第2話 空の群青を跳ね返し輝く黒髪

 


 ヒカルは勇敢な雄鹿を見下ろした。

 まだ若い。お姉ちゃんくらいだ。


 部族を識別する体の模様は若い程、少ない。精悍な顔に細い線が二本、両腕と胸に葉の形の線が全部で三個。背中は大地に付いていて見えない。その豊かで長い黒髪が、太陽光を跳ね返し輝く輪になっている。天使の輪だ。ヒカルが内心、ライオン女王と名付けた同級生の髪より長く美しい。


 血染めの大地を覆う鏡みたいだ。


 抵抗する男たちが全て倒れ、侵略者たちは勝どきの声をあげる。先住民の村をまたひとつ、手中に収めた。


 あ、やばい。ヒカルは村の中央に立つ高床式の建物に目を向けた。

 お姉ちゃん、まだここにおるん? まさかとは思うけど。


 ヒカルはかつて馴染んだ伽藍がらんに向かってそっと走り、階段を駆け上り幅の広い縁側を二歩でまたぐと大きな扉の中に飛び込んだ。

 誰もいない。

 そうだ、鏡を! 今のうちに! しかし今だ殺気立つ兵士数人がすぐ後ろに来たことに気が付き、怯えたヒカルは外に出た。


 目の前の広場では侵略者の一つの集団が逃げ惑う女子供を集め囲い始めた。


「大人と同じくらいの背の男の子は生かしておくわけにはいかない!」侵略者たちが大声で敗者を追い立てる。「数年も経たないうち、確実に復讐できる能力を持つ!」

 母親たちは身を挺して息子たちを守ろうとした。絶叫が次々と火の山に激突し、山体を削ると中に吸い込まれていく。


 ヒカルは目を背けたかったが怪しまれるのが怖く、汗とホコリが目に入って困っているだけのように目を何度も強く閉じた。


 最も大きな馬に乗る男、ニニギの号令が聞こえ、兵士たちが総司令官の周りに整列した。ヒカルも真剣に周りの真似をする。


 ニニギは己の剣に付いた血を近衛兵に拭き取らせると、部下たちに全ての食料庫と竪穴式住居を隅々まで調べさせた。報告を得ると「好きなだけ喰え!」と兜の下で吠えた。


「おい、せがれ」聞き覚えのある声がすぐ後ろで聞こえる。振り向くと命を救ってくれた男の顔が兜の下に見える。

「がんばったな」戦闘中じゃないせいか小さな声だ。「お前には上陸して初めての戦いだった。生き残っただけでも、よくやった。剣の使い方をもっと教えておけばよかったな。後で持ち方から復習だ」


 父親なんだ。

 この世界での父親の頬があまりにもこけているのでヒカルは自分の分の玄米を差し出した。

「儂は腹いっぱいだ。お前が食え」父親は背中を向け井戸に向かった。


 ヒカルは初対面とはいえ肉親に会った安心感で気が緩む。地面に尻を落とし、両足を投げ出し、放心状態になってしまった。


 しばらく経って、もしかしたら数秒後だったのかも知れない。兜の下、首筋にひんやりと気持ちのいい感触がして振り返ると父親が剣を当てていた。「うわぁ!」飛び起きると父親がため息をつきながら「気を抜くな」と言い離れて行った。


 後姿の父親が持つその剣が、馬に乗る司令官たちの剣より短かく、両方に刃があり、より尖っていることに気がついた。


 白兵戦で相手を突き刺すことに特化した剣だ。首筋が再び凍り付く。


 思い出した。隠れてるお姉ちゃんを探さんと。最後に見たお姉ちゃんは水面の向こうだった。


 ヒカルは食料を略奪する侵略者の群れに混じり、どこかに隠れているに違いない姉を探し続けた。


 どの建物にもいない。


 太陽が西の外輪山に傾き始めた。


 大地に倒れている先住民たちを観察に出ていたニニギが戻ってきた。機能的な兜をはずす。一陣の風に乱れた髪を背中に振りやると、意外に若い顔が厚い肩に載っていた。威風堂々とした様子を遠くから眺めたヒカルはその顔をどこかで見たような気がする、と思った。


 ニニギはまた号令を発し、全員を集め、この盆地を支配する集団と移動する集団とに分け始めた。「上陸した村に残したのは第三船軍の五十人! この盆地には第二船軍の五十の兵士を残す! 太陽が二回目に昇る日ここをいでて次の土地を征服する!」

「ウォー! ウォー! ウォー!」ヒカルも兵士たちの間で腕を高く振り上げ必死に共に叫んだ。


 明日までにはお姉ちゃんを探さんと。ヒカルは周りの一人一人に目を配った。


 別の土地に行く? おれって、どの船に乗ってたのか? お姉ちゃん、どうしたらいい?


 そしてニニギは、「第二船軍の艦長がこの村の新たな支配者として君臨する」と、よくとおる声で宣言した。「第十船軍の兵士たちは東と北と火口山との三方向に分かれどのような地が続いているのか探検し報告せよ!」


 第二船軍? 第十船軍? 調査隊ってこと? おれはどこに入ってんの?

 ヒカルが不安に飲み込まれそうになっていると、この世界での父親がニニギの前に進み出た。


 跳ねるように片膝をつき、体重を感じさせないバレーダンサーのように即座に立ち上がる。すると独特な雰囲気の二十人が父親の周りに集まった。目の鋭さが他の兵士とは違っている。父親の目つきも変わり、短い言葉を告げるとその二十人は初めから決まっていたかのように自然に三方向に分かれ走り去った。


 お姉ちゃんがあいつらに見つかったらヤバイ。


「この島に来たのは新しいクニを作るためだ!」ニニギは兵士たちに叫ぶ。ニニギは巧みに彼の駿馬を操っている。「上陸した未開の土地、笠沙の岬からこの地に至るまで我らの物となった!」

「ウォー! ウォー! ウォー!」兵士たちの雄叫びが盆地にこだまする。


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