第29話 カテドラルのエルバ 1 

 青く澄んだ水の中に、光が降り注いでいる。


 揺らめく光に彩られた水面を、白い剣が切り裂いた。


 白い剣は泡をたなびかせて、ゆっくりと沈んでゆく。


 剣に取り付いた細かな泡が少しずつがれて水面へ昇る。


 水底へと沈む剣と水面とを繋ぐ糸のように。


 七色に輝く空気の塊が紡ぐ糸は、やがてぷっつりと途切れた。


 最後に一つ、大きな泡がゆらゆらと浮かび上がった。


 泡は水面から脱出すると、たちまち空気に溶けて見えなくなった。



               *



 いつか対面したのとは違う部屋に、法王はエルバとフューレンプレアを迎え入れた。


 応接用のテーブルを挟んで、二人は法王と向き合った。テーブルには立派な皿が置かれていて、コウテイミツアリが積み重なるようにしてせられている。


「まずは君たちをいたわらせてくれ。お疲れ様。君たちの成し遂げたことに敬意を。」


 法王は透明の液体で満たされたゴブレットを傾けてそう言った。


「徒労を労って下さるわけですか?」


 エルバは冷たい声で問いかけた。法王は薄い笑みを浮かべて首を傾げた。


「砂の蜥蜴はあなたですよね? アリスネストを作り、マイの品種改良を行い、そしてにえの王国の生贄いけにえ政策の発案者でもあった……。」


 エルバの問いに、法王は小さく息を吐いて机の上で指を組んだ。


「ティエラからはどこまで聞いたのかな?」


「彼女が知っていることは全て話してくれたのだと思っています。分断の時代のこと、共栄帯の成り立ち、そして、僕の故郷……ルスが滅びねばならなかった理由も。」


 法王はなるほど、と呟いた。


猊下げいか、どうして私たちを贄の都に送り込んだのですか?」


 フューレンプレアは固い声で尋ねた。猊下というよそよそしい呼称に、法王は笑みを苦くする。


「ティエラは言いました。私たちの旅は無駄だったのだ、と。既にルスの犠牲によって世界は救われている、と。イミルを退治する必要性も、大きくはなかったのではありませんか?」


 しばしの沈黙を挟んで、法王は口を開く。


「勘違いをしないでほしいのだが、ティエラが何と言おうと、君たちの旅には十分に意味があったよ。」


 法王は少し考えてから、人差し指を天井に向けた。


「まずはイミルだ。あれはその昔、私が改造したヒトハミでね。他のヒトハミに襲われないようにと守印しゅいんの仕掛けを体に組み込んだのがいけなかった。とても立派に育って手に負えなくなったので放棄したのだ。それきり、半ば忘れていたのだがね……。」


 法王は気怠けだるそうに溜息をいた。


「想像してごらん。世界は一つの巨大な水槽だ。この水槽に、小さい水槽から大量の水が注がれる。水面は酷く乱れる。この状態が、あと十年は続くはずだった。だがこの時、別の場所から水を注いだらどうなるだろう?」


 法王はぐるぐるとゴブレットを回す。透明な液体がゴブレットの中で渦を巻いていた。


「ただの思い付きだよ。それなりの効果はあったと思うがね。……白の魔法使いが犯したアドリブへの意趣返し、という面も否定はしないが。」


「アドリブ? 意趣返し?」


 エルバは眉をひそめた。


「君と言う爆弾をこの世界に送り込んだではないか。だからその爆弾を廃棄物の処理に回させてもらったのさ。」


 法王は酷く冷たい目をエルバに向けた。


「あなたの思い付きと意趣返しのために、僕らはあんな危険な目に遭ったと?」


「安全策はとっていただろう。共栄帯きょうえいたいの内側で危険な目に遭ったのは運悪くティエラと遭遇したからだ。共栄帯の外に出るに当たっては、わざわざ彼女に頭を下げて護送ごそうを依頼してあげたではないか。」


「そのせいで、ティエラさんは!」


 おや、と法王は首を傾げた。


「まさか彼女が死んだとでも思っているのかい? 無事だよ。白の魔法使いが彼女を見捨てるはずがない。今頃は彼の庇護下で眠っていることだろう。十年もすれば完全修復されて目を覚ますさ。」


 エルバは目をしばたかせた。贄の王国を出て以来心を覆っていた暗雲から光が差し込んだような気がした。心の動きを悟らせまいと、エルバは苦労して眉根に深い溝を作った。


「白の魔法使いとは何者なのですか?」


 その名を口にするだけで、エルバの心は十分に荒れた。


「彼は世界そのものだ。」


 法王は気のない声で答えた。


「世界を構成する膨大な力の流れに一人の人間の精神の残滓ざんしが混ざり込んだ。そんな、莫大でありながら曖昧な存在だ。この世界に渦を巻く力の全てが彼の意のままだというのに、彼の意は茫洋ぼうようとして捉えどころがない。人の願いを介さねば何ひとつ為せない不完全な神だ。」


 法王の顔に、ほのかな苛立ちが揺らめいた。


嘆願術たんがんじゅつの際に祈りを捧げる神とは、その方のことなのでしょうか?」


 フューレンプレアが口を挟む。


「愚者に説明するのを面倒に感じた時、神と言うのは非常に便利な小道具でね。ティエラから聞かなかったかね? 歎願術は純然たる技術であって、そこに神は介在しない。イミルを討伐し英雄になったお前には、私がその真なる技を伝授しよう。」


 法王は彼女に向けてゴブレットを掲げた。


「プレアさんに試練を課すのも目的だったのですね?」


 口を挟んだエルバに、法王は冷たい目を向ける。


「ああ、そうだよ。人心を乱す君という存在の排除と活用。フューレンプレアには経験を積ませたい。贄の都に残る廃棄物の利用方法を思いついた。毎日のように処理する無数の問題の内のいくつかが、こうして結びついた。だから君たちを送り出した。それだけのことだ。そして君たちは帰って来た。……おめでとう。君たちが英雄だ。」


 法王は空っぽな賛辞を口にして拍手をした。冷たい空気の中で、拍手の音はこれ以上なく白々しく響いた。


「かねてより私の後継者は君だと思っていたよ、フューレンプレア。」


 フューレンプレアは驚いたように数回瞬きをして、やがて目を伏せた。


「ありがとうございます。未熟ではございますが、精一杯努力いたします。」


「……随分と落ち着いた。やはり、可愛い子には旅をさせるものだ。」


 法王は温かく目を細めた。


「あなたは不枯ふこの者なのでは? 後継者など必要ですか?」


 エルバは怪訝けげんに思って口を挟んだ。


「民と時間を共有し得ない者が民を導くべきではない。してこの先は耐え忍ぶ時代から先に進む時代へと移り変わっていく。私は一線を退くべきなのだ。」


 法王はごく気楽に宣言した。フューレンプレアは静かな無表情で、冷たく法王を見つめていた。


 気まずい沈黙が三人の間に降りる。


 しばしの後、法王は手を叩いてこう言った。


「さて、フューレンプレア、後でまた話そう。今は一度席を外して欲しい。エルバ君と二人で話をしたいのでね。」


「解りました。」


 フューレンプレアは静かに答えた。立ち上がって優雅に一礼する様は、洗練された貴人のものだった。唐突にフューレンプレアが遠い存在になってしまったのを、エルバは察した。


「……エルバ、後でね。」


 フューレンプレアはエルバに微笑みかけて、無駄のない足取りで部屋の外へと出て行った。


 ふわりと揺れた金の髪が、甘い香りを残していった。




 エルバと法王は、奇妙な緊張感の横たわる室内で向かい合っていた。


 法王は沈黙に耐えかねたようにコウテイミツアリを口に入れてゴブレットを傾けた。


 エルバは唐突に、コウテイミツアリを口に入れたい衝動にられた。恐る恐るアリの胴体をつまむと、何とも言えない弾力が指先を刺激した。


 がくがくと震えながらアリを口元に運び、目を閉じる。意を決して口に入れると、奥歯で噛み潰した。口腔内でアリが弾ける音が脳をくすぐる。


 口いっぱいに甘ったるい蜜が広がった。仄かな酸味が甘みを緩和してしつこさを感じさせない。確かに美味しい、とエルバは認めた。


「さて、エルバ君。」


 ゴブレットに注がれた得体の知れない液体を飲み下すと、法王はエルバの名を呼んだ。再び沈黙が下りる。


「君はこの世界を憎んでいるかな?」


 数秒の間を置いて、法王は尋ねた。


「当然です。」


 エルバは間を置かずに答えた。


 故郷を糧に永らえるこの世界を、エルバは決して許さない。生涯恨み続ける。エルバの故郷を踏み台にして幸せになろうとする全てが、エルバにとっては仇だ。


 この世界の輝きをどれほど目にしても、決して納得できるものではない。


「では、復讐を望むのかい?」


 法王は楽しそうに問いかけた。


「まさか。」


 納得はしない。絶対に。


 だからと言ってこの世界の幸せを踏みにじることができるほど、エルバは強くない。危機に瀕してなお永らえようとする生々しい命を、この目で見て来た。


「一生いじけておきますよ。それだけのことです。」


 歪んだ笑みを浮かべるエルバを、法王は不思議そうに見つめた。


「復讐しないのかね? なぜ?」


「手段がありません。」


 エルバは己の弱さを隠して、もっともらしい答えを返した。


「手段とは作るものだよ。」


 エルバは眉根にしわを寄せて法王を見た。


「あなたは僕に復讐させたいんですか?」


「いや、知りたいだけだよ。君が今、どんな気持ちなのかをね。」


 からかわれているのだろうか、とエルバは真剣に考えた。どこか遠くを見つめる法王の表情は、からかっているにしては深刻めいていた。


「復讐心、というのには私もいささか覚えがあってね。その昔、まだ若かった頃の話だが、私は身を焦がす復讐心にじゅんじたことがある。故郷を滅ぼした男を、私は殺した。世界を救うかもしれない男だった。彼が健在だったなら、世界はこんなことになっていなかったかもしれない。……後悔はしていないがね。」


「後悔してください。」


 エルバの深刻な願いに、法王は初めて無邪気そうに笑った。


「実は私とティエラの確執もそこにたんを発していてね。あのクズは彼女にとって父親も同然だったものだから、彼女は未だに私を憎んでいるのだよ。執念深い女だろう?」


「……はあ、そうですか。」


 エルバは気のない相槌あいづちを打った。


「先述の通り、私は復讐を遂げたことに後悔はしていないし、あの時に戻ったとしても同じことをする。あの男には似合いの死にざまだったのだ……!」


 法王の手の中で、ゴブレットがきしんだ。部屋が不吉に揺れ動き、テーブルが不安定に浮き上がる。エルバは咄嗟とっさに腰を浮かせた。


「な、何を?」


 ゴブレットが悲鳴を上げて砕け散った。それを合図にしたように、揺れはいきなり収まった。


「見苦しいさまを見せてすまない。」


 法王は一つ深呼吸をして指を鳴らした。砕け散ったゴブレットの破片と液体がり集まり、元の通りの形を作り上げる。


「私はね、エルバ君。白の魔法使いが君に与えたのは復讐するための力だと思っている。彼はルスを贄として作り出した張本人でありながら、ルスとして君に力を与えた。ヒトハミを皆殺しにしろなどと言う危険な要求にさえ答えた。」


 法王はエルバの目を正面から見つめた。青い目には硬質な光が宿っていた。


「君は世界を滅ぼせと一声叫ぶだけで、本懐を遂げることができたのだ。」


 あるいは、法王がエルバをカテドラルから放り出したのはそれが理由ではないか、とエルバは疑った。


「世界を救う」という使命を与えた上で、美少女と二人の冒険に送り出した。救わねばならないと思い込んだ世界に愛着を持つように。追い詰められたエルバが目先のことに願いを使うように。あるいは、過酷な日々の中でフューレンプレアとの絆を育むように。


 そう考えると、エルバは見事に法王の企みにはまっているようにも思われた。もっとも、この閃きが事実だとすれば滑稽こっけいでもあった。


「あなたの考察は的外れです。僕の願いが全て聞き入れられたわけじゃない。白の魔法使いは自分が好む願いを好きなように叶えただけです。この世界を滅ぼせ、なんていう願いを聞き入れるはずがありません。」


「そうか、的外れか。」


 あっさり頷いて、法王はゴブレットの中の液体に視線を落とした。


「あるいは君がこちらの世界で暮らすのに困らないようにという、それだけの配慮だった可能性もあるがね。」


 法王は冗談めかしてそう付け加えた。それはない、とエルバは首を横に振る。法王は溜息を一つ零すと、真面目な表情に戻った。


「まあ、あの方の考えなど私には解らないことだ。だが、事実として言えることが一つある。ルスの滅亡はね、十年ほど遅れているのだよ。」


「は?」


「十年前には、ルスはすでに収穫期を迎えていた。だが、白の魔法使いはルスを開かなかった。ルスという世界に情が移ったのだろう。考えてみれば、彼は百年にわたってルスの核として機能していた。ルスとしての自我に侵食されていてもおかしくない。先ほども言ったが、彼の自我は曖昧だからね。こちら側の世界を見捨てるつもりもない癖に、ルスを切り捨てられなくなったのだ。全く、困ったお方だ。」


 だが、所詮しょせんルスは急造の小世界に過ぎなかった。保ち続けるのも容易ではない。資源も限られている。緩衝材である植物が文明に置き換わることでエネルギーが高まれば、世界はどんどん不安定になってゆく。


 最終的には滅亡するしかなかった。白の魔法使いはその時期を悟って、世界を開いたのだろう。彼が何を望んでエルバを送り出したのかは定かでないが、彼は間違いなく、ルスという世界を愛していた。


「エルバ君、君はこの世界が憎いだろう。だが、一つ言っておきたい。ルスの延命は少なからぬ悲劇をこの世界に生んでいる。」


 フューレンプレアは五年前、ヒトハミの襲撃により故郷を失くし、天涯孤独の身になっている。ヒトハミと、その元凶と言われた贄の王国への怒りを原動力に、彼女は立派な嘆願術師に成長した。


「もしもルスが予定通りに開いていれば、フューレンプレアは今頃、故郷で家族と共に花の盛りを謳歌おうかしていたかもしれない。」


 土を焼いて作った花飾りを手に包んで花への憧れを語る彼女の切なげな姿が、満開の花畑で輝く金髪を揺らす笑顔へと置き換わる。


 彼女の傍にはエルバではなく両親がいる。彼女は希少な嘆願術師としての才能を誰にも知られないまま、家族に囲まれて静かに過ごす。


 そんな切ない夢想が、エルバを捕らえた。


「君のせいではないし、ルスが悪いわけでもない。だが、この世界の生存のためにルスが失ったものだけでなく、ルスの延命のためにこの世界が失ったものも、どうか知っておいてもらいたい。」


 エルバは答えなかった。十年早くルスが開かれていたなら、どうなったのだろう。その可能性が次々と頭の中で花開いて、答える余裕を失わせた。


 砂の蜥蜴はさも満足げに、邪悪な笑みを広げた。


「君はきっと、また白の魔法使いに会うだろう。その時君が今と同じ答えを返せることを願っているよ。」



               *



 もしも正しい時期にルスが役割を終えていたとしたら。その仮定は、エルバの心を捕えて放さなかった。


 例えば、ティエラはどうだったろう。ヒトハミさえいなければ、どこかに腰を落ち着けることができたのではないか。人々の営みを切なげに、けれど優しく見守って、穏やかな暮らしの中で傷を癒していたかもしれない。


 例えば、ゴートはどうだっただろう。彼の家族や故郷の滅亡は避けられなかった。けれど、その後の運命は大いに変わったのではないか。人々の暮らしが豊かになれば、どこかの街に受け入れられて、人並みに生きられたのではないか。


 例えば、マッドパピーはどうだっただろう。どうせ同じように人の道から外れていただろう。好奇心は奴を人の間に留めておかない。そう思うと、エルバの気持ちは僅かに軽くなった。


 エルバの足は自然と人の波の中を泳いで、いつかの場所へと向かっていた。


 旅立ちを決めた日に二人で話をした城壁の上に、フューレンプレアは立っていた。


 エルバは黙って彼女の隣に並んだ。そこから見える大地は相変わらず乾いた赤土が剥き出しで、命の気配は微塵もない。


「まだ目に見える変化はありませんね。十年で緑になるのでしょうか?」


 フューレンプレアは緊張感の抜けた声でエルバに話しかけた。


「なると良いですね。」


 エルバは固い声で答えた。後ろ暗さがエルバの首の向きを固定してしまって、彼女の顔を見ることができない。


「ゴートとマッドパピーはどこに?」


「それが、二人ともどこかに行ってしまって。」


 フューレンプレアは呆れたように言った。集団行動のできない連中である。それがまた、彼ららしい。去来した温かな気持ちはその分罪悪感を加速させた。


「法王さまに意地悪を言われましたか?」


「言われました。」


 エルバの正直な答えに、フューレンプレアはくすくす笑った。ちらりとその顔を見ると、途端に強張った気持ちが溶けてしまった。エルバはフューレンプレアと二人でひとしきり笑った。笑うことができるというのが無性に可笑しかった。


「エルバ、私はね、あの旅には大いに意味があったと思っていますよ。」


 フューレンプレアは出し抜けにそう言った。


「少なくとも、自分が大きく成長したとは感じています。色々なことを教えてもらいました。自分が何を見ていなかったのか、自分の視野がいかに狭かったのか。」


 フューレンプレアは杖を掲げた。杖は心地よい音を奏でた。


「大局的に見れば、私たちはただ無意味にカテドラルと贄の都の間を往復しただけでした。分断の王の呪いは存在しなかった。私たちは世界を救わなかった。そして、ヒトハミがすぐにいなくなるわけではない。」


 フューレンプレアは気弱になる声に気合を入れるようにひときわ高く杖を鳴らして、エルバを振り返る。


「エルバ、私は皆に嘘を吐きます。」


 彼女の表情はどこか寂しそうだった。


「私たちは贄の都にて分断の王の呪いを打ち砕き、世界を救ったのです。」


 エルバは黙って彼女の話に耳を傾けた。


「世界に緑が満ちるその時まで、人々はもう少し耐えなければなりません。それを導き支えるために、私は虚構の英雄となります。」


 フューレンプレアは真正面からエルバを見つめる。真摯しんしな青い目を、エルバもまた正面から見つめた。


「私、旅の間ティエラに言われっぱなしだったでしょう? もし次に会うことがあったら、言ってやりたいのです。どうだ、私は間違っていないぞ、って。それはもう、コテンパンにしてやりたいのです。だから、私は自分の正しいと思うことを実践しなければ。」


 ティエラの呆れた表情が見える気がして、エルバは苦笑した。


「エルバ、あなたも協力してくれませんか?」


 フューレンプレアの表情は固い決意で強張っていた。


「僕は特別な存在ではありませんよ?」


「ええ。」


 フューレンプレアの表情に柔らかさが戻った。


「あなたは繊細で疑り深くて、人と距離を取ろうとするくせに距離を取られると慌ててしまう甘えん坊さんで、できないことをできないと言えない意地っ張りで、人に迷惑をかけることを怖がる、とても優しい、普通の人です。」


 フューレンプレアはそっとエルバに手を差し出した。


「私を手伝ってくれますか?」


 砂を含んだ乾いた風が、二人の間を通り抜けてゆく。故郷でどんな風が吹いていたのか、エルバはもう覚えていない。ただ、こんな風でなかったことは確かだった。風はもっと柔らかくて、様々な匂いを乗せていた。


 フューレンプレアの金髪が風にそよいで柔らかく香る。小さな花の髪飾りが、控えめに輝いた。


 エルバは彼女に答えを告げた。フューレンプレアは痛みをこらえる様に悲しく笑って頷いた。


 二人の言葉を乗せた風は、カテドラルの上を抜け、東の方へと流れて行った。

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