第四章

01 テロリストたちの反撃


 第四章 テロリストたちの反撃


 ――なにかが妙だぞ。

 ラスティはその瞬間、心のどこかに引っかかりを覚えた。

「なあアネゴ」

 無線にむかって訊いてみる。「コリーはみなかったか?」

「しばらくまえに、エレベーターで下の階へ降りていったわね」

 ヘディが答えた。

「いまはどこにいる?」

「わからないわ」

「そうか。……エミル、ダイスケ、おまえたちはみてないか?」

「みてないよ」

 エミルが言った。

「コリーか? おれもしばらくみかけてないな」

 ダイスケもそう答える。

 ――やっぱり、おかしいぞ。

 さっき、変な笑い声があちこちから一斉に聞こえたが、それ以降、コリーの姿が消えている。

 どういうことだろう?

 マンションの外に出た――なんてことは考えにくい。

 しかし戦いの場からは外れた位置にいる。

 こういう場合、考えられることのひとつに〈待ち伏せ〉がある。

 チャンスが迫るまでじっと息をひそめ、ここぞのタイミングで現れるのだ。

 だが、SWATが到着するまでそれほど時間はないはずだ。――そんな〈待ち〉の作戦を、はたしてむこうは取ってくるだろうか?

「…………」

 どうも、釈然としない。

 しかしいちおう、定跡に従って気をつけておく必要はある。

 定跡というのは、こういうときのためにあるのだ。

「アネゴ、やつはどっちのエレベーターを使って降りたんだ?」

「南側よ」

「りょうかい」

 ――とすれば。

 コリーは南側の階段のどこかに潜伏している可能性が高い。念のため、できるだけ使わないように作戦を立てるべきだ。


「あっ」

 エミルが叫んだ。「見つかっちゃった!」


 敵に見つかってしまったらしい。いまケースを持っているのはエミルだ。

「北側のホールにむかって走れ!」

 ラスティはすぐに指示を出す。

 吹き抜けに顔を向けると、むこう側にエミルの姿が見えた。追っているのはフリッツだ。

「北側ホールまで10秒くらい。アネゴ、間に合う?」

 エミルが訊いた。

「ごめん、間に合わない。いまちょうど妨害が入った」

 ヘディが答えた。

「エミル、階段を使え」

 ラスティは指示を出した。――北側の階段なら問題ないはずだ。

 追手のフリッツとはまだだいぶ距離がある。

「足音を消して移動しろ」

「わかった」

 エミルが階段に入っていく。忍び足で、上へあがるか、下へ降りているはずだ。エミルは四人のなかで、足音を消すのが一番うまい。環境音に紛れるほどの消音をしたうえで、ほとんど全力のときと変わらない速度で移動することができる。この状況で使わない手はない。

 フリッツが遅れて階段に入る。彼が上下を反対に行ってくれればラッキーだ。エレベーターもダイスケも使わずに振り切ることができるのだ。二分の一の確率で、それは起こり得る。

 もちろん、それが駄目だった場合にも対応できるようにしておく。

「ダイスケ、36階へ移動してくれ」

「りょうかい」

 西階段にいるダイスケに指示を出した。

 すこしして、エミルが廊下へ飛び出すのが見えた。

「ごめん、見つかっちゃった!」

 むこうサイドが二分の一を当てたらしい。

「問題ない。……ダイスケ、37階だ。ケースをリレーしてくれ」

「うっし」

 ダイスケがすぐさま1階分駆け上がり、廊下へ飛び出して、エミルからケースを受け取った。

「そのまま階段を複数階降りてエレベーターへ」

「りょーかい。……アネゴ、北側ホール20秒地点まであと5秒……3、2、1、通過!」

「了解」

 ヘディが応答。「北側ホール……カゴ確保。1号機がそちらへ向かうわ」

「カゴはそのまま、上へまわしてくれ」

 そう言って、ラスティは北側ホールへ走った。

「わかったわ」

「ダイスケ、ケースをカゴへ乗せたら、そのまま複数階、階段で降りてくれ」

「フェイクだな――りょうかい」

 ラスティは、ダイスケたちより上の階のホールに到着し、すこし待った。

 すぐに1号機がやってきた。

 なかにはケースだけが乗っている。ダイスケが放り込んだものだ。ラスティはそれを回収した。階数ボタンがすでにいくつか押されているのを確認。操作盤にはいっさい触れずにカゴを見送る。この階でケースが降りたことのヒントを、むこうサイドには絶対に与えない。空っぽのカゴは次に8つ上の階で停ってからまたのぼる。ラスティはケースを抱えて、2階分だけ階段であがった。

 階段からすこしだけ顔を出して、ホールを確認。

 ――よし。

 誰もいない。

 ホールと階段と廊下のすべてに警戒を張れる位置で、待機することにした。

 ――むこうはケースを見失ったはずだ。

 そもそも、まだダイスケが持っていると考えているはず。となると、ここからずいぶん下のほうの階へむかっているだろう。仮に途中階でエレベーターに移したことに勘付かれたとしても、いまこの階にあるということは特定不可能だ。

 次に発見されるまでの間、ひたすらこの場で時間を稼ぐことができる。

 ラスティはポケットからスマホ取り出して確認した。――まだ着信はない。でももうすぐのはずだ。

「ケースは回収できた?」

 ヘディが訊いてきた。

「ああ、無事だ」

 ラスティは答える。

「どこにいるの?」

「31階。北階段――うまくいけば、もうここから動くことなくタイムアップだ」

「そううまく、いくといいんだけど……」

 ヘディの声色に、何か不吉なものが含まれているような気がした。

 ――気になることでもあるのか?

 そう訊こうと思って、口をあけた。

「気にな――――」


 チン、とエレベーターの停まる音が聞こえた。


 ラスティはその口を途中で閉じた。

「…………」

 まさか。

 どきりとして、ホールのほうを覗き見る。

 カゴから降りてきたのはバリーだった。ヘッドセットのスピーカーを手で押さえ、注意深くなにかを聴いているようすだった。

 ――どうして?

 ラスティはむこうに気づかれないうちに頭を引っ込めた。ヘディはスピーカーのむこうで沈黙している。こちらの状況を察したのかもしれない。足音を立てずに、かつ、素早く階段に戻って、踊り場までおりる。

 ――偶然この階にやってきたのか?

 足音が近づいてくる。

 ――そのまま廊下へ行ってくれ……!

 ラスティは祈ったが、バリーは階段へと入ってきた。

 そして彼は、信じられないことを言った。


「坊主、そこにいるんだろ?」


「…………っ」

 背筋が凍る。

 ――あり得ない!

 ダイスケが囮となって下へと向かったのだ。

 エレベーターは常に動いていて、ここへケースを運んだことなど推測できないはずだ。

 むこうからこっちは見えていないはずだ。

 足音だって聞こえなかったはずだ。

 ケースがここにあることなんて、誰にもわからないはずだ。

 ――判るわけがないんだ。

 ハッタリだ。

 そうに決まっている。

 でないと、説明がつかないじゃないか。

「……そうか、そこにいるんだな。下の踊り場に」

「――っ!」


 その瞬間、理解不明な状況に対しての恐怖が、ラスティを呑み込んだ。


 頭のなかで――あらゆる可能性がいっぺんに湧いて――論理が無秩序になった。

 思わず身体が硬直する。

 バリーが階段を駆け降りてきた。

 ――やばい!

「くそっ」

 ラスティは頭が真っ白のまま走り出した。出足がもつれそうになったが、なんとか体勢を立て直して走った。

 バリーが猛烈な速度で迫ってくる。よりによって最悪の相手だ。

 エレベーターを呼ぶか? ――駄目だ、間に合わない。

 なら南側ならどうだ? ――ホールに辿り着くまえに、追いつかれる。

 ダイスケは? ――やはり駄目だ。ここからずいぶん下のフロアにいる。

 無理だ。

 もう逃げ切れない。

 1フロア降りた。もう無理だとわかっていながらも、次のフロアに向かってさらに降りようと試みる。

「――うっ」

 そのとき、肩をうしろから掴まれた。

 振り返る。


「坊主、ゲームオーバーだ」


 勝ちを確信したバリーの顔がそこにあった。

「お前たちは、ガキのわりにはよくやったほうだが、しかし、所詮ガキはガキだったってことだ」

 バリーの手がケースに伸びる――


「ラスティ、こっちだ!」


 エミルの声が聞こえた。

 振り返ってみると――彼はひとつ下の踊り場から顔を出していた。

「……っ!」

 持っていかれるかどうかのぎりぎりのタイミング――バリーのその手をかわしてラスティはケースを下へと投げた。

 エミルがキャッチする。

「ちっ」

 バリーが一瞬こちらを睨む。「くだらない悪あがきだ」そのまま彼はエミルを追いかける。


 ケースを受け取って、エミルは走る。

 階段を二分の一フロア降り、廊下へ飛び出す。

 ――間に合ってよかった。でも、この後どうしよう?

 頭は意外と冷静だったが、うしろからは自分よりも圧倒的に身体が大きく、足も速いバリーが追いかけてきている。

「待てごらあああああ! ぶち殺すぞガキがあああああああ!」

 しかも鬼の形相だった。

「――ひぃっ」

 エミルの脚は恐怖を感じて速くなった。

「ヘディ、エレベーターまであと十五秒! ……間に合う?」

「…………」

 返事がこない。

「ヘディ!?」

 もう一度呼びかけてみる。

 すると、ようやく応答があった。

「駄目よ! エミル、南側のエレベーターは駄目!」

「え」

 そうは言われても、もう行くところがそこしかない。

 迷っているうちに、エミルは南側のホールについてしまった。ちょうどそのとき、チン、と音がなってカゴが到着した。

 ――なあんだ。アネゴ。ちゃんと用意してくれてるじゃないか。

 そう思った。

 だが――

「よう、少年」

 ……そのカゴから降りてきたのはポールだった。

 やっぱり駄目だ。アネゴの言うとおりだった――と思って後ろを振り返る。

 ホールの出口にバリーが立っている。

「…………」

 挟みうちだ。

 まずい。

 どうしようもなくピンチだ。

 エミルは正面に向き直った。ポールのむこうには、彼が乗ってきたカゴが、ドアを開けて待っている。

 ポールをかわして乗り込むのは至難の業だ。

「…………」

 ――ドアが閉まるまで、あと2秒くらいかな?

 エミルはホールの奥へ向かって駆け出した。カゴのある方向とはすこし違う、ホールの出口と反対のほう。

 ポールがすぐに追いかけてきた。

 すぐ目の前にはいきどまりの壁。

 背後にはポールの気配。

 エミルはその瞬間、ケースの持ち手を身体の前へと振りかぶって――その反動で――大きく前屈をするように――上体をまえに折りたたんで――ケースを自分の股に通した。

「えいっ」

「あっ」

 と気の抜けた声が頭上でした。

 ケースはエミルの真後ろにいたポールの股をも抜いて、大理石の床をするすると滑り――まさに閉じようとしていたエレベーターのドアのすき間に吸い込まれた。

 ぴたりとドアが閉じる。

 カゴはケースを乗せて、このフロアから去っていく。

「やったあ! ストラァァァイク!」

 エミルがガッツポーズする。

「……やられたな」

 バリーはそう呟くと、すぐに階段で追いかけていった。

「ラスティ、いまどこ? ……そう。良かった。ケースはカゴに乗ってそっちに行くから。受け取ってね」

 エミルはトランシーバーで連絡をした。

「…………」

 振り返ると呆然と立ち尽くすポールがいた。

「それじゃあ、またね」

 エミルは笑顔で手を振り、その場を去った。


     ***


 ラスティはケースを回収して、そのまま自分もカゴに乗り、ずいぶん上層のフロアまで移動した。

 バリーが近くにいる状況を避けたかった。

「それにしても、いまのはかなり危なかったよ」

 エミルがトランシーバーのむこうで言った。

 ――そのとおりだ。

 ラスティは思う。あと一歩のところでこちらの敗北だった。テロリストに核ミサイルの発射コードが渡るところだったのだ。あともうちょっとのところで、世界中に核がばら撒かれていたかもしれない。

 世界はなんて脆いのだろう。

 世界はなんて危ういのだろう。

 世界を脆くしたのは誰だ?

 世界を危うくしたのは誰だ?

「……おれはノーベル平和賞でも取る気でいるのか? こんなこと、いまは考えてる場合じゃねえ」

 ――小難しいことは横へと置いて。

 いまは状況の分析だ。

 むこうサイドの動き――まるで、こっちの動きを見通してるかのようじゃないか。

 どうしてそんなことができるんだ?

 考えろ。

 考えろ。

 考えろ。


 ――ひょっとして、トランシーバーを傍受されてるのだろうか?


 あり得る。

 技術的には簡単なはずだ。おれたちが使っているのは普通のトランシーバーだ――警察無線のように傍受対策の暗号化はされていない。それに、相手はテロリストだ。もとからそういう機材を持っていてもおかしくはない連中だ。

 ――いやでも待てよ。

 ほんとうにそれで説明が付くのか? だいたい、それが正解だとするなら、コリーの姿がさっきから見えないこととは関係ないってことになるが、この二つは関連性がないのだろうか?

「…………」

 トランシーバーの〈傍受〉は答えじゃないんだ。きっと、べつの解答があるはずだ。


 ――だって、そうじゃないか。

 さっきバリーにこちらの居場所を特定されたのも不可解だったが、それだけじゃない。そもそも最初にエミルがフリッツに見つかり、足音を消して階段を移動したさい……上に移動するのか下へ移動するのか……。エミルにはできるだけ自由にやらせているからだ。

 エミルもどっちへ行ったかは報告していない。それがわかったのは彼が廊下に飛び出してきたときだ。

 そしてあのとき、偶然にも相手は二分の一を引き当てたものだと思ったけれど、いまとなってはそれは違うと断言できる。ここまでの偶然の重なりから考えて、相手はあのときもエミルがどっちへ移動したかを見透かしていたのだ。

 ――そう。

 見透かしていた。

 見ていた。

 見張っていた。

 すべてを頭上から俯瞰し、こちらの居場所を把握していた。

「……そうか。そういうことか」

 ラスティは顔を上げた。

 廊下の天井――そこにぶら下がる黒い球体。

「アネゴ、さっきコリーは下へ降りたと言ってたな?」

「え。……うん、そうよ」

「それは何階なんだ?」

「えーっと……たしか、12階」

「やっぱりそうか」

 ラスティは確信した。

 ――12階といえば、管理室のあるフロアだ。

 コリーはいまそこにいるのだ。

 そして彼はモニターを見ている。


 マンション中に張り巡らされた、防犯カメラの映像を。


     ***

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