第27話 分断の王 1 

 法王の私室は、聖教会せいきょうかい本部の最上階にあった。


 私室の奥には人知れぬ工房が作られている。法王はおよそここに引きこもって、世界を救うための種を滅多やたらに撒き散らしていた。


 早々についえた種もあれば、育たぬまま休眠しているものもあるし、芽吹いた後にじわじわと枯れていく途上のものもある。


 徒長とちょうや突然変異によって思わぬ暴走を来したものもいくらかあるが、よほどの害がない限りは間引きもせず放ったらかしである。


 いつだったか、友とも敵とも知れぬ相手から無責任呼ばわりされたのを、法王は懐かしく思い出した。


 ふと、机上に置かれた計器に目を留める。そこに記された数字が、神なる大魔法使いと砂の蜥蜴とかげと呼ばれる自分が共同で撒いた種が無事に花を咲かせ、実を結びつつあることを示していた。


 法王は窓から外を見て、端正な顔に笑みを広めた。


 フューレンプレア達は今頃どうしているだろう。


 見事にえの都まで辿り着いただろうか。それとも、何処かで力尽きているだろうか。白の魔法使いとティエラが付いていて行き倒れることもあるまいが……。


「どちらでも良いのだがね。帰ってきても、来なくとも。」


 カテドラルの街並みに向けて呟いたところで、私室への接近者を探知して鈴が鳴った。法王は身を翻して工房を後にする。


 外から吹き込む風は、ほのかに命の香りを帯びていた。



               *



 開放的な広い部屋の空気は余さず沈黙に支配されていた。困惑と疑問が心をぐるぐるとかき乱し、容易には口を開かせてくれそうにない。


 渦巻く沈黙を破ったのはティエラだった。


「そんな風に黙り込まれると困るな。何から話したらいいのか、どうにも整理がついていないのだ。そちらから色々と聞いてくれたら楽なのだけれど。」


 ティエラは視線を天井に向けて目を細めた。


「二百年よりも少し前、この世界は大きな災厄に見舞われて、深刻な源素げんそ不足におちいった。以前にも話したっけね? 源素はこの世界の材料そのものだ。その枯渇は、即ち世界の滅亡を意味した。早急に対処せねばならなかった。だから彼は、こころざしを同じくする者たちと共に国を建てた。世界を救うために。」


 静まり返った部屋の重い空気の中に、ティエラの声はか細くともよく通った。


「贄の王国が、世界を救うためのものだった?」


 フューレンプレアが呟いた。声が小刻みに震えていた。


「でも……でも、結局は、その理念を外れて――」


「いや。かの王国と王が理念を外れたのはただの一度きり。王が自ら国を閉じた、あの一度きり、だっただろう。」


「そんなバカな! だって、贄の王国は――」


「違う!」


 フューレンプレアの言葉をさえぎって、ティエラは叫んだ。


「いや、違わないのかもしれない……。でも、違うんだ。今に伝わる王の暴虐は、事実ではあるが肝心な部分が抜け落ちている……。ああ、いや。何も違わないな……。」


 ティエラは頭を抱えてうめくように言う。


生贄いけにえには理論的な意味があったんだよね?」


 マッドパピーがひょいひょいと前に出て、嬉しそうに口を開いた。


「お前、何か知ってんのか?」


 ゴートが胡乱うろんげな視線をマッドパピーに向ける。


「いいや、何にも知らない。一切は推測さあ。けれど、疑問があれば自分で解を示したいと思うのは当然でしょう。」


 マッドパピーは無邪気に笑って、言葉を続ける。


「ズバリ、生贄っていうのは源素を世界に還元するための行為だったんでしょう?」


 ティエラは輝く目をマッドパピーに向けて、気怠そうに瞬きをした。それはどうやら、肯定のようだった。


「生命はその一生のうちに源素を増幅し、死と共に世界に源素を還す。ティエラちゃん、そう言っていたよね。この世界を源素に主軸を置いてモデル化すると、生命とは源素の増幅装置だ。ヒトは最も優秀な増幅装置なんじゃないのかな。」


 マッドパピーの声には、状況に不似合いな狂喜が含まれていた。怪しい光をたたえた目が、床の一点を凝視している。


「君たちに出会った時に話したね。ヒトの年齢と源素濃度の相関関係。この場合、濃度は量とほぼ等しいと考えて構わない。ヒトの持つ源素の量は一生にわたって増加し続けるけれど、増加量は年代によって大きく違う。十五歳までは指数関数的に増加する。その後、増加は緩慢になる。二十歳から三十歳までの間にまた対数期が来るグループとそうでないグループがあるけれど、それ以降は加齢に伴って増加量は減るばかりだ。一方で、増加量に関わらず、生存するのに必要なエネルギーはほぼ一定だ。」


 マッドパピーは指で空中に源素の増加曲線を描いてみせた。


「この増幅装置を最大効率で運用するには、どうすればいいと思う?」


「解るわけないじゃない!」


 マッドパピーの問いかけに、一拍の間も置かずフューレンプレアが叫んだ。


「生贄……」


 エルバはかすれた声で呟いた。


「そう。増加量が一定以下になった段階で世界に還元すればいいのさ。生贄ってつまり、そういう理屈でしょう? 贄の王国の王妃様。」


 マッドパピーは奇妙な光を宿した目をティエラに向ける。


「君はやはり、そういうことを思いつくタイプの人間か。砂の蜥蜴と同類だな。」


 ティエラの声に隠しようのない嫌悪感が滲んだ。


「君の言う通りだよ、マッドパピー。二百年前、砂の蜥蜴が提唱した理論はそれだ。」


 ティエラは自嘲じちょうするように唇を歪めた。


「だが現実との間には隔たりがあった。ヒトという種を絶やすわけにはいかなかったから一律十五歳で屠殺とさつするわけにはいかなかったし、ただ殺すだけで個体の溜め込んだ源素を全て還元できるわけでもない。理論と現実との壁を超えるために出来上がったシステムが、贄の王国だ。」


 ティエラはどこか遠くを見つめて優しく目を細める。


「天才異才が多く集った。砂の蜥蜴や白の魔法使いもそこにいた。優秀だけに個性の強い連中で、まともな連携なんてできやしなかった。そんな集団をまとめ上げたのが、君らが分断の王と呼ぶ男だった。彼がいなければ、贄の王国成立以前にあの集団は空中分解をしていただろう。」


 それが良かったのか悪かったのかは解らないけれど、とティエラは呟いた。


「あの人の指揮下で私たちは多くの困難を乗り越えて、理論を実行する力を得た。長い時間を要する計画だったが、動き出してしまえば時間と共に刻限こくげんは遠ざかる見積もりだった。源素の枯渇状況は生贄により解消されてゆく。そして私たちの時間は無限だ。多くは不枯ふこの者だったし、そうでなかった者も不枯の身となる道を選んだ。」


「人々に若くして死ぬことを強いるのに、自分たちだけが死と老いから逃れようとしたのですかっ?」


 フューレンプレアの声はどこか切迫した響きを帯びていた。


「ああ、その通りだよ。だって、あんなことを誰かに頼めるはずがないじゃないか。」


 ティエラは寂しげにそう言った。


「正しい知識と技術だけではない。並みならぬ決意と忍耐も必要だった。自分たちでやり遂げねばならないと、私たちは思っていた。」


 けれど、とティエラは顔を俯けた。


「犠牲になっていたのは私たちではなかった。」


 割れた窓から見える廃墟の群れへ、ティエラは緑の目を向ける。


「贄の王国の民となったのは滅亡の時代を生き延びた人々だった。彼らもまた同志だった。豊かな世界を蘇らせるため、子孫が幸せに暮らせる世界を創るため……そう言って皆が犠牲を甘受した。私たちは彼らの命や願いを背負っているつもりだったし、彼らも同じ方向を向き続けていると思っていた。そう思い込んでいたから、気付けなかった。」


 ティエラは柔らかく目を閉じる。


「子供たちが怯えて、泣いていることに気が付かなかった。」


 淡々としたティエラの声が、ほんの少し上擦った。


「私たちは世代を重ねない。だから理解できなかった。前の世代から負の遺産を押し付けられ、次の世代へ希望を繋ぐために犠牲にならねばならなかった若者たちの怒りに、気付くことさえなかったのだ。私たちは首尾一貫して同じ場所を目指していたが、国民はそこからずれていた。」


 最初の国民が受け入れた犠牲を、その子供が同じように受け入れられただろうか。その孫は、ひ孫は、玄孫は……。増して贄の王国は、国策により国民の世代交代が速かった。


「私たちの理論は間違っていなかった。源素の枯渇状態は確実に解消されていた。あと十年も続けていれば、世界は復活に向けて舵を切っていただろう。」


 だが、それを待たずに国民の怒りは爆発した。人生を絶頂期で断ち切られる理不尽に否を突き付けた。


「反乱を武力で制圧するのは容易だった。私たちヒルドヴィズルの戦闘力は、君たちもよく知るところだ。だが分断の王はそれを善しとしなかった。疲れていたんだ、誰も彼も。王は仲間たちを逃がして、自分は国民に首を差し出した。」


 かくして人々は天寿を全うすることができるようになり、呪わしい都を捨てて各地へ散って行った。


「お前の仲間は、今どこにいるんだ?」


 ゴートの問いに、ティエラは肩を竦めた。


「どうだろう。一人はカテドラルにいるが、その他は把握していない。多くは落命しているだろう。不枯の者はヒトハミを寄せるから。」


「待って下さい。ヒトハミとは、一体何なのですか?」


 エルバは口を開いた。


 ヒトハミは人を襲う化け物。この問いには、常にそんな答えが返って来た。だが、今ならもう少し違う答えを返してもらえるような気がしていた。


「あ、待って! 言わないで。僕、まだ考えているんだ――」


「贄の王国が倒れてからおよそ一年後、ヒトハミは姿を現した。」


 何かを叫んでいるマッドパピーを無視して、ティエラは語る。


「分断の王の呪いだと人々は騒いだが、勿論違う。本当は自分たちの行動の結果に気が付いていたのではないのかな。だから書庫を燃やした。」


 ティエラは鼻でわらった。


「あれは、世界が身食いによって飢えを紛らわせるための口、とでも言うべきものだ。」


 源素の枯渇状態がのっぴきならなくなった時、個として分離している源素を大いなる流れの中に戻すために生まれる存在。


 大いなる流れが世界に干渉するための殻。


 移動し糧を得るのに適切な姿として動物の形をした、ハリボテの生命。


 それがヒトハミ。


「いかに構造が単純な存在であっても、あれを生み出し、動かすために世界は源素を消費している。収支をプラスにするためには襲う対象を源素の多いものに限定せねばならない。ヒトハミの性質は、そういう事情から来ているのだろう。」


「ちょっと待って下さい。つまり、ヒトハミを殺すということは……」


「ヒトハミを構成するために使われた源素を無駄にする、ということに他ならないな。」


 頭から血の気が引くのをエルバは感じた。フューレンプレアの顔色もまた真っ青だった。手にした杖が細かく震え、飾りがシャラシャラと音を立てる。


「あらゆる個は世界と干渉し合っているが、世界との間に膜を持つ。ヒトハミにはそれがない。ヒトハミは世界と直接繋がっているのだ。君たちの目に見えている姿はハリボテに過ぎない。」


 ティエラは無事な方の手を緩く握る。


「ハリボテを世界から切り離すためには、世界のことわりを超える力をぶつけなければならない。多量の源素を生まれ持ち、その制御に長けた者が、源素の伝導率の高い武器を使って初めて為し得ることだ。それにもまた源素の消費が伴う。故にヒトがヒトハミを殺すことは、世界にとってマイナスにしかならない。幸いにして、ヒトハミを殺す才のある者は少ない。」


「僕はヒトハミを殺せます。」


 エルバは呟いた。ひどく掠れて震えた声だった。


「特別な武器を使わなくても、殺せます。これは一体、何故なのでしょう?」


「君には才能もなければ技術もない。」


 ティエラはきっぱりと言い切った。


「だが、君はあいつの目を持っていた。あいつも向こう側の存在だから、その一部を宿したことで君は特別な存在になっていたのだろう。」


「あいつ?」


 白の魔法使い。ティエラの呟いたその言葉に、エルバの顔が険しく曇る。ティエラは悲しげな顔をした。


「私は君に謝らなければならない。いや、私だけではない。この世界そのものが君の仇と言っても過言ではない。」


 ティエラは目を閉じて深い呼吸をすると、ゆっくりと目を開けた。


「君の故郷はこの世界の生贄になったのだ。」

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