馬頭:バズ (Dr)

 大きな揺れだった。

 同時に両親が取引先への納品に間に合わせるため徹夜で作業をしていた小さな縫製工場から出火した。


「父さん! 母さん!」


 一目で無理だとわかった。

 創業からずっと使用し続けている工場の屋根自体が崩れ落ちて彼の父母が作業していた機械を真上から押し潰している。


 機械の足元に置いたストーブから編み上がった製品にあっという間に火が燃え移り、狭い工場内の大半を炎が覆っていた。


 彼の決断は早かった。


『ドラムを・・・』


 その後の経済的困窮は目に見えていた。ドラムを買い直す余裕などおそらくないだろう。延焼しようとしている自宅スペースの二階へ土足で駆け上がり、抱えられるだけのパーツを手にまた階段を駆け下りる。


 スネア、タム、シンバル・・・

 最後にバスドラを両手で胸の上に抱え上げた時、本震に匹敵するのではないかと思われる余震が起こった。


 そのままバスドラと一緒に階段を転げ落ちる。


『死ねるかよ』


 彼はこの状況でも絶望せずに生への執着心を捨てなかった。その理由はたったひとつ。


『叩きたい!』


 一部木製だった工場はもう崩れかけており、深夜の空に炎の灯りとそれに照らし出される黒煙を生み出し続けていた。


 街のほぼ全域から同様の炎と黒煙が上がっている。まるで戦場のような生まれ故郷を、彼はドラムのパーツを何往復にも分けて避難場所として指定されていた神社の階段をダッシュした。


 被災後に避難所をドラムを抱えて移動する彼を見る目は冷ややかだった。そして実際彼のとった行動は異様だった。


 大通りに設置された配給所のそのすぐ横で彼はドラムキットをセッティングし、そして叩き始めた。


「バカかあ!」


 方言のイントネーションと敵意を剥き出しにして壮年の男性が、叩いている彼の胸ぐらを鷲掴んで地べたに引きずり倒した。


 無言で立ち上がりまた叩き続ける彼。


「おんどれ! ワシの女房と子供は梁が落ちてきて即死ぞ! 恥を知らんかあ!」


 男性が今度は彼の手からスティックをむしり取り、下水溝に投げ入れた。

 下水溝は震災の後に流し込まれた汚物で異臭を放っているが、彼はうずくまって素手を突っ込み拾い上げる。


 また、叩く。

 男性は落ちていた鉄筋を振り上げてバスドラを叩き割ろうとした。


「それだけはやめてやれや」


 白髪の老爺が男性を諌める。


「その坊や、背中の皮がヤケドでズル剥けやないかい。きっとそのは誰かの命との引き換えモンなんやろ」


 老爺の言葉に男性はカラン、と鉄筋を捨てた。


 ・・・・・・・・・・・


 震災から2年。


 当時中3だった彼は高校へは進学せずに地元での再建第1号店となったライブハウスで働き、自活を始めた。ライブハウスで寝泊まりすることをオーナーに許してもらい、深夜のスタジオでひたすらドラムを叩き続けた。


「こんばんは」


 平日の夜、すべての出演バンドのステージが終わり、フロアをモップがけしている時に、使者はやってきた。


「誰?」

「音楽レーベルのプロデューサーよ。カナエって言います。『GUN & ME』って知ってる?」

「知らない」

「日本で売り上げ20位のレーベルよ」


 カナエの微妙な言い回しに、ぷ、と彼、馬頭バズは笑ってくれた。


「レーベルが何か用?」

「あなたをスカウトに来たの」

「え!」


 馬頭は大きな声を上げてこう続けた。


「ウチの看板バンドじゃなくて?」

「ああ・・・『フラワリング』のこと? 彼らはもうKPIにツバつけられてるわ」

「はは。じゃあ、次点で俺か」

「違うわ。あなたが本命」

「へえ」

「世界一のバンドを創るのよ」

「世界一?」

「そう」

「バカじゃねえの」

「バカかもしれないけど、愚かではないつもりよ」

「なんで俺を」

「馬頭さん」

「馬頭でいいよ」

「馬頭。あなた一人で全部できるでしょ」

「何を」

「バンドを」

「知ってたか」


 そう言うと馬頭はステージに置かれたままのギターを手に取った。

 レッド・ツェッペリンの「ロックン・ロール」を弾き始める。


「よ、っと」


 ループステーションのペダルを踏んだ。


「今度はこっちだ」


 ベースを手に取り同じくロックン・ロールのフレーズを無造作に気軽に弾いてまたペダルを踏んだ。


 そして最後にドラムキットの後ろに座り、誰もが一度は耳にしたことのある独特のスネアから始まるイントロに合わせ、ループステーションを再生させる。


 ドラムの一音一音の音圧が凄まじかった。


 そしてマイクスタンドに顔を向けて歌った。


 ロバート・プラントの音域を完璧に再現するその歌声はプロのロックバンドでもヴォーカルを張れるぐらいのテクニックも激情も併せ持っていた。


 フレーズの区切りをつけて立ち上がった馬頭にカナエは手のひらの感覚がなくなるぐらいの拍手を送った。


「馬頭。どうしてバンドを組まないの?」

「・・・組んでたさ。4ピースだ。ツェッペリンと同じ。中2の時に結成して中3の最期の学園祭でったのがこの曲だったんだ」

「・・・・・・」

「天才だったよ、俺以外3人とも。特にヴォーカルのヒデシはロバート・プラントより1オクターブ高い音域でシャウトできた」


 そう言って彼はステージライトを眩しそうに直視した。


「全員死んだ。両親も死んだ」

「世界一のバンドを組みたいのよ」

「世界一なんて要らないさ。ただ、あいつらを返して欲しいだけだ。あいつらの代わりがこの世にいるってのか」

「代わりはいない」

「そうだろうが」

「でも、それ以上はいるわ」

「なん、だと・・・」

「あなたの友だちだったヒデシ以上のヴォーカルならいるわ」

「誰だよ」

「14歳の女の子よ。まだ入ってくれるかどうか分からないけど」

「ふざけてるのか」


 それまで冷静に話していたカナエは馬頭の一言で、形相を変えた。


「ふざける? ふざけるぐらいなら最初から音楽を職業にしないわ!」


 睨み合ったまま時間が過ぎる。


「ヴォーカルが決まったら連絡をくれ」


 馬頭はそう言って孤独な練習のためにスタジオに籠りに行った。

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