第9話 ティエラ 3
ティエラはその日、プエルートに足を
次にティエラが訪れたのは市場だった。
余った守印の多くが市場に流れ、需要と供給の
雑然とした市場の中、意識していなければなんとなく視線を流してしまうような小さな違和感の奥。その手の後ろ暗い取引は、そうした場所で行われる。ティエラの目はその場所を
結局、プエルートを訪れたのは徒労に終わった。その結論を得ると、ティエラはすぐに街を出た。
一歩目にして道を外れ、赤い土が
さほど遠くまで行かないうちに、最後の守印の効果が切れた。やがて地平線の彼方から、ヒトハミの大群がティエラを目指して押し寄せた。
ティエラは戦闘に備えた。白銀色の槍とブーツが、彼女の力の
ヒトハミの流れがおかしいことに気が付いたのは、太陽が中天に差し掛かった頃だった。一部のヒトハミが、ティエラを無視して別の方向へと走り始めたのである。
その方向には人々の利用する街道が走っていた。
街道には荷物が
杖を持つ少女がヒトハミに抑え込まれている。杖は明らかに
少女に
ティエラは足を止めない。足首から膝までをカバーするブーツのプレートに走力を乗せ、怯えて動けない少年に跳びかかろうとするヒトハミに叩き込んだ。ヒトハミの体に突き刺さった短剣を抜き取り、ヒトハミの首に打ち込んで
何の感触もなかった。確かにヒトハミの体に突き立っていた刃は、何の
不可解な出来事に
ティエラは少年の前に立つ。
「立て、少年。」
胎児のように体を丸めたきり動かない少年に告げる。ティエラがいかに守ろうと、彼自身が立たなければ生き残れない。少年は恐る恐る顔を上げる。
「あ、あなたは?」
顔を
「ティエラ。」
ティエラは短く答えた。
「は?」
少年の放心したような声を聞きつつ、ティエラは後方に飛び退ってヒトハミの爪を
「これを!」
槍が回転しながら宙を横切る。杖の少女が投げてくれたらしい。槍は吸い付くようにティエラの手に戻り、
槍と蹴りの嵐が周囲のヒトハミを
「あ、危ないところを――」
そう言って頭を下げかけた杖の少女の
「話は後にしてくれ。まだ第一波を処理しただけだ。すぐに次のヒトハミが来る。」
少年と少女は
気が付いたときにはティエラは少年の顔を両手で包み、顔を近付けて彼の右目を
「あの?」
少年の左目は彼の驚きを正しく宿していた。だが右目は違う。感覚器官として少年の五感に
「あ、あの! どうなさったのですか?」
少女がティエラと少年との間に割り入った。ティエラは少年から身を離すと、肩を
「驚かせたようで申し訳ない。変わった目をしていたもので、つい。」
ティエラは少年と少女の
大きな獣の皮の袋が裂けて、中から大量のマイが覗いていた。ティエラはマイを別の皮袋に移し、落ちていた守印で封じて自分の荷物に加えた。
「し、死んだ人の荷物を……」
少年がぽつりと呟いた。責めている風ではない。気味悪く思われているだけのようだった。
「
そう言ってティエラは道を外れて歩き始めた。
「待って下さい!」
杖の少女がティエラを呼び止めた。
「道を外れるのは危険です。」
「残念ながら、守印がない。私が道を歩くと人に迷惑をかける。」
「え?」
少女はきょとんと首を傾げた。
「私はヒトハミを普通より強く引き寄せてしまうのさ。守印も通常等級のものでは効かないので、特等級品を使わねばならないし、それでも完璧ではない。しかも今は印を切らしていてね。こうしている今も、近隣のヒトハミを続々と引き寄せていることだろう。」
ティエラは胸につかえているものをぽろりと吐き出した。
「君たちは私に助けられたと思っているようだけれど、それは違う。そもそも私が近くを通らなければ発生しないはずの
ティエラが共栄帯に入り込んだせいで、ヒトハミの分布が変わった。そうでなければ彼らは襲われずに済んだはずだった。石畳の染みと化した人々に負い目を感じずに済ますには、二人の救出では軽すぎた。
「ティエラさん、と仰いましたか。守印もなく、道を歩くこともできないとなると、これからどうなさるおつもりですか?」
杖の少女に問われて、ティエラはしばし考えた。
「北西に向かう。少し行ったところに、山賊の
ここからヘリオへと続く交易路は、地形の
距離だけで考えればより近い道は他にある。ただし整備はされておらず、道中は宿場もないので補給もままならない。さらには山と山との間を抜ける谷間に山賊が砦を築いている。そのため利用する者はまずいない道だった。
ティエラは
ティエラは冷静に勝算を探る。部の悪い賭けだ。守印がない以上、休むこともままならない。何とかするしかないのだが。
「プエルートに戻る、と言うのは?」
杖の少女が現実的な案を提示した。
「プエルートの防壁は
ティエラは
「では、プエルートを経由せずカテドラルに向かっては? 山賊の砦に向かうよりはそちらの方が近いですし、危険も少ないと思いますが。」
ティエラは少し考えたが、すぐに力なく首を横に振った。
「いや、駄目だ。カテドラルが私を門の内側に入れるはずがない。」
「え?」
杖の少女が目を白黒させる。プエルートからヘリオ方面に向かう
「なので私は北西に進む。」
少女から向けられる困惑の視線から逃れるように、ティエラは顔を逸らした。
「ティエラさん、これを。」
杖の少女がティエラに差し出してきたのは、宝石に祝福の証を刻んだ、特等級の守印だった。ティエラは驚いて守印と少女とを見比べる。
「一緒に行きましょう。ここから砦まで、
「ええ?」
ティエラも驚いたが、少年の驚きはそれ以上だった。
「何を言っているのですか、プレアさん。そんな無謀な……。」
「ですがエルバ、ここで守印の半分をティエラさんに渡して私たちは道を歩いたとしても、街までは守印が持ちません。ヒトハミに襲われてしまいます。ならば、ティエラさんと一緒にいた方が安全でしょう?」
「守印を渡さないという選択肢はないのですか?」
「ありません。」
少女はきっぱりと言い切った。少年はしばらくの間ぶつぶつと何かを呟いていたが、やがて諦めたような溜め息を
「解りました。ええ、解りましたよ。プレアさんがそう言っているのです。行きましょう。」
その
「私はカテドラルのフューレンプレアと申します。こちらはルスのエルバ。」
フューレンプレアは
「……ティエラだ。改めてよろしく。」
自分の出身地を、ティエラは口にしなかった。
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