6
愛おしい――と、愛は思った。
ひとり暮らしにしては広いダブルベッド。
普段は寂しさを感じる広いベッドの上で、綾香は静かに寝息を立ていた。
愛はおもむろにぶかぶかのTシャツを脱ぐ。
下着姿になった愛は、綾香の身体からタオルケットを除ける。
裸の綾香。綾香に覆いかぶさるように、愛は綾香に近づく。
薄い唇をなぞる。小さく声を漏らすと、綾香の小さな八重歯が目に入る。
薄い唇から覗く、綾香の小さな八重歯が、愛は好きだった。
綾香の茶髪の髪を掻き分けて、愛は綾香の額にキスをする。
身体を下にずらし、綾香の胸に耳を当てる。
温かい。鼓動が、温もりが伝わってくる。
――愛ちゃん。
名前を呼ばれて、愛は驚く。聞き間違えかと耳を疑う。
「綾香さん……?」
綾香は小さく頷き、愛を抱きしめる。
愛はどうしたらいいか分からずに、抱き締められるがまま身を委ねる。
綾香の寝息が聞こえる。温もりを感じる。
ああ、どうかこの時が永遠に続きますように。
そう願いながら、愛もまた眠りに落ちた。
悪夢に魘されたかのように、目を覚ます。
動機が激しい、息をするのが苦しく、身体が冷たい。
縋るように辺りを見回す。広いベッドには一人きり。綾香の姿は無い。
愛は力なくその場で俯いた。
――また、ひとりだ。
身体が冷えていくの感じる。寒しさが身体の奥から込み上げてくる。
さすがにやりすぎたと、愛は後悔した。
胸の奥が搔き乱される。嫌だと泣きたくなる。
突然、インターホンが鳴る。まさかと思い、愛は急いでモニターの前へ向かう。
「愛ちゃん、起きてる? ごめん、開けてくれないかな」
買い物袋を手にした綾香の姿と声に、愛はそっと胸をなでおろした。
無言でロックを解除し、綾香がエントランスに足を踏み入れる。
その場に立ち尽くし、考える。
綾香を失ったらどうなるのだろう。想像するだけで愛は怖くなる。
罰だと思った。必要以上に綾香を求めてしまった罰だと愛は思った。
インターホンが再び鳴る。おもむろに玄関へ向かい、鍵を開ける。
どこか落ち着いた様子の綾香に、愛は悟る。
「愛ちゃん、服着ないと」
黒い下着姿の愛を見ると、綾香はそう言って愛の頭を撫でた。
綾香が扉を閉める。
「ご飯にしよう。おなか減ったでしょ」
綾香の問いに、愛は頷いた。
綾香が作ってくれたのは、にらのもやし炒めとご飯、玉子焼きと味噌汁だった。
二人用の白いダイニングテーブルの上に、食事が並ぶ。
「お椀、二人分あってよかった。一応紙皿買ってきたんだ」
まるで昨晩のことを忘れたかのように、明るい口調で綾香は言う。
「どう? お口に合うといいんだけど」
「美味しいです。作らせてしまってすみません」
ううん。と綾香が首を横に振る。
お昼のニュースを横目に、箸を口へ運ぶ。沈黙した空気。どこからか漂う別れの匂い。
「綾香さ――」
『愛ちゃん』
遮る様に綾香が口にする。
「ご飯食べたら、話があるの」
どこか気まずそうな綾香の表情に、
「今、話してください」
諦めたように愛は言う。
少し悩んで、
「私、同性を好きになったことないから、どうしたらいいのか分からない」
困ったような表情で、
「歳も歳だしね。親は結婚しろって煩いし……でも」
綾香は続ける。
「だから、代わりでいいって言ったじゃないですか。彼氏ができるまで使ってくださいよ」
「そういうの嫌い」
綾香は愛に向けて言い放つ。
思わず愛は綾香を見る。
「代わりとか、使ってとか、それ私の元カレと同じことしろって言ってるようなもんじゃん」
初めて見た綾香の表情に、愛は戸惑う。
「そんなつもりじゃ……」
俯く愛に、
「ねえ、愛ちゃん――“付き合ってみよっか”」
愛は言葉を失う。
思考が止まる。綾香さんは何を言ってるのだろう。きっと聞き間違えだ。
「好きになれるかは正直分からない。でも、私、愛ちゃんのこと放っておけない。もっと愛ちゃんのことを知りたい。ほら、付き合って初めて分かる事とか、見える事って結構あると思うんだ。だから、ね」
言葉が出てこなかった。そんな言葉をかけてもらえるなんて、愛は微塵も思っていなかった。
「愛ちゃん、泣いてる」
綾香に言われて、愛は自身が涙を流していることに気付く。
「嫌だった?」
愛は首を横に振る。
「迷惑じゃない?」
愛は頷く。
「じゃあ、付き合おう」
綾香は立ち上がる。ゆっくりと愛の方へ向かい、手を差し伸べる。
愛は綾香を見上げる。
涙を袖で拭い、戸惑いながらも綾香の手を握った。
ひとり寂しい夜に、手を伸ばしたあの日を、心の底からよかったと思う。
少しずつ、少しずつでいいからお互いのことを知れたらいいと、その時の私は、確かにそう思っていた。
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