一輪の可憐にして激烈な華

 とうとうワンマンライブまでこぎつけた。ライブハウスとは言っても2,000人のキャパがある小規模なホールとも言える場所だった。

 そこに明らかにキャパオーバーの人員が集まってきている。しかもうつむきがちのまだ高校生ですらないと思えるような子たちが多かった。


「いいね。でっかい会場にスカスカの人間より狭い偏狭な場所にはみ出るぐらいの人間が嬉しい」


 蓮花レンカはそう言ってメンバーに促した。そうして紫華シハナに言った。


「紫華。いつものやつ、頼む」

「うん」


 紫華はそう言うとメンバー一人一人の頬を自分の両手のひらで挟むようにし、それから相手の目を見つめて言葉をかける。


馬頭バズ、狂おしいビートを」

「ああ」


 そして、軽く互いの右手のひらを組んで紫華は送り出す。


「ウコク、今日も渾身のギターを」

「そのつもりだよ」

「蓮花、スラップで世界を変えて」

「宇宙すら変えるさ」


 男どもを送り出した後、紫華は自分のための儀式をカナエにオーダーする。


「カナエ。いつもの、して」

「ええ」


 カナエは長身の身を屈めて紫華の頭を腕に抱いて髪を撫でてやる。そして囁く。


「愛してるわ。わたしの宝物」

「行ってくる」


 水蒸気のような空気の中にステージライトが流れ込むその線は、その空気なのか埃なのかあるいは紫煙なのかを照らしてかつての映画館のような緊張感を再現する。


 そのまま馬頭が前触れなしのドラムソロを始める。息継ぎをしていない無酸素運動のままに瞬間のドラムロールを何往復も繰り返す。いくらなんでも腕が限界だろうというところでも一向に止まらず、それどころかウコクがそのビートを更に超えるような高速カッティングで会場の音質を一気に高音域へと上げる。

 細かく、速く、おそらく手の甲の筋が切れそうなぐらいの忙しい指の動きだった。

 蓮花がもうひとつギアを上げたスラップをウコクのギターに無理やりかぶせる。


 男どもの意地の張り合いだ。

 誰が最初にへばるか、それを競っていて観客のことなどはもはやどうでもいいような状態になっていた。


 それでもカナエとの抱擁を味わって最後に出てきた紫華は、男どものバトルを極限に高めるような第一声でライブを皮切った。


「誰かをいじめてる子は出てって!」


 誰も出て行かない。

 紫華はおそらく本当にこの場には、いじめをしない子か、いじめに遭う子の二種類しかいないのだろうと結論づけた。


 だから、歌った。


 殴られてときめいた

 殴られて、それで勝ったんだ

 じゃあ負けたのは誰

 お前だよ

 この、負け犬が!


 Aエイ-KIREIキレイ「勝ち続けるために」


 アンコールを5曲投げつけて楽屋へみんなで帰る。


「あー!」

「やったやったやった!」

「うん。やりきったね」


 男3人が珍しく女子のような盛り上がりで楽屋への通路を歩いていた。

 カナエも笑顔で応じる。


「みんな、すごくよかったよ。ありがとう」

「あれ? 紫華は?」

「お手洗いよ」


 通路ごとになんとなく女子男子と別れていて、紫華はその女子通路の洗面所で火照る額を水で濡らしていた。


 この小柄な紫華がステージで跳躍していたあの少女と同一人物だと最初は誰も気づかず、「あ、紫華!」とびっくり振り返ると紫華がにこっと笑うというパターンが何度も繰り返された。


 そのパターンの中に、イレギュラーなワンシーンが捩じ込まれた。


「狂った歌、歌ってんじゃねえよ」


 女2人、男3人。

 全員当然のように紫華よりも10cm以上身長が高かった。最初にケチをつけたのは10代かあるいは20ちょうどぐらいの女。その次が女、男男女男女男男男と、無限にループしかかった。だがケチつけは突如止まり紫華を取り囲んだ。男女どもはおそらくこの神聖なライブ会場に異端として紛れ込んだ『いじめる側』の人間どもだった。


「下ろせ!」


 紫華のシンプルなステージ衣装であるデニムのタイトスカートに男の1人が手をかける。反射で膝を打ち出そうというモーションに入った紫華を4人が掴む。

 右腕、左腕、右足首、左足首。

 つまり四肢を男女どもから磷付はりつけのように拘束されて、紫華のスカートのウエストの部分に指を差し込んだ男は極めてゆったりした動作で作業を続けた。ただ、その一連の動作の中で、ふっと男は振り返った。


「何観てんだよ!?」


 低い声で男が怒鳴りつけたのは前髪も後ろ髪も長い男子だった。中学生ぐらいかもしれない。じっと押さえ込まれる紫華を眉間にシワを寄せた泣きそうな微妙な表情で観ていた。


「行けよ! キモ男が!」


 だが、彼は立ち去らず、更にもう1人気がつくと側に立っている男子がいた。

 静かに、もうひとり。もうひとり。増え続けた。


 紫華のスカートに手をかけていた男は一旦そこから離れ、最前列にいた最初の男子の股間を蹴った。


「うう・・・」


 腹を抑えてうずくまる男子。だがそこで終わらない。後列の男子が更に前に繰り出す。


「キモ!」


 また男が蹴る。うずくまる。次の男子を蹴る。うずくまる。この動作が何度も繰り返された。


『あ。このシーン、観たことある』


 紫華は映像としてではなく感覚としてデジャブをはっきりと認識した。紫華が思い出したのはやはり同じように自分が恥辱の窮地にあった時、まるで女神のように丁重に扱われる紫華のために身命を差し出して忠実に防御する男たち。

 一体いつの記憶なのか、そもそも現実の記憶なのか、紫華が目の前で崩れ落ちる男子たちを観ながら、けれども今日のシーンはその記憶すら超えた。


「蹴ってみなさいよ」


 繰り出される男子たちの中にとうとうひとりの女子が混ざった。彼女は紫華と同じぐらい短いスカートを履き、肩幅に足を開いたまっすぐな姿勢でわざと股間の隙間を開いて卑怯な男の蹴りを挑発した。


 男が女子のひざ下あたりからその空間を右足で蹴り上げようとしたとき、


 ゴキッ!


「うああああああああ!」


 本来ならばそういう使用方法を決してしないはずのモノが男の尾てい骨を殴打した。


 ストラトキャスターだった。


「わたしはいい年したジジイで殺人者だが、それでもキミのような人間を矯正する義務がある」


 ストラトキャスターを居合抜きの真剣のように横からの回転軌道で男の尻に振り抜いたウコクは紫華を拘束していた4人の男女どもに向けても水平のスウィングを始動し始めた。


 何も言わず、悲鳴すら上げずに無言で4人の男女どもはライブハウスの通路を外界へ向けてダッシュで走り去った。

 紫華の足下で後ろ手で尻を抑えて転げ回っている男をもまったく無視してウコクが紫華の機嫌を伺う。


「大丈夫だったかい? 紫華」

「ウコク、ありがとう」


 差し出されたウコクの手を支えに立ち上がり、紫華は誠実に、けれども決して負い目や引け目など微塵も感じない空気を纏い、自分の護衛者として股間の隙間を開けて立ったその女子にまず礼を告げた。


「ありがとう」


 そう言って紫華は女子の頰に軽く接吻した。

 思わずその勇敢な女子は泣き出した。


「みんな、ありがとう」


 幾重にも包囲網を築いてくれた男子女子たち全員を労う紫華。

 最後に片膝をついた。


「ありがとう。王子たち」


 急所の激痛をこらえてうずくまっている男子たちひとりひとりに顔を近づけ、その額に自分のおでこを、とっ、と当てて彼らの献身を褒賞した。

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