9.私の望み

 洞窟探検を終え、パルは現在身を置く孤児院へと帰って来た。

 両親を戦争で亡くた後しばらくは、マルスと彼の兄と共に生活していた彼女だが、幾らか気持ちの整理が出来てからは、自立出来るまで孤児院で暮らす事を選んだ。

 それを選んだのは、マルス達兄弟の優しさに甘え続ける自分が許せなかったからだった。


 マルス達兄弟も戦争の中で両親を亡くしている。辛さは同じだというのに、彼らは優しくしてくれた。

 いつまでも悲しみに暮れ、彼らの優しさに甘え続けるよりも、どうにか自分で生きていく力を身につけなくてはならないと思った。


 マルスのように実家で生活する事も考えたが、それは彼女にとっては不可能な事だった。

 マルスには彼と兄、二人分の稼ぎがある事、居住区に住んでいた事が幸いし、両親がいなくともどうにか自分達の住居を維持する事が出来た。

 王都の居住区では、住居にかかる税金を納められさえすれば、年齢が若くとも住居の所有権を手にする事が可能だ。


 一方、パルの家は商業区にあった。

 商業区での居住権を得るのは、居住区よりも条件が遥かに厳しい。

 最も基礎的な条件は、店を構えて商売をする事だ。しかし、店を構えられるのは、成人年齢である十八歳を迎えていなくてはならない。

 パルはまだ十五歳。商業区の実家で一人暮らしをして、生計を立てるという道は閉ざされてしまった。

 やむなく彼女は花屋であった実家とその土地を売り払い、孤児院で生活しながら働く道を選んだ。


 パルが身を寄せる孤児院は、グラドフォス王都の中心地から幾らか離れた所にある。

 院長と副院長、そして孤児達の世話をする大人が六人、孤児の数はパルを含めて二十人程度。

 彼女のようにグラドフォスとエストリアの戦争で孤児となり、ここに身を寄せるようになった子どもが多かった。


 孤児院には歳の近い子が多かったのだが、パルはあまり彼らとは馴染めずにいた。

 異質な存在に好奇の視線を向け、時には恐れたり、貶したりするのは生き物のさがだろう。そして、子どもは善悪の判断がまだ曖昧故に、そうした生き物としての性が色濃く表れる。

 動植物の意思や精霊といった目に見えない者達と言葉を交わす彼女を気味悪がったり、彼女の怪力を恐れたり、からかったりする子どもが多かったのだ。両親が生きていた頃もそうした理由で、彼女にはマルスとアイク以外の友達がいなかった。

 明らかに自分が浮いている存在、受け入れられていない存在だとパルは感じていた。


 それ故、彼女は当番制で割り当てられている孤児院の仕事がある時、食事と就寝の時間以外は孤児院にいようとしなかった。

 雇われ先である、両親と仲の良かった夫婦が営むパン屋で朝から晩まで働き、自由な時間はマルスやアイクと過ごしたり、一人で郊外の森に行ったりしていた。




 *   *   *




 孤児院は煉瓦造りの外壁に囲まれており、入るには正面の門を通らねばならない。

 しかし、就寝時間中は門が閉じられ内側から鍵が掛けられている事も、門を開ける時にはその音が響いてしまう事もパルは知っている。


 パルは門の前を素通りして、東側の外壁に向かった。

 築三十年ほどの孤児院は老朽化が目立ち始めており、加えて外壁には戦争の爪痕が八年経った今も残っている。東の外壁も例外ではなく、積み重ねられた灰白色の石には、炎による焦げ跡や武器による傷が痛々しく刻まれていた。


 それらに一瞬眉を顰めてから、パルは壁に近づく。

 そして、石同士の僅かな隙間に指を引っ掛けると、壁をよじ登り始めた。

 外出が禁じられている時間に孤児院を抜け出すのは今日が初めてではない。慣れた軽い身のこなしで壁をよじ登って行く。

 頂上まで登ると、今度は内側の壁に足を掛けて降り始める。

 三分の二ほど降りると、パルは壁から地面に飛び降りた。

 いつもなら最後まで壁を伝って降りるのだが、今夜は早く休みたい思いが強かった。

 一瞬着地の僅かな音が響いたが、気にするほどのものではなかった。


 パルの部屋は建物の二階にある。

 十三歳になると二階の小さな個室を与えられる。それまでは一階の少々広い部屋に四、五人で生活を共にする決まりだった。

 外壁を登った時と同じように、パルは建物の壁をよじ登って行く。

 自室の窓に辿り着くと、その木枠に指を掛けて手前に引いた。鍵が開いたままの窓は簡単に開いて、部屋の主を中に迎え入れる。


 部屋に入ったパルは窓を閉めて鍵を掛け、カーテンを閉める。

 せめて手と顔を洗おう、そう思って入り口の方を振り返った時だ。不意に扉の外を控えめに叩く音が聞こえた。

 どきり、と心臓が跳ねる。ばつの悪そうな顔をしながら、控えめな声で返事をした。


「入りますよ」


 扉の外から聞こえた声は、パルが予想していた通りの人物の声だった。

 扉が開き、廊下から部屋に入って来たのは一人の女性だ。後ろの低い所で一つに結った亜麻色の髪と、穏やかさの感じられる薄紫色の瞳をしている。

 そして、目を引く特徴的な耳を持っていた。耳の上部は頭の頂ほどまで伸びており、先端に向かうにつれて細くなっている。

 それは「アドゥ族」と呼ばれる種族の者に共通した特徴だった。

 アドゥ族は、非常に優れた視力と聴力を有している事で知られている。その鋭敏な聴覚はパルが抜け出し、再び戻って来た僅かな音を聞き逃さなかったのだ。


「ティトラ、院長……」


 焦りを滲ませた声でパルはその女性――孤児院長ティトラの名を口にする。


「……これ、お使いなさい。戸締まりはきちんとね。朝食まではまだ時間があるから、少しは休むんですよ」


 ティトラは湯が入った桶を部屋の床に置き、そのまま部屋を出ようとした。


「あ、あの……怒らないんですか……? 私、勝手に、抜け出したのに……」


 戸惑いながらパルは出て行こうとする彼女を呼び止めた。

 前に抜け出した事がばれた時は一時間ほど説教をされたというのに、今日は一切咎められないのが腑に落ちなかった。


「止めたって、あなたは抜け出すでしょう?」


 ティトラは足を止めて振り返り、小さく微笑んだ。

 彼女の言葉にパルは返事を詰まらせる。


「どうしても罰を受けたいようなら、そうね……今夜は何をしに行っていたのか話してもらいましょうか」


 それだけでいいの、とパルは聞き返そうとした。

 だが、口を開くよりも早くティトラがベッドに座るよう促してきたために、出掛かっていた言葉を引っ込める。

 何とも言えない表情でパルがベッドに腰を下ろすと、ティトラもその隣に腰を下ろした。


 パルは旅に出たいと伝える機会は今しか無いと思った。

 いつもの探検と違い、旅に出るとなれば数ヶ月、あるいは数年は戻って来られないだろう。黙っていなくなった時どれほどの騒ぎになるかは容易に想像がつく。

 そう考えたパルは、せめて院長であるティトラにだけは伝えてから出て行こうと思った。


「そんなに緊張してどうしたんです?」


 たとえ止められても出て行くつもりだが、いざ打ち明けるとなると想像以上の緊張に襲われる。

 聴覚の優れたティトラには、速く大きく脈打つ心臓の音が聞こえていた。

 彼女は心配するだけで、話すのを急かそうとはしてこない。


「わ、私……私は」


 声が上擦りそうになるのを押さえながらパルは話し始める。


「旅に出たい、です……」


 勇気を振り絞って打ち明けた自分の望み。ティトラの顔を、反応を見るのが怖かった。

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