第30話 マルチバースのひとつ

「もちろん。で、覚えといてね。いつも、その人が十五歳と十一カ月と二十七日目の体に入る」

「なんで?」


「アタシが最初に時間を戻したとき用に計算したから。アタシが遡って別々になった日だから」辛そうな、悲しそうな表情になった。

 死という言葉を使うには抵抗があるんだ。


 お姉ちゃんの憂いを切り替えるスイッチはすぐ入った。「パラレルワールドと、その中の一つのユニバースの違い、わかってよ? これからの移動は一つのユニバースの中で時間を遡るんだよ。それから、相手の体を乗っ取るわけじゃない。それまでの魂が強ければ、今のアタシたちはその人の夢にしか現れない。ヒカル、強い心を持ってないと、今の自分に帰ること忘れるよ」

「わかったわかった。注射、我慢するよ! で、どうやって、ここに戻る? あ、その前に、お姉ちゃんは何になる? おれが会ってわかる?」


「その女の人の弟」

「お姉ちゃんは男! ちゃんと声かけてくれるよなっ」


「ワガオトウトヨ! ヒカルが小学生んとき、お話、創って聞かせてくれたからアタシはこの島を造った」

 姉が尊敬の眼差を向けた。

「ヘヘ。あと、戻り方教えて」褒められた気がして、照れくさくなったヒカルは話題を元に戻した。


「向こうで、水に浸かる。つま先から頭のてっぺんまで。一種のバプタイズ」

「宗教行事みたいな言い方」

「うん。ナガスネ族のときも豊玉姫のときも、川の河口で浸かったんだけど海の水が混じっててダメだった。塩分濃度ね。淡水なら、と思って川を遡って浸ってみたらオッケーだった。戻ってくるタイミングは点滴が空になる直前」

「体、ホントに、戻るの? すげー、心配なんだけど」


「島のシステムを信用しないんなら、無理して行かなくていいよ」

「信じます!」


「このプラスティックバッグが空になると同時に妖精がハイドレーションしてくれる。その後、何度も何度も、トイレ行って、おしまい」

「トイレ?」

「肝臓で解毒、腎臓で濾過、尿を出すってこと」

「ハイ、トイレでショーン・ベン?」自分でもいいリズムだと受けた。

「ハイドレーション!」

 お姉ちゃんが笑ってくれた!

「ってね、水を点滴で大量に体に入れて、薬を体から排泄させること」姉はガラスの向こうの水の循環を見た。ヒカルもつられて見た。「この島、さっき話した地底の水の層から来る分、循環は海と雲の間で完結してるの」

「タイミングって、誰が見計らう?」


「見計らうんじゃなくて、点滴のパックが空になる直前の時刻に引き付けられて戻るってこと」

「じゃあ、向こうに行ってる期間、短くね?」


「ここでの時間は短いけど、向こうでは長いよ。でも、戻るには、とにかく心の強さが大事。相手より強い精神でいること。ヒカルには無理かも」

「挑発? おれはここまでお姉ちゃん探してたどり着いたくらいメンタルたいしたもんだよ」


「信用してやろう。じゃ、今からリザーバー・ポートを装着するための、手術の準備するね」

「ところでさ、なんでおばあちゃんの神社がそんなに重要? 古事記の神代記読むとさ、征服者の三人の娘のための宮殿に思えるんだけど」


「そこに鏡があるから。火山の噴出物からできた石の鏡が。アタシが産んだアマツヒコの息子が東征を始めたでしょ。その大仕事をやらせて成功させるだけのパワーがある。地理も重要。九州島を出て、本州へ出る玄関。大陸への玄関でもあるし。宗像大社から今の海岸線までは二キロ、釣川が結んでるけど古代には大社が河口だった、地震で地形がものすごく変動したみたいね。とにかく、昔は、大陸から到着するにも本州に出るにも、この位置が大事だったんだよ」

「その鏡が、さっき言った確率を上げるやつ? ここと、離れてない?」


「ここ、ハナグリ島と宗像、火の山は一体。地下の水の層で」

「ニニギに会ったら、どうすればいい?」


「会っても、会わなくても、鏡をヒカルがキープしてて」

「了解しました。で、それをどうする?」


「壊す」

「壊したら、タイムトラベルはどうなる? 確率の計算、って、さっき言った」


「新しいパラレルワールドに世界を移す」

「たかが、石の鏡で?」


「人類史に名を残さない部族、全ての魂が火の山々の中にある。支えるだけで人生を終えた人たち。一言、感謝されるだけで幸福な人たち。真の愛を知った人たち。バカにされた人たち。忘れられた人たち」

「そういうタイプってさ、誰も、そんな大それたこと、願ってないんじゃね? 小さな幸せとか、家族の健康とかがイチバン」


「滅ぼされた民も、そう思って生きてた。人間は誰もが、理不尽に晒される。自分にとっての理不尽。人の一生は重き荷を負うて、遠き道を行くがごとし」

「徳川家康? 征服者サイドじゃん。お姉ちゃん、そんなこと言えるなんて、実は七十三歳? その名言、後半、いいこと言ってない?」


「アタシには、その後半を実行する時間を、持てなかった。ただ、この世界のアタシには、声が何百も聞こえる。三千年分の原住民の」

「なんでお姉ちゃんに?」


「なんでアタシが、なんでオレが、って経験をした人には聞こえるの。火の山々をつなぐ広大な水から。お互いに」


 その日のうちにヒカルの左腕外側に時間旅行の港ができた。部分麻酔が切れ始め、皮膚を切ったところが痛くなってきた。


 翌日、その直径三センチほどの港の中央に点滴の針が刺された。はじめは何ともなかった。


 俺の心臓がこの薬を全身に押し出してるんだ。体循環、肺循環、覚えたなあ、中二んときか?


 一分も経たないうちに自分の体が自分の物でないような感覚がしてきた。視野が真っ赤になった。目を開けているのか、閉じているのか、わからなくなった。気が付くと周りの音も聞こえなくなっていた。なのに、喉や胃の部分だけ、感覚がはっきりしている。電子の振動? 海の波と違って元のモノ、水に当たるモノが無い、波の形だけ?

 気持ちわるい。体が痛い、ギシギシしてきた、ブラックホールに潰されるのか?

 体が押し潰されそうになりながら、同時に回転し始める。


 覚醒したまま耐えられる状況じゃない! 回転しているのは周りか、体か、全細胞がそれぞれに回転しているのか、頑張れおれ! 今、おれは歩いてるのか? 移動してるのか? 痛いよ! 痛いよ! おかーさーん! 肉が痛ぁぁい! 骨が痛ぁぁい! どこにいる? 何も見えない、聞こえない! すげー気持ちわるい……これがワームホール? ホワイトホールって何だっけ?


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