第36話 亡霊皇子


「皇后様! 殿下が! 太子様が薨去こうきょされたとのことです!」


 侍女の報告を聞き、臥牀しんだいに入ろうとしていた姜氏は驚愕をあらわにしつつ、心の中で小躍こおどりする。密かに文英が薬に毒を混入させてとどめを刺したのだと。自分の指示通りに。

 彼は詰めが甘い。弓矢を使ってあやかしに暗殺させようとした時も、射損じることを懸念けねんしてやじりに毒を塗らせたのに、しっぽを掴まれそうになる始末だ。

 だが、今度こそうまくいったらしい。文英には証拠の残りにくい砒霜ひそを渡していた。息のかかった医官を使えば、幻耀は昨日の毒矢が致命傷となって死んだことになるだろう。


「すぐに北後宮へ! 支度を! 幻耀が死ぬなんて嘘です!」


 姜氏はお得意の演技で母親になりきり、北後宮へと向かう。

 お供には侍女を四人。すぐに駆けつけてきたことを表現するため、格好は夜着に霞帔うちかけを引っかけただけ。髪はおろしたままで、化粧もしていない。これで演技に迫真さが増す。


 姜氏は自ら吊り灯籠を掲げ、先陣を切って北後宮の乾天宮へと駆けつけた。

 侍女たちは少し遅れ、後方で息を切らせている。必死さが出て、なかなかいい。


「幻耀! 幻耀!」


 名前を連呼しながら臥室しんしつの扉を押し開ける。

 その部屋の奥、赤い緞帳どんちょうを垂らした豪奢ごうしゃな臥牀に、幻耀は横たわっていた。

 体には白い夜着をまとい、長い黒髪はおろしている。顔色は真っ青だ。唇はかさかさに乾いていて、少しの赤みもない。呼吸も止まっている様子だった。これは完全なる死体だ。その証拠に、妃の玉玲が幻耀の側に顔を突っ伏し、泣き崩れている。

 ついに念願が叶った。


「幻耀! 嘘だと言ってちょうだい! ああ、幻耀!」


 姜氏は幻耀の側へと駆け寄り、悲劇の母親を演じる。少し大げさすぎるほどに。本物の涙まで流してみせた。これくらいは朝飯前だ。自分はこの演技力で、嫉妬と陰謀渦巻く後宮を渡り歩き、至高の座を射とめた。


「皇后様、そんなに嘆かれてはお体にさわります。またお倒れになりますわ」

「今宵はもう遅いですし、いったん宮殿へ戻ってお休みになっては? お顔の色が優れませんわ」


 これだけ嘆いておけばいいだろう。姜氏は侍女たちの意見を受け入れ、宮殿から去ることにした。ふらふらになりながら。今にも倒れそうに。あまり長く演技を続ければぼろが出るだろうし、何より面倒くさい。思いとは裏腹な演技をするのは、とても疲れる。


 吊り灯籠を持たせた二人の侍女に前を歩かせ、残り二名には体を両側から支えさせた。

 これでようやく思い通りに事が運べる。幻耀に対する忌々しい演技からも解放される。

 笑いをかみ殺しながら、宮殿の走廊ろうかを歩いていた時だった。


 走廊の先に赤い何かがよぎる。独りでに燃える真っ赤な火の玉が。


「ひっ!」


 前を歩いていた侍女が小さな悲鳴をあげるや、今度は何もない場所からドンドンと音が響いた。床から、壁から、近くの窓からも。


「きゃ~~~~~~っ!」


 侍女たちは大きな悲鳴をあげ、我先にと逃げだした。主人である皇后を置いて。

 四人全員が脱兎のごとく宮殿から走り去っていく。


 姜氏もすぐにあとを追おうとした。

 しかしその時、すぐ側の扉が勢いよく開き、進路を封じられてしまう。

 すると、八つあった部屋の扉が独りでに動きだし、閉まったり開いたりをくり返した。


 怪奇現象の連続に、姜氏は全身が震えて一歩も動けなくなる。

 もはや何が起きているのかわからない。恐慌をきたし、頭は混乱状態だ。


 そんな姜氏に次の刹那、追い打ちをかける出来事が起こる。

 いったん閉まって停止していた一番奥の扉が、今度はゆっくりと開いた。


 誰かが緩慢な動きで走廊へと出てくる。

 背中まで流れる黒い髪。長身の体には、白い夜着をまとっている。顔色は真っ青で、口にも肌にもいっさい血の気がない。かさかさの唇には、先ほどは見えなかった赤い液体が。

 口から血を流した青年が、走廊の先にうつろな表情で立っていた。


「……幻……耀……?」


 皇后は慄然りつぜんとしながら、信じられない思いでつぶやく。


 いや、嘘だ。見間違えだ。幻耀はもう死んだ。彼は後方の部屋に横たわっていた。

 それなのに、ずっと先の部屋から出てくるわけがない。

 あれが幻耀なのだとしたら、まぎれもなく亡霊のたぐい――。


 その亡霊はゆっくりとこちらへ近づきながら、恨めしそうに口を開いた。


「……なぜですか? なぜ私を殺したのです……?」


「ひいっ!」


 姜氏はひきつった悲鳴をあげ、ついに腰を抜かして後ろに倒れた。


 尻餅をつく姜氏に、幻耀の亡霊は容赦ようしゃなく迫っていく。


「……聞きましたよ、義母上ははうえ。冥府にいた母に全て」


 姜氏は大きく見開いていた目を数度瞬かせた。


 何のことかと問うような顔をする姜氏に、幻耀は低い声音で指摘する。


「あなたは、文英に母を殺すよう命じましたね? そればかりか、私まで。何が気に入らなかったのです? 私はあなたの意に沿い、太子の座を射とめたではないですか? 教えてください。理由もわからないままでは、死んでも死にきれない。さあ、義母上!」


 目を剥きながら迫る幻耀に、恐怖のあまり我を忘れた姜氏は、完全に開き直って答えた。


「憎かったのよ! お前も、林淑妃のことも! 下賤の分際で、主上の寵愛を独り占めにしたあの子が! わらわの地位を脅かす下等な女狐が!」


 知られているのなら、隠してもしょうがない。しかも、相手は亡霊だ。

 理由がわかれば幻耀も納得して成仏するだろう。自分にとっては正当な理由があるのだ。

 はっきりと教えてやろう。憎き女の息子に。


「妾はね、将来皇后になるよう父に厳しく教育された。姜家は由緒正しい家柄で、自分の血筋に誇りを持って生きてきた。でもね、上には上がいたのよ。家柄も、美しさも、才能も。せめて人柄だけはよく見せようと、侍女たちには優しく接したわ。あなたの母親にもね。せっかく目をかけてやったのに、あの女は妾から主上の寵愛を奪った! それどころか、霊力に恵まれた皇子まで産んで! 妾の子はいっさいの霊力もなく、幼くして死んだのに! 妬ましくて仕方がなかったわ! だからね、奪ってやったのよ、お前を。あの女狐から!」


 姜氏は幻耀へと言い放ち、高らかな笑い声をあげる。

 次第に興が乗ってきた。この際だから、何もかもぶちまけてやる。


「妾はね、本当はお前のことも憎くてたまらなかったわ! だって、あの女の血を引いているのですもの! お前は女狐にそっくりだったわ。あやかしが視えて、誰とでもすぐに仲よくなって、身分の低い者にも手を差し伸べようする。お前はどんどん妾好みに変わっていったけれど、大事な部分だけは矯正できなかった。お前は妾に言ったわね。将来皇帝になったら、身分にかかわらず能力のある者を重用したいって。くだらない理想論だわ。この国で大事なのは血筋よ! 程貴妃には、悔しくて反対のことを言ったけどね!」


 あの貴妃にも本当に虫酸むしずが走る。あの女は自分と考えがよく似ているのだ。家柄と血筋こそたっとばれるべきもの。

 貴妃は自分より血統がいいから彼女の前では同意できなかったが、考えは変わらない。林淑妃の血を引く子など、皇位につくべきではないのだ。


「将来の皇帝には、呉淑妃の子のように才能があって、血統もいい皇子がふさわしい! だから殺すように命じたの! お前はもう用済みよ! さっさと消えなさい!!」


 姜氏は目的も考えも全てぶちまけ、幻耀をにらみつけて言い放った。


 だが、幻耀は動かない。こちらをただじっと凝視し続けている。


「何よ? まだ納得できない? ならば、どれだけお前をうとんでいたか、もっと聞かせてあげましょうか?」


 あの目に見られていると、たまらない気分になり、更に言い募ろうとした時だった。


「もうよい。十分だ」


 突然どこからか声が響いた直後、一つ先にある部屋の扉が開く。

 背の高い壮年の男性が、ゆっくりと姿を現した。

 引きしまった体躯たいくにまとっているのは、団龍だんりゅうの刺繍が施された黄色い龍袍りゅうほう

 一つに結いあげた黒髪は、十二りゅうの玉飾りを連ねた冕冠べんかんの中に収めている。

 よく見知った男性が、いかめしい顔つきでこちらを見おろしていた。


 姜氏は震えながら声をもらす。


「……主……上……」


 ――ありえない。


 どうして、皇帝がここに? これは悪夢なのか?


 夢なら覚めてほしいと願っていたところで、皇帝の後方から若い女性が現れた。

 幻耀がめとった唯一の妃、玉玲だ。さっきまで泣き崩れていたはずなのに。

 涙の跡もなく、まっすぐに立っていたのだった。こちらを毅然きぜんと睨みつけて。

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