えなくてはいけない。

思考を巡らすと、下半身が熱くなり、劣情が煮えたぎるのを感じられた。


汚れた欲望に濁りきった武瑠の視線を雪は真正面から受け止める。

自身に向けられた不条理な欲求を必ずや、打ち砕いてみせる。

はっきりと決意した目で、視線をそらすことなく、雪は武瑠を見た。

魔書「王の書」を月明かりの夜空にかかげ、大きく、はっきりと言った。


「我が王の書より、出でよアルフリード‼️‼️」


王の書が太陽のように輝き、どこからともなくあらわれたのは、褐色の肌をした女戦士アルフリードであった。


「我が君、お呼びにより、推参いたしました」

バラのような笑顔を浮かべ、アルフリードは忠誠を誓う雪に言った。









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