02 ファーストコンタクト


〈マテンロー〉の前にRX7が停まった。なかから男がひとりで降りてくる。

 男はヒッキー・フリーマンのスーツを身につけ、肩で風をきるように歩く。それだけならウォール街の銀行員に見えなくもない。

 しかし、ショットガンでも入っていそうな大きなガンケースを担いでいることから、その見積もりはうんと低くなるだろう。

 男は正面玄関から堂々と侵入した。

 エントランスの床にはコンシェルジュたちの死体が転がっていた。それは男の視界にも入っていたはずなのだが、彼は一瞥もくれずにそこを通りすぎた。

 その男は大理石に広がる血の海についてもまったく気にしなかった。まるで最初からそういう模様だったとでも言うように、すたすたとそれを踏んでいった。エレベーターに乗って12階へ。

 管理室のドアは開かれていた。

 なかに入ってすぐのところに管理人の死体が転がっていたが、やはり男は一瞥もくれなかった。歩道の端の縁石ブロックのような扱いで、それを軽く跨いだ。

 その男――つまりコリー・クロ・コップは、部下に訊いた。

「状況は?」

 部下のポールが答える。

「バリーとフリッツが追っています。例の男は深手を負っていたため、ケースはすぐに回収できるでしょうが、念のため、俺はこのビルの出口を封鎖しようと考えています」

「うん。適切だ」

「しかし……」

「どうした」

「出口のロックを操作するには管理人の代表者のが必要なのです。手のひらを液晶につけて照合することによって、コンピューターを動かすことができます」

 ですがあいつがなかなか強情で……と言って、ボールは視線を部屋の片隅に向けた。そこに体重百キロはありそうな、管理人のチーフが床に這いつくばっていて、呻き声を上げていた。

「腕を折ってまでお願いしたというのに、協力してくれないんですよ。担ごうにも重すぎるし。暴れるし。いやぁー困ったなあ」

 コリーは管理人の前まで行って、そこでしゃがんだ。管理人の折れた腕をみて言った。


「あぁ……こりゃひどい。ドイヒーだ」


 管理人の男は、そういうコリーを睨みつけた。

「……てめえが、ボスか?」

「そうだが」

「くたばっちまえ! 死ね! 死にやがれ!」

 管理人の男は唾と血を撒き散らしながら叫んだ。「お前たちは何だ!? どうしてここへ来た!?」

 コリーは真摯に答えた。

「私たちはテロリストだ。探しものをしにやってきたので、あんたに協力してほしい」

「クソ食らえ! テロリストなんかに協力するもんか!」

「出入り口をロックするだけだ」

「俺は、死んでもやらねえぞ!」

「――それじゃあ本当に死ぬか?」

 ポールがそう言って、いきなり発砲した。銃弾は管理人の肩を貫いた。

 管理人の男は悲鳴を上げて、手で傷口を抑える。その傷口からはドロドロと血が溢れ出す。

 しかし、それでも管理人の男はこう言った。

「やらねえぞ。……お前たちに、協力はしない。クソ野郎ども!」

 コリーが日常会話の調子で訊いた。

「たかだかマンション管理の仕事で、どうして、命を張る必要がある? あんた、給料いくらだよ」

「ここはマンションはマンションでも、マンハッタンのマンションだ! 世界経済の中心なんだ! ここの住民に何かあったら、世界中に影響が出ちまう!」

「なるほど理解した」

 コリーは振り向いてポールに言う。「この男は職務にプライドを持っている。……いいかいポール? こういう者には、脅しは通用しないんだ」

「わかったら出ていきやがれ!」

 管理人はやけくそ気味に、目の前の男に罵声を浴びせた。

「いいや」

 コリーはまた振り返って管理人の男をみる。

「アプローチを変えよう」

 そう言って彼は、ここまで担いできたガンケースを床に置いた。カチャカチャと音を立ててケースを開きはじめる。


「あんたの手を借りる」


「やらねえと言ってるだろう! たとえショットガンで脅されようが、ライフルで脅されようが、俺はお前たちに協力しねえぞ!」

「ミスター……それは違うんだ。ここに入っているのはショットガンじゃない。中国人と韓国人の区別がつかないのとおなじで、素人にはわからんだろうが、私は〈銃を使わないタイプのテロリスト〉なんでね」

「……銃じゃないだと?」

 管理人は不可解な顔をした。「じゃあ、その中には……いったい何が入ってるんだ?」

「これだよ」

 コリーはなかからチェーンソーを取り出した。


「これはハクスバーナ社の543XP。三分割クランクシャフトとLowVibシステム採用の、世界で一番クールなチェーンソーだ」


 まったく予想外のものが出てきたので、強情な管理人の男も、思わず訊かずにいられなかった。

「……どうして、チェーンソーなんだ?」

「よくぞ訊いてくれたっ!」

 コリーは急に嬉々として、早口でまくし立てた。

「たしかに、銃というのはとても便利だ。引き金を引けば一瞬で人の命を奪うことができる。西部劇には欠かせない。火縄銃は実に六百年も前から存在する。未来になっても、たとえレーザー光線に姿を変えようともその役目は変わらずに、銃というのは、この世でもっとも便利なものの座を譲りはしないのだろう。……しかぁーし!」

 コリーは立ち上がって両手を広げた。

 力強く語るさまは、まるで大統領の演説だった。

「……私は銃に一つだけ、決定的な不満を持っている。銃にはそう、『切り離すこと』ができないのだ。銃に切り離すことができるのは命だけ。それか、せいぜい耳たぶくらいのものだろう。……私は切り離したい! 切り離したい! ……この世のありとあらゆるものを切り離したい! 善と悪、白と黒、海と空、寒さと山、暑さと細菌、ミルクとコーヒー、カツラと頭皮、パンツと汚れ、愛と憎しみ、本音と建前、寿命と病、過ぎた時間と後悔、寂しさとクリスマス、勇気と無謀、正義と無自覚、地球と人類、頭と胴体、上半身と下半身、右目と左目、胸と腰、肩と背中、身体と腕。……そう考えてみると、拳銃よりもこちらのほうがすばらしいではないか! そうは思わんかね?」

 コリーはチェーンソー本体を股に挟んで慣れた手つきでスターターハンドルを引いた。エンジンは一発でかかってガルルルルッと猛獣の唸りような音を立てた。

 管理人の男には、まさにそれが猛獣のように見えた。不思議なものだ。敵と見定めたものを威嚇し、今すぐにでも飛び掛からんとする一色触発の殺気を、たしかにそのチェーンソーから感じたのだった。

 管理人の男は絶叫した。

「チェ、チェーンソーで、脅されたって……協力しないぞ!」

「いいや違う。ミスター……協力はもういらないんだ。私は〈強引に脅さないタイプのテロリスト〉なんでね」

 部下のポールがやってきて、管理人の手首を掴み、無理やり腕をぴんと伸ばした。

「……まさか」

 管理人の顔から血の気が引いた。

 ――認証に必要なのは、管理人の掌紋だ。

 それだけあれば問題ない。

 コリーがスロットルレバーを引いた。

 チェーンソーの刃がキュイィィィィィンッと高速回転する。


 ……彼はそれをゆっくりと降ろしながら言った……。


「手を借りるだけだ」


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