死人(しびと)を悼む男

「いいですか」

「どうしてあなたが・・・」

「失礼します」


 池袋のはずれにある都営アパート。

 その2階にあるの生家にウコクは上がった。その女は老けて老婆に見えるが還暦を少し過ぎた年齢のはずだ。通り魔殺人犯であった彼女の息子は犯行当時まだ20歳だった。


 部屋は整然として手入れが行き届いているようだった。その母親の年代であれば本来仏壇を持つような世代では既にないはずだが、3人の人間の死に接してきた履歴が彼女に簡易な仏壇を置くことを義務付けた。


 ウコクの妻と子、そして彼女の息子だ。


 仏間兼寝室にしているその畳敷きの部屋へ入るなりウコクは両手をつき前髪を畳に擦らせた。


「ただこうしてお詫びするほかありません」

「・・・内田さん、あなたが謝るのは道理が違います・・・いえ、わたし自身が道理の分かる母親であればそもそも内田さんの奥様とお子様をショウヤがあやめることはありませんでした」


 そう言って母親は手をつき、眉間を畳に押し付けた。


 二人はしばらくそのままで嗚咽しあった。


「今も妻と娘を」

「はい。こんなことを言っていいかしら」

「なんですか」

「娘さんのことは、わたしの孫だと思って朝夕にお給仕させていただいています」


 許そう、と思った。


 ショウヤのことは自らの手で殺した今もこの先も永遠に許さない。地獄に堕ちて二度と浮上するなという願いは変わらない。


 だがこの母親は、もう、いい。

 不意に訪れた今日のこの日、小菊の一輪挿しとその前には紙パックのココアとチョコミントのクッキーが供えられていた。母親なりに生きていれば14際の若い娘が何を好みそうか考えた結果なのだろう。


「本音を言うと、息子を殺したあなたが今でも憎い。もしわたしに男の腕力があってあなたほどの強い意志があれば同じことをあなたに仕返したでしょう。現に果物ナイフをバッグに入れてあなたが法廷に立つ裁判所に出かけたこともありました」

「あなたが望むのならばわたしはあなたに今ここで殺されても構いません」

「内田さん」


 母親はそっと手を合わせた。


「あなたほどの人をわたしは殺したりなどできません。ただ、筋違いも甚だしいのですがひとつだけわたしの願いをきいていただけませんか」

「なんでしょうか」


 正座の姿勢を正してウコクは彼女を見つめた。


「ずっと先のことでも構いません。批判でも批評でもかまいません。ショウヤのことをいつか歌ってやってください」

「・・・わかりました」

「それから、奥様と娘さんのことも、たくさん歌ってあげてください」

「はい」


 二度と会うことはないだろう。


 二度と会わないままにこの二人の内のどちらかが先に死に、この世での縁はそれで終わりだろう。


紫華シハナは何歳まで生きてくれるかな・・・』


 ふっと思った空想がおかしくてウコクは微笑んだ。


 久しぶりに妻との初デートの夜に訪れた神田のバーで、ウイスキーをロックで注文しようと考えていた。


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