第32話 凡庸な女

 私の名前は何やったっけ。新緑の中、水をこぼれそうなほど入れた土器を運びながらふと考えた。


 左わきに目を落とすと、またほどけそうになった衣が目に入り、ため息が出た。


 土器の尖った底をぬかるみに突き刺し、シカ皮の合わせ目をツルで腰回りに固く締め直した。ツルは枯れると固くなって結んだり緩めたりができなくなる。ちょうどいい柔らかさのツルをいつも手元に置いておくのは困難だし、あれば自分より家族を優先させている。


 再び土器を抱えて、芽吹いた木々の間を歩き始めた。風が柔らかい。景色が竹林に変わった。


 明るい緑の竹が次々に育っている。竹の子の面影を残す竹の青年が列をなす。破竹。


 コメを伝えた漂着の民の話やと、凍える土地があるっちゅう。

 ここには竹がある。うつわ、刃物、小屋を作るのに事欠かん。竹を使えば食べ物は長持ちする、小屋は腐らん。森もあるけん、火を焚くための小枝もある。山芋はうまい。たらの芽、ふきのとう、ぜんまい、わらび、せり、つくし。どんぐりは豊富やし、山もも、ゆずが、びわがなる、かき、くり、みかん、桑の実、蛇いちご。蜂の蜜は神様の恵み。川には魚。くま、いのしし、しか、うさぎも食える。どくだみ、よもぎは美人を作る。


 竹林の上空は風が強いらしい。天空で、竹が打ち合う高音が響き渡る。


 かぁぁぁん、こぉぉん、女は天の竹と共に唄う。


 水を入れた土器を胸の前でかかえながら、とがった底がおなかに当たらないように気を付けた。三人目の子供が宿った気がするからだ。



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