東向きのエミル

筒城灯士郎

東向きのエミル

プロローグ

プロローグ


   『東向きのエミル』

           筒城灯士郎



【登場人物】


〈泥棒チーム(少年少女)〉

 エミル・イーストン Emil Easton

 ラスティ・レインウォーター Rusty Rainwater

 ダイスケ・ダテミチ 伊達道 大輔

 ヘディ・ハックマン Hedy Hackman


〈探偵チーム(テロリスト)〉

 コリー・クロ・コップ Cory Cro Cop

 ポール・パーシヴァル Paul Perceval

 バリー・バリントン Barry Barrington

 フリッツ・フレッカー Fritz Flecker


〈その他〉

 ゴア       ……大統領

 リチャード    ……副大統領

 ローラン     ……エージェント

 エドワード    ……全米最強の☓☓☓


     ***


 もくじ


 プロローグ

 第一章 ファーストコンタクト

 第二章 試合準備(+ある男1)

 第三章 試合開始、エレベーターとぼくらの正体

 第四章 テロリストたちの反撃

 第五章 指揮合戦

 第六章 エントリー(+ある男2)

 第七章 人質(+ある男3)

 第八章 東向きのエミル

 エピローグ


     ***


【真相その1 この物語は4人のテロリストと4人の少年少女たちが、「ケイドロ」による攻防を繰り広げるものであり、とあるタワーマンション内が、その舞台となる】


     ***


 プロローグ


 マンハッタンの一番街には〈マテンロー〉という名のタワーマンションがあって、そこには世界経済の中心で仕事に追われて多忙な大人たちと、その子供たちが住んでいる。平日の昼間は大人たちが出払っているから、わんぱくな子供たちは幸運なことに、長大な廊下のうえを全速力で走り回ることができた。


 その四人の中学生がケイドロのチームを組んでいたことは、のちの歴史を鑑みれば、誰の目からも奇跡だった。


 そのケイドロチームには、歴史に名を刻むこととなる少年少女たちが集結していたのである。


 その一人、エミル少年はマンションの中を全力で逃げ回っていた。

 エレベーターホールの前をすばやく抜ける。そのさい、目の端でランプを見てカゴの位置を確認する。――相手にアネゴがいる以上、やっぱりエレベーターは使えないなあ、と彼は思う。少年はその2つとなりの階段まで走っていって、外から見れば、まるでエスカレーターに乗っているのかと思えるくらいに滑らかに――重力に従順に――最小限の、無駄のない動きで――一段とばしを繰り返してフロアを3つ降りる。37階から34階へ。


 練習戦。


 コインで決めた役割はこうだ。

  泥棒役、エミル。

  探偵役、ヘディ、ダイスケ、ラスティ。


 制限時間30分のうちの26分が過ぎていた。


 エミルは走り続ける。――あと4分逃げ切ったらこっちの勝ちだ。泥棒役が一人で勝つことなんて、そうそうできることじゃないぞ。やっぱり、大胆に動いたことがよかったみたいだ。それで発見までの時間をずいぶん稼げたんだ。でも気を抜くことはできないぞ。だって、ぼくの位置はきっと、もう相手サイドに――

 そのとき近くで音が鳴った。


 チン。という、エレベーターが止まる音。


 間違いなく、このフロアに止まった音だった。

「……きた!」

 続いて足音が聞こえる。

 こっちに向かってくる。

 エレベーターに乗ってやってきたのは、やはりヘディだった。

 くるくるとカールした金色のショートヘア。黒のタンクトップから伸びる、細く、真珠のように白い腕。真紅のキュロット・スカート。


「エミル、そこで足を止めて、あたしに捕まりなさい!」


 ヘディ・ハックマン。

 彼女が得意とするのは《機械の制御》。

 誕生日がいちばん遅いにもかかわらず、仲間からは〈アネゴ〉と呼ばれている。

 のちに〈家庭用量子コンピュータの実用化〉を成し遂げる彼女は――


 いまこの少女時代においては、マンション内の6機のエレベーターに夢中だった。


 ヘディは、エミルがそこにいることを初めから確信していたかのように、一直線にこっちに向かってくる。

 どうして彼女はエミルがここにいることを分かったのか? ――それはラスティが、エミルの動きを読んだからとしか考えられない。――ずっと探偵の姿が見えないと思っていたら、いつの間にか包囲されている……というのがよくあるオチだから、エミルは試合開始から休むことなく移動し続けていたのだ。なのにラスティの頭脳は、その移動の分までを含めて演算したようだ。

 とにかくこのフロアを移動する必要が生じて、エミルはとなりの階段まで走る。

 ――上か、それとも、下に行くか。

 足を一瞬止めたときに――どんっ、という大きな音がすぐ近くで弾けた。エミルが反射的に見上げてみると、踊り場には、着地姿勢からゆるりと立ち上がるダイスケがいた。

 ダイスケは十四段ある階段をいっぺんに飛ばして、そこに降り立ったのだ。

 それはダイスケにしかできない技だった。


「エミル、奇遇だなあ! ――いいからおれに捕まれよ!」


 ダイスケ・ダテミチ。

 彼の特徴は《強靭な肉体》。

 のちに〈21世紀最強のCIAエージェント〉となる彼は――


 いまこの少年時代においては、階段を一気飛びすることに夢中だった。


 ダイスケがそこにいることで、階段の上には――これ以上近づきたくない、と本能的に思えるほどの――ものすごい威圧感が発生した。階段という場においてのダイスケは、エレベーターホールのヘディとおなじくらいの脅威だった。

 ……だめだ、絶対、勝てやしない。

 エミルは思わず、引き返しそうになる。

 しかし――と少年は思う。

 このままこのフロアの廊下を進むということは、探偵側にとって、一番予想しやすい行動じゃないか! それをやれば、ラスティの思う壺だ!

 エミルは思い切って賭けに出て、階段を1フロア駆け下りた――34階から33階へ。

 ……なぜだろうか?

 ダイスケは追ってこなかった。

 まるで、自分の仕事を終えたかのように。

 ただ彼の、「下だ! エミルは下に降りた!」という誰かに報告する声だけが、上のフロアで反響し、エミルの耳にもかすかに届いた。


 1フロア降りたらどちらに行くか――エミルは降り切るまえから決めていた。常に思考を止めてはならない。いまのアクションが終わるまでに、次のアクションを決めておかなくては一瞬のロスが生じてしまう。ケイドロにおいては、それがなによりも命取りなのだ。

 エミルはラストの四段を一気に飛んで、すぐに右を振り返る――。

「……っ!」

 そこには、最後のひとりがいた。

 ダイスケとヘディを効果的に配置し、エミルをここまで追い詰めた張本人――ラスティ。

 何を考えているのかを、まったく表に出さない理知的な顔。黒のヘッドセット。口元に向かって伸びるトランシーバーのマイク。


 エミルは驚いて、彼に訊いた。

「ここまでのぼくの行動を、全部先読みしたのか?」


 ラスティは満足気な顔で答えた。

「当然だ。エミル、――これでチェックメイトだぜ」


 ラスティ・レインウォーター。

 エミルの親友。

 彼が得意とするのは《指揮》。

 のちに〈21世紀最高の☓☓☓〉となる彼は――


 この少年時代においては、エミルを追うことに夢中だった。


     ***


 すこしまえのはなし――。

 ラスティ少年は、ゲーム開始から17分もの間、エミルを捕捉することができずにいた。

 泥棒役が隠れているときの効率的な捜索法――捜索の定石、と言ってもいいものが、ケイドロにはある。

 しかし、それはなぜか今回、機能していなかった。

 ラスティは考えた。――エミルのやつ、ふつうやらないような、大胆な動きをしながら、隠れているんだ。

「ちぇっ、〈後期クイーン問題〉かよ。しゃらくせえな」

 ラスティは推理小説の愛好家でなければ知らないような単語をつぶやいた。

 そして彼はにやりと笑った。

 ……エミル、お前がそうくるのなら、こっちもやり方を変えようじゃないか。


『泥棒が探偵に行動を推測されることを前提として行動する』というのなら、『泥棒が探偵に行動を推測されることを前提として行動しているということを推測して探偵が動けばいい』だけのことだ――。


 トップレベルのケイドロにおいて、それはあまりにも複雑な計算だった。いうなればチャスや将棋の名人戦で、定跡を崩してしまう一手を打つようなものである。常人には到底不可能だ。

 しかし。

「残念だな、エミル」

 ラスティは微笑する。

 ――おれにはそいつが不可能だ。


 だが。

 いまこの場、この瞬間にできるようになってやるさ……!


 ラスティはトランシーバーのスイッチに触れて、ヘディとダイスケに指示を送った。自分を含めて三人の探偵役の位置を、すばやく器用に動かしていく。その動きは彼らにとって、はじめてのものだった。

 ラスティは捜索の定跡を完璧に一つずつ外して――まるで音楽が転調するかのように――その捜査網を保ったままに、新しいチームの動きを、その瞬間に――アドリブで構築した。……つまり、彼はそれまで存在しなかったあたらしい陣形を、リアルタイムで組み立てたのである。

 そして、それは成功する。

 ヘッドフォンのむこうから、ヘディの報告が届いた。


『いたわ。――41階のc階段とd階段のあいだ。反時計回りに移動中』


「了解。アネゴ、気づかれないように、捕捉を続けてくれ。すぐにダイスケとおれが位置を取る」

『りょうかい』

 ダイスケとヘディを動かしながら、常に自分も動き続けて、ラスティは、エミルを捕まえるタイミングを見計らった。

 そして――エミルが34階に到着したとき、そのタイミングが発生した。


「いましかない、アネゴ、エレベーターで34階へ、そのまま追え」

『りょうかい』


 そしてヘディがエミルの背中を追いかける。エミルの向かう先にいくつかのパターンが考えられるが、そのすべてに対応できるように、自分とダイスケは位置を取ってある。

『cからbへ向かっているわ』


「いまだダイスケ、b階段から降りろ」

『ラジャー』


 ダイスケがそこに現れたことで、エミルはどう行動するだろうか? ――ラスティはどのパターンにも対応できるようにしつつ、あえて、エミルにとってリスクのある選択肢を本命とした。きょうのエミルの思考を、まるで自分のものかのように想象してみると、その行動に出そうな気がしたのだ。――相手の心理と自分の心理をシンクロさせる――のちに〈☓☓〉となる彼は、この時からその才能の片鱗をみせていた。ラスティは、1つ下の階で待つことに決めた。

 そこにエミルが現れた。

 小柄な身体。栗色の瞳。パーカーを着て、そのフードを目元まで深く被っている。


 エミルは心底驚いた顔で言った。

「ここまでのぼくの行動を、全部先読みしたのか?」


 ラスティは答えた。

「当然だ。エミル、――これでチェックメイトだぜ!」


 その瞬間、エミルはラスティに背を向けて、廊下をまっすぐ走って逃げた。

 最後のわるあがきだ、全く意味がない――と、ラスティは思う。――でも、もしもこれが、何かの罠だったら? 一瞬、そんな考えが頭をよぎるのは、常に最悪の事態を考えるクセがついているからだった。――エミルのことだから、あり得なくもない。ラスティは、ダイスケとヘディに指示を与えて、腕時計を確認する。

 あと2分。

 ――どちらにせよ、これがラストチャンスだ。

「エミル、もうおしまいだ、おとなしく捕まれ!」

 と、ラスティは宣言した。

「いやだぁああああああああ!」

 と、エミルは逃げまわりながら絶叫した。

 まるで子供だった。

 ――まぁおれたちはみんな、子供なんだけど、とラスティは思う。――この様子だと、どうやらエミルには何の手も残されていないようだな。制限時間ギリギリだが、おれたち探偵チームの勝ちだぜ。

 エミルは廊下の端へ向かう。むこうにあるのは行き止まりだ。残り1分。間に合う。ラスティは勝利を確信した。――しかし、そのときだった。

 エミルのすぐ後ろで、

 ラスティのすぐ前で、

 怒号が飛んだ。


「こらぁああああああっ! ガキがぁああああ!」


 激怒した老人が、マンションの一室から廊下へ飛び出してきて、エミルとラスティを分断する。

 ラスティはあわてて急ブレーキを踏んだ。「やべえ!」

「廊下を走るな、バッカモンがぁあああああっ!」

 老人はエミルとラスティの二人を見比べて、すぐ近くで足を止めた方のラスティをターゲットに定めたようだった。こっちに向かって、杖を振り回しながら迫ってきた。

 ラスティは後ろにターンして、叫んだ。

「サンダース爺さんだ! ――ちくしょう! 撤退だ、みんな撤退しろ!」

 こうなってはケイドロどころではない。

 一度サンダース爺さんに捕まれば、日が暮れるまで延々と、説教を食らうことになるのである。サンダース爺さんは廊下を走ることを絶対に許さない爺さんで、子供みたいに小柄で、声だけは馬鹿デカくて、暇人で、ラスティたちのことを捕まえるべく、家のドアを開けっぱなしにして、いつも廊下を一日中監視しているのだった。

 ここがその場所だ、ということをラスティは気にしていなかった。

 だって、エミルを追いかけるうちに、いくつもの偶然が重なって、この場所に来たのだから。


 ——でもこれは本当に、偶然だったのだろうか?


 ラスティは気がついた。

 ……違う、偶然じゃない!

 ラスティたちは、自分たちが、うまくエミルを追い詰めたものだと思い込んでいた。しかし真実は――それとは逆に、エミルがラスティたちをこの場所まで導いていたのだ。

 ラスティは後ろを振り返った。

 サンダース爺さんの、そのむこう。

 その少年――エミルは、両腕をあげて、無邪気に跳ねながら叫んだ。


「やっっったぁああ! ぼくの、勝ちだぁあああああああ!」


 エミル・イーストン。

 ラスティの親友。

 彼が得意とするのは《誘導》。

 のちに〈21世紀最高の☓☓☓〉となる彼は――


 この少年時代においては、逃げることに夢中だった。


     ***

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