第9話 ティエラ 3 


 ティエラはその日、プエルートに足をばした。手持ちの守印しゅいんが底を突きそうになったためである。


 聖教会せいきょうかいが提供する守印は厳しく管理されている。次の宿場に辿たどくまでに必要な数しか渡してはくれないし、ティエラが必要とする特等級とくとうきゅうのものとなると多くの対価を要求される。申請しんせいしたその場で渡してくれることはまずないし、申請後の待ち時間も長い。


 あんじょうというべきか、長い列に並んで訪れた教会で守印を手に入れることはできなかった。


 次にティエラが訪れたのは市場だった。あまった守印は教会で換金することができる。しかし全ての旅人が素直に教会に返すはずもない。


 余った守印の多くが市場に流れ、需要と供給の波間なみま彷徨さまよっているのである。教会で扱うものよりもはるかに高額ながら、現物があれば待ち時間なく受け取ることができる。裏取引が成立する余地がここにある。


 雑然とした市場の中、意識していなければなんとなく視線を流してしまうような小さな違和感の奥。その手の後ろ暗い取引は、そうした場所で行われる。ティエラの目はその場所をすみやかに見つけ出した。しかし残念ながら、特等級の守印は扱われていなかった。


 結局、プエルートを訪れたのは徒労に終わった。その結論を得ると、ティエラはすぐに街を出た。


 一歩目にして道を外れ、赤い土がき出しの荒野へと足を進める。一刻も早く道から離れねばならなかった。


 さほど遠くまで行かないうちに、最後の守印の効果が切れた。やがて地平線の彼方から、ヒトハミの大群がティエラを目指して押し寄せた。


 ティエラは戦闘に備えた。白銀色の槍とブーツが、彼女の力の励起れいきに呼応して輝きを放つ。


 ヒトハミの流れがおかしいことに気が付いたのは、太陽が中天に差し掛かった頃だった。一部のヒトハミが、ティエラを無視して別の方向へと走り始めたのである。


 その方向には人々の利用する街道が走っていた。逡巡しゅんじゅんの後、ティエラはヒトハミの流れを追って街道を目指した。


 街道には荷物がき散らされ、かつて人だった欠片かけらが振りかけられていた。まだ生きているほんの数人が、かろうじてヒトハミに抵抗している。


 杖を持つ少女がヒトハミに抑え込まれている。杖は明らかに嘆願術たんがんじゅつ触媒しょくばいだった。周辺では根源ノ力こんげんのちからが奇妙に渦を巻いている。偶然遭遇したヒトハミを退治するために嘆願術を乱射したのだろう。そのリバウンドでティエラにたかっていたヒトハミをこちらに寄せてしまったのだ。


少女にし掛かっているヒトハミに向けて、ティエラは槍を投擲とうてきした。槍はあやまたず標的へと吸い込まれ、少女の体の上からヒトハミを吹き飛ばして地面にい付けた。


 ティエラは足を止めない。足首から膝までをカバーするブーツのプレートに走力を乗せ、怯えて動けない少年に跳びかかろうとするヒトハミに叩き込んだ。ヒトハミの体に突き刺さった短剣を抜き取り、ヒトハミの首に打ち込んでとどめとする。


 何の感触もなかった。確かにヒトハミの体に突き立っていた刃は、何の変哲へんてつもないただの鉄。ヒトハミを傷付けるはずのない代物だった。


 不可解な出来事に強烈きょうれつに惹き寄せられる心を、ティエラはすぐに引き留めた。今は謎の解明にいそしんでいる場合ではない。


 ティエラは少年の前に立つ。


「立て、少年。」


 胎児のように体を丸めたきり動かない少年に告げる。ティエラがいかに守ろうと、彼自身が立たなければ生き残れない。少年は恐る恐る顔を上げる。


「あ、あなたは?」


 顔をおおった手の隙間すきまから、少年の怯えた声が問いかけてきた。


「ティエラ。」


 ティエラは短く答えた。


 り飛ばしたヒトハミが起き上って来る。ティエラは深く重心を沈め、タイミングを計った。襲い掛かって来たヒトハミの顔面目掛けて凶悪なまでに鋭い回し蹴りがひらめいた。ヒトハミの頭がちぎれ飛び、肉と血が飛散し、空気に溶けるように光となって散ってゆく。


「は?」


 少年の放心したような声を聞きつつ、ティエラは後方に飛び退ってヒトハミの爪をかわした。


「これを!」


 槍が回転しながら宙を横切る。杖の少女が投げてくれたらしい。槍は吸い付くようにティエラの手に戻り、縦横無尽じゅうおうむじんに回転してヒトハミを切り刻む。


 槍と蹴りの嵐が周囲のヒトハミをめ尽くすまで、さほど時間はかからなかった。立ち昇る緑光りょっこうの中にたたずむティエラは、汗の一筋もかかず、呼吸の一つも乱していない。


「あ、危ないところを――」


 そう言って頭を下げかけた杖の少女のくちびるに指先をえて、ティエラは感謝の言葉を封殺ふうさつした。


「話は後にしてくれ。まだ第一波を処理しただけだ。すぐに次のヒトハミが来る。」


 少年と少女は唖然あぜんとした表情でティエラを見つめた。何気なく少年の顔を見て、ティエラはハッとした。脊髄せきずいに雷が走ったような気がした。


 気が付いたときにはティエラは少年の顔を両手で包み、顔を近付けて彼の右目をのぞき込んでいた。


「あの?」


 少年の左目は彼の驚きを正しく宿していた。だが右目は違う。感覚器官として少年の五感に貢献こうけんしてはいるが、彼の一部ではない。


「あ、あの! どうなさったのですか?」


 少女がティエラと少年との間に割り入った。ティエラは少年から身を離すと、肩をすくめた。


「驚かせたようで申し訳ない。変わった目をしていたもので、つい。」


 ティエラは少年と少女の動揺どうようを置き去りに、石畳の上に散らばった死者の荷物を物色する。街を発って間もないこともあり、未使用の守印が多く見つかったが、ティエラが必要とする品質のものは含まれていなかった。


 大きな獣の皮の袋が裂けて、中から大量のマイが覗いていた。ティエラはマイを別の皮袋に移し、落ちていた守印で封じて自分の荷物に加えた。


「し、死んだ人の荷物を……」


 少年がぽつりと呟いた。責めている風ではない。気味悪く思われているだけのようだった。


共栄帯きょうえいたいの街道を行くなら必要のないことかもしれないが、そうでないなら持ち物を補充ほじゅうする機会を逃さないことだ。生死を分けるぞ。」


 そう言ってティエラは道を外れて歩き始めた。


「待って下さい!」


 杖の少女がティエラを呼び止めた。


「道を外れるのは危険です。」


「残念ながら、守印がない。私が道を歩くと人に迷惑をかける。」


「え?」


 少女はきょとんと首を傾げた。


「私はヒトハミを普通より強く引き寄せてしまうのさ。守印も通常等級のものでは効かないので、特等級品を使わねばならないし、それでも完璧ではない。しかも今は印を切らしていてね。こうしている今も、近隣のヒトハミを続々と引き寄せていることだろう。」


 ティエラは胸につかえているものをぽろりと吐き出した。


「君たちは私に助けられたと思っているようだけれど、それは違う。そもそも私が近くを通らなければ発生しないはずの遭遇戦そうぐうせんだったのだ。」


 ティエラが共栄帯に入り込んだせいで、ヒトハミの分布が変わった。そうでなければ彼らは襲われずに済んだはずだった。石畳の染みと化した人々に負い目を感じずに済ますには、二人の救出では軽すぎた。


「ティエラさん、と仰いましたか。守印もなく、道を歩くこともできないとなると、これからどうなさるおつもりですか?」


 杖の少女に問われて、ティエラはしばし考えた。


「北西に向かう。少し行ったところに、山賊のとりでがあったはずだ。そこを奪って安全と貯蓄を手に入れる。運が良ければ、守印もあるかもしれない。」


 ここからヘリオへと続く交易路は、地形の勾配こうばいを避けて東へ迂回うかいする経路を採っている。そもそもは重い荷物を運ぶ必要性から整備された道なのだから、当然であった。


 距離だけで考えればより近い道は他にある。ただし整備はされておらず、道中は宿場もないので補給もままならない。さらには山と山との間を抜ける谷間に山賊が砦を築いている。そのため利用する者はまずいない道だった。


 ティエラはえてこの道を進み、あろうことか山賊の砦を補給に使おうと考えているのだった。


 ティエラは冷静に勝算を探る。部の悪い賭けだ。守印がない以上、休むこともままならない。何とかするしかないのだが。


「プエルートに戻る、と言うのは?」


 杖の少女が現実的な案を提示した。


「プエルートの防壁は脆弱ぜいじゃくだ。守印も持たずに私が入ればまずいことになる。すぐに守印が提供されるならともかく、ないようだったし。」


 ティエラは淡々たんたんと答えた。


「では、プエルートを経由せずカテドラルに向かっては? 山賊の砦に向かうよりはそちらの方が近いですし、危険も少ないと思いますが。」


 ティエラは少し考えたが、すぐに力なく首を横に振った。


「いや、駄目だ。カテドラルが私を門の内側に入れるはずがない。」


「え?」


 杖の少女が目を白黒させる。プエルートからヘリオ方面に向かう嘆願術師たんがんじゅつしということは、彼女は恐らくカテドラルに本拠地を置く聖教会せいきょうかいの構成員だろう。そんな彼女にとって、ティエラの発言はさぞ不穏に響いたに違いない。


「なので私は北西に進む。」


 少女から向けられる困惑の視線から逃れるように、ティエラは顔を逸らした。


「ティエラさん、これを。」


 杖の少女がティエラに差し出してきたのは、宝石に祝福の証を刻んだ、特等級の守印だった。ティエラは驚いて守印と少女とを見比べる。


「一緒に行きましょう。ここから砦まで、一時ひとときの休みもなくヒトハミに追われながら歩くのは無理です。守印を使うのを休憩中に限定すれば、二人で使っても砦まで持つと思います。」


「ええ?」


 ティエラも驚いたが、少年の驚きはそれ以上だった。


「何を言っているのですか、プレアさん。そんな無謀な……。」


「ですがエルバ、ここで守印の半分をティエラさんに渡して私たちは道を歩いたとしても、街までは守印が持ちません。ヒトハミに襲われてしまいます。ならば、ティエラさんと一緒にいた方が安全でしょう?」


「守印を渡さないという選択肢はないのですか?」


「ありません。」


 少女はきっぱりと言い切った。少年はしばらくの間ぶつぶつと何かを呟いていたが、やがて諦めたような溜め息をいた。


「解りました。ええ、解りましたよ。プレアさんがそう言っているのです。行きましょう。」


 その憮然ぶぜんとした様子を見て、張り詰めていたティエラの表情は自然と緩んだ。ティエラは守印を受け取った。


「私はカテドラルのフューレンプレアと申します。こちらはルスのエルバ。」


 フューレンプレアはほがらかに名乗り、エルバは不満げに会釈えしゃくをした。ルスと言う名前の街には聞き覚えがなかった。


「……ティエラだ。改めてよろしく。」


 自分の出身地を、ティエラは口にしなかった。

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