第6話 聖都カテドラル 2  

 湯気の立つような温かな料理を見たのは久しぶりだったが、エルバは湯気と共に温度が飛び去って行くのをただながめていることしかできなかった。


 その料理の外観がいかんは、エルバの食欲を削ぐのに十分すぎたのである。なまのアリを食べたほうがマシだった。


「そんなに恐縮しないでくれたまえ。君は少なくとも三日以上何も食べていないのだ。ほら、これなんてどうかね? イワバチの幼虫を蒸したものだそうだよ。」


 法王が皿を差し出してきたが、エルバは丁寧ていねいに断った。しかし空腹なのもまた事実。内心で必死になって、食べられるものを目で探す。


「奥ゆかしい少年だな。うん、確かに私がいては食べにくいだろうけれど、そもそもこれを運んできたのは私なのだからね。私の前で食べてはならないということはない。ほら、これはどうかな? マイをたっぷりの湯で煮たものだ。」


 法王が示したそれは、見る限りただのかゆだった。これだ、とエルバは直感する。見た目に普通のものならば食べやすい。細かな材料については知らない方がいいだろうと、説明が加えられる前にエルバは粥らしき何かに手を伸ばした。


「それでは失礼して、いただきます。」


「うん、礼儀正しくてよろしい。」


 法王はそう言って目を細めた。エルバは緊張した。ごく平凡な家庭で育ったエルバは、礼儀作法に自信がない。エルバはぎこちなく粥を口に運ぶ。法王は柔らかい、しかしどことなく怪しい笑顔を浮かべて、じっとエルバを見つめていた。食べにくいな、とエルバは思った。


「……右目、ねえ。」


 そう呟いた声は、優しげな雰囲気に反して、どこか不穏ふおんな響きを帯びていた。


「あの、何か?」


「いいや、気にせず食べたまえ。」


 誤魔化ごまかす気があるのか疑わしいような、思わせぶりな態度だった。エルバは横目で法王の様子を窺いながら、ちびちびとマイという食材が使われた粥を口に運んだ。


 胃袋に粥を収めたところで、エルバは落ち着いて法王を観察することができた。法王という単語には馴染なじみがないが、意味くらいは知っていた。大昔に存在したという宗教のおさの称号である。エルバとしては温厚そうな老人の姿をイメージする単語だが、目の前の男は若い。エルバやフューレンプレアとさほど変わらない年齢のように見えた。それにしては不気味なほどに落ち着いているようにも感じるが。


 彼もまた奇妙な衣服を身に着けていた。必要以上に布面積の多い、厚手のローブである。金と茶の中間のような色合いの髪を長く伸ばし、緩く結んでいる。


「さて、食べながら聞いてくれたまえ。」


 このに及んで法王はエルバに虫料理をすすめる。エルバは丁寧に辞した。緑色の大きな幼虫のソテーから香る油の臭いがエルバの胃袋を締め上げる。


「まず、君は嘆願術たんがんじゅつの仕組みを知っているかね?」


「確か……神に祈りを捧げて為す奇跡だと、彼女から聞きました。」


 エルバはフューレンプレアを示して答えた。フューレンプレアは満足げに頷いた。


「ああ、単純に言えば、その通りだ。簡単なことのように聞こえるかもしれないが、行使こうしするのは簡単ではない。才能ある者が特別な道具を持って初めて最低限の条件がそろう。使用にさいしてはさらに知識を問われることになる。」


 法王は少し考えてから、虫がたくさん載った皿をひょいと持ち上げた。


「例えばの話、エルバ君。この皿に手を触れずに浮かすのと落とすのと、どちらが容易だと思うかな?」


「落とす方だと思います。浮かすなんて普通はできませんから。」


「その通りだ。世の中には定まった流れがあってね。極言きょくげんすれば、その流れに逆らうのが嘆願術なのだ。」


 法王は説明に慣れた様子でエルバにそう語って聞かせた。


「神は流れに逆らって泳ぐのを助けてくださる。だが、泳ぐのはあくまで術者自身だ。」


「つまり、術者に負担がないわけではない、ということですね。」


 エルバの確認に、法王は頷いた。


「その通り。神は無限には与えて下さらない。そこで、術者はことわりを知り、考えねばならない。神は自分をどの程度お助け下さるのか。その上限で自分はどれだけ泳げるのか。自然の流れに逆らう事柄であるほど、流れは急になり距離は長くなる。術者は考える。どうやってすり抜けるのか。……例えば、フューレンプレアがヒトハミを殺そうとする時。」


 聖職者が突然口にした生々しい例えに、エルバはぎょっとした。


「この場合、フューレンプレアは『ヒトハミよ死ね』などと嘆願したりはしないはずだ。生から死への流れは自然に準ずるものだが、生命という偉大な存在がそれに抗う力は強大だ。通常の嘆願術では生命の力を無意味に止めることなどできはしない。そこで抜け道を探すわけだ。」


 エルバはフューレンプレアが炎を生み出してヒトハミを焼き払っていたことを思い出した。


「彼女が得意とするのは炎を操る嘆願術だ。この乾燥した空気の中、炎を育てるのは比較的ひかくてき容易だ。そして炎で焼かれれば生命は活動を停止するものだ。」


 不意に法王の薄青うすあおの瞳が冷気を帯びてエルバを見つめた。


「何の問題もない生命活動を突然、何の要因もなく停止させようとしたならば、並の術者では命がいくつあっても足りない。増してヒトハミを全て停止させようなどと。」


 法王は探るようにエルバを見つめる。


「三日前にヒトハミを世界から一掃いっそうしたのは君なのかな? エルバ君。」


 エルバはきょとんと首を傾げた。何を言っているのか理解できなかった。ヒトハミを世界から一掃? そもそも世界にどれだけのヒトハミがいるのかは勿論、世界の広さもエルバは知らない。その状態で、そんなことを言われても戸惑とまどうだけである。


「その、心当たりはありませんが……一掃、ということは、あの化け物どもは絶滅したということですか?」


「いや、今は再び世界に姿を現している。だが、二日ほどの間は情報が届く範囲の地域から一切のヒトハミが姿を消していたのもまた事実だ。」


 法王から事情を聞いて、エルバは考え込んだ。確かにあの時、エルバは「ヒトハミよ死ね」と願った。だが、だからと言ってヒトハミが絶滅するだろうか。


「僕ではない、と思いますが。先ほどのあなたの説明からも明らかではありませんか。」


 そんな大奇跡を願ってそれが叶っていたなら、エルバが現在ピンピンしているはずもない。法王は確かにそう言った。


「ああ、君の言う通りだ。だが、タイミングが良すぎた。事実は関係ないのだ。君の祈りがもたらした結果だと確信している者は多い。これがどういうことか、解るかな?」


 法王は、とエルバに顔を近付けた。


「君が力を持ってしまった、ということだ。」


「は、はあ……。」


「君はヒトハミを虐殺する力を持った英雄だ。民は君の存在を渇望して止まない。」


「そうですか……。」


 状況を理解しようと努めつつ、エルバは頷いた。


「民にとっての英雄は、権力者にとっては違う側面そくめんを持ちるが、それは理解できるかね?」


 法王のこの言葉は、猜疑心さいぎしんを獲得したエルバにはすぐに理解できた。


「面白くないでしょうね。」


「そうだ。面白くない。君は既存きそんの権力構造を変えてしまいかねないほどの存在感を得てしまった。今頃伏魔殿ふくまでんの魑魅魍魎達が君をどう扱うか、それぞれに考え込んでいることだろう。取り入ろうか、始末しようか……。」


 この部屋の微妙な接待はそういう意味だったのか。フューレンプレアが眉間みけんに深いしわを作っているのを確認して、エルバは妙に安心した。


「権力者と一言で表したが、その中でも我々聖教会においてはもう一つ困っていることがあってね。」


 法王は薄い笑みで唇を飾って、先を続けた。


「君が嘆願術一つでヒトハミを滅亡せしめたとなれば、神はそれを為す力を持ちながらこれまで何もしなかった、ということになるだろう?」


 ごく何気ない様子で、法王は言った。フューレンプレアがぎょっとしたような顔をした。


「民の心に確かな信仰が根付いていればそれでも良い。神は力を持ちながらも使わぬ者。人々を愛し見守り、試練をお与えになる者なのだ。特別な者に力を与えて人の世を試すのもまた、神の御業みわざだ。しかし残念ながら現在の聖教会には君と言う爆弾を抱えながら民を繋ぎ留める力はない。君は聖教会の想定の外におり、これまで流布した教えの矛盾点となる。ヒトハミが再び姿を現したのは聖教会にとって僥倖ぎょうこうだったが、君にとっても幸いだった……。」


 法王の含み笑いにエルバの背筋が粟立あわだった。もしもヒトハミが完全に絶滅していたら、彼はエルバをどうするつもりだったのか。エルバは何に巻き込まれていたのか……。


「君は難民だ。カテドラルはこれまで数多くの難民を受け入れて発展してきた。しかし同時に君は特別な存在だ。このままここに根を下ろせば良くないことが起きるだろう。」


「そ、そんな!」


 フューレンプレアが抗議の声を上げる。法王は人差し指を立ててフューレンプレアを黙らせた。


「世の中では難民の受け入れを断る街の方が圧倒的に多いのだよ、フューレンプレア。これは特別なことではない。」


 そして法王はエルバに向き直った。


「我々が君と言う奇跡を受け入れるには、物語が必要だ。神に選ばれた者が数々の試練を経て世界を救うというストーリーが。君にそれをつむいで来て欲しいのだ。」


「それは……一体どうやって?」


 エルバは首を傾げた。


「分断の王の呪いを解いて、世界を救って欲しいのだよ。」


 法王はきっぱりとそう言った。


「……呪い……」


 エルバは呟いた。そんな非科学的な、という言葉はなんとか途中で呑み込んだ。




 分断の時代の始まりは、二百年以上も前のことであるという。世界を支配したその巨大な王国は、現在ではにえの王国と呼び表されている。


 その国は建国以来百年にわたってただ一人の王に支配された。


 分断の王。流血を好み、人の苦しみをさかな悦楽えつらくに耽る残虐な人物であったと伝えられている。


「分断の王の逸話いつわの中で最も有名なのは生贄いけにえの儀式でしょう。神に捧げると称して多くの若者を殺害し、都を死で飾り立てたといいます。事実として彼の治政下において、世界の人口はほぼ半減したようです。」


「いや、ちょっと待って下さい。」


 流石さすがにエルバは口を挟んだ。


「随分と信憑性しんぴょうせいの低い情報が含まれているように思うのですが。そもそも、一人の人間が百年も支配者でいるなんて、できるはずがありませんよ。」


 フューレンプレアは不思議そうにエルバを見た。


「ヒルドヴィズルの存在をご存知ないのですか?」


「田舎の出なので。」


 エルバは胸を張って即答した。フューレンプレアにとって田舎者がどういう位置づけなのか定かではないが、この言葉の効力は凄まじい。田舎者の一言で、エルバの常識知らずのことごとくが許容されるのである。「世界にかけられた呪い」とはどういうことかと説明して欲しいと頼んだ時も、この一言でフューレンプレアは納得した。


「ヒルドヴィズルとは、歳を取らない者たちのことです。これをして不枯ふこの者とも言います。多くは人よりも強い力を持ち、病気や怪我にも強くなるのだそうです。法王さまもその一人ですよ。」


 エルバの中にあった疑いの心がおずおずとしぼんでいった。最前さいぜんまでここにいた人物の外見に似合わぬ老成した雰囲気には、妙な説得力があった。


「贄の王国は、不枯の者たちが支配していたのです。つまり、代替わりはありません。恐るべき治世が永遠に続くのです。ですが今からおよそ百年前、遂に民衆は立ち上がり、分断の王を討伐とうばつすることに成功したのです。」


 人々は新しい時代の到来を喜んだ。誰もが笑って暮らせる世界を自分たちで作るのだと、確固たる意志を固めた。だが、そんな時代は来なかった。


「それから世界は坂を転がり落ちるように衰退すいたいします。多くの植物が枯れ果て、絶滅しました。今や世界で確認できる植物はこけなどの原始的な植物だけです。必然、草食動物が絶滅し、現存する肉を肉食動物が奪い合うようになりました。人々は作物の改良を重ねて何とか踏み止まりましたが、餓えた獣が人を襲うようになり、交易がとどこおるようになりました。そして遂にはヒトハミが出現したのです。」


 そう語るフューレンプレアの顔は、仄かに青ざめていた。


「……まさかそれが、分断の王の呪いだとでも?」


「ええ、そうです。分断の王は邪神に生贄を捧げることで邪悪な力をたくわえていました。その力が神と世界との間に横たわり、神の加護が世界に届かぬようふたをしているのです。それにとどまらず、ヒトハミを生み出し、人々を苦しめているのでしょう。」


 フューレンプレアの真剣な様子を見たエルバは、胸の内で困ったなと呟いた。


 エルバは信仰心とは縁が薄い。彼の地元にも信心深い人は一定数いたし、「約束の朝は近い」とか「終焉に備えよ」などと声をかけられたことも幾度かある。そういう時にエルバが選んできた対処法は無視することだったが、仮にも命の恩人となるとそうもいかない。大体、説明を要求したのはエルバの方だった。


「よく解りました。……それで、僕は何をすればよいのですか?」


 エルバが問うと、フューレンプレアはあごに手を当てて考える素振りを見せた。


「かつて贄のみやこがあった場所に行き、呪いの根源たるヒトハミの主を倒すのです。」


 フューレンプレアは真面目な表情でそう答えた。


「……贄の都はどこにあるのですか?」


「ここからずっと西の地です。百年前の地図ですから、正確かどうかは不明ですが。」


 エルバは天井を仰いだ。そんな困難な、それでいて意味の無さそうなことを、何故なぜ自分がやらねばならないのか。


 天井を仰いで考え込んでいるエルバをじっと見つめていたフューレンプレアは、不意にエルバの手を引いた。


「エルバ、こちらへ来てください。」


 悪戯っぽい笑みを浮かべて、フューレンプレアは部屋を飛び出した。




 軟禁なんきんされていた部屋を出ると、やはり石造りの廊下が続いていた。迷いのない歩調のフューレンプレアに連れられて幾度も角を曲がった。通り過ぎる部屋はどれもドアがなく、エルバの滞在していた部屋にかかっていたのと同じような布でへだてられている。


 何階か分の階段を下りてまた廊下を進み、角を曲がると突然視界が開けた。吹き抜け構造の石造りのホールである。その広さに圧倒されつつ、エルバは平静を装った。ホール二階から半円を描いて伸びる階段を下りると、巨大な石の門の向こう側に街が広がっていた。


「うわぁ……」


 平静さの仮面がぽろりとがれ落ちた。エルバは感嘆の声を上げてから、慌てて仏頂面をつくろった。


 城の裏側にある部屋から見た街には色がなかったが、城の表門に通じる大通りは色の洪水だった。統一感のない布を屋根代わりに広げた露店ろてんが大通りの両端にびっしり並んでいる。その中を歩く人々の多くは、異なる服を繋ぎ合わせて形にしたような、奇妙な服を身に着けていた。


 店の売り子の呼び声、通りすがる人々の笑い声、子供がアリをせがむ声、値切り交渉が発展した口論……。無数の口から飛び出した声が重なり合って鼓膜に押し寄せて来る。


 人と人との間を苦労してすり抜け、前を行く金の巻き毛に辛うじてついて歩く。城内では肩で風を切って歩いていた彼女も、ここでは濁流だくりゅうに踊らされる小枝のようだ。人波に呑まれて前に進んでは後ろを振り返ってエルバを探し、合流しようとしてまた流される。


 やがて二人はカテドラルをぐるりと囲む防壁へと辿り着いた。門の両側にそびえる塔の中の螺旋らせん階段を上り、防壁の上に出る。


 荒涼こうりょうとした赤土の大地が地平線まで続いていた。カテドラルの中とは違う、静謐せいひつなる死の大地。ヒトハミの姿がぽつぽつと見えた。


「かつてこの大地は緑に溢れていたのだそうです。」


 風に乗って巻き上がる金髪を押さえて、フューレンプレアは言った。彼女の髪には造花の飾りが揺れていた。


「想像してみてください。瑞々しい緑に覆われた大地を。きっととても綺麗ですよ。花も咲きます。いろどりあざやかに! 私はそんな景色を見てみたいのです。」


 彼女が見たがっている景色を、エルバはありありとことができた。


 都心から離れて踏み込んだ山の中は少しだけ気温が低かった。頭上を覆う枝葉が日の光をさえぎっていて、森の下草は影の中で懸命に不気味な葉を広げていた。


 木漏こもれ日の中を得体の知れない小さな虫が飛び回っていた。土は存分に湿しめり気を含み、一歩踏み出すと足が沈み込んで靴を汚した。


 エルバは山が嫌いだった。自分だけだったらあんなところに行かなかっただろうに……。今は森に満ちた緑の匂いがなつかしい。


「分断の王の呪いが解けない限り、そんな景色はやって来ないのです。」


 フューレンプレアはき出しの赤土が延々えんえんと広がる大地を憤然ふんぜんと示した。エルバは力なく首を振る。


「プレアさん。僕はそもそも、その呪いと言うのに懐疑的かいぎてきなのです。そういう考えとは縁の薄い育ちでして……」


「嘆願術があるのですから、呪いだってありますよ。」


 フューレンプレアはきっぱりと言った。それなりの説得力を認めざるを得ないところにエルバはほのかな苦みを感じた。


「神のご加護がこの大地に届かなくなっていることは確かなのです。嘆願術とて以前はもっと多くの人が触媒もなしに行使できる技術だったと、法王さまはおっしゃっていました。世界は確かに、何かにむしばまれているのです。」


 フューレンプレアは真正面からエルバを見つめる。真摯しんしな青い目から、エルバはそっと視線を逸らした。


 エルバにはあまり選択肢がない。家に帰る目途めどは立っていないのだ。エルバの家がこの世界を記した地図上に存在するのかどうかさえ分からない。家に帰る方法を探るにしても、まず現実問題として生きていかねばならない。ところが、エルバがこの街で暮らすことは拒否されてしまった。法王の要請ようせい通りに旅をするかどうかは別として、この街を出て行かねばならないのは間違いない。


 いまだ不明な点は多いが、この何もない景色の中でこれだけんだ街なのだ。聖教会の法王がこの街でかなりの地位にいるらしいことも解っている。そんな人物の後援こうえんを受けられるなら、とりあえず贄の都とやらを目指してみるのも悪い話ではないかもしれない。暮らしやすい場所を見つければそこに留まっても良いだろうし、要請を完遂かんすいできればカテドラルに拠点きょてんもうけることもできる。


 はっきりと受諾じゅだくせず、しかし断らない。それでいいのではないだろうか。はかりごとに慣れているとは言い難い頭脳を駆使くしして、エルバはその結論を導き出した。


「エルバ、あなたは選ばれた、特別な人なのだと、私は思っています。」


 顔を上げると、フューレンプレアは優しい笑顔でエルバを見つめていた。


「三日前に一度ヒトハミを絶滅させたのは、間違いなくあなたです。それにあなたは、ただの投石でヒトハミを傷付けたではありませんか。」


「……なぜそれを法王に言わなかったのですか?」


 ふと思いついて、エルバは尋ねた。彼女は法王の前で、一切そのことを口にしなかった。直前までその話をしていたのにも関わらず。


「だって、あなた自身が整理できていないことを私が勝手に広めるのは……」


 フューレンプレアは困ったように答えた。その答えを聞いて、エルバの肩から力が抜けた。きっとこの人は信じていい人だ。改めてそう思えた。


「あの、そのぅ……」


 言葉は口の中で転がるばかりで、一向に外に出ようとしない。そう言えば、出会って以来一度も口に出していないかもしれない。そう思うと、ますます言葉は奥へと逃げる。


「どうかしたのですか?」


 フューレンプレアは心配そうに言った。


「ありがとうございます。」


 フューレンプレアの耳に届くか届かないかの小さな声で、エルバは言った。フューレンプレアはくすくすと笑いだした。気恥ずかしさに耐えかねて、エルバは視線を泳がせる。


「……そうですね。呪いと言うのは僕にはよく解りませんが、知見ある人の言うことです。やってみるべきことではあるのでしょうね。」


 行きましょう、とエルバは言った。フューレンプレアは満面の笑顔を浮かべて、ありがとう、と答えた。



               *



 一週間後。


 旅立ちの準備を整えて聖都を後にする二人の若者を、法王は王城おうじょうの窓から見送った。


 朝の光が二人を追うように赤い大地を照らし出す。


「ようやく目覚めたか、怠慢たいまんなる神よ……」


 うたうように法王は呟いた。


「しかし趣味の悪いお遊びを考え付くものだ。」


 かつての己の姿とこれからの彼らの姿を重ね合わせる。なんともあわれで滑稽こっけいで、みじめな姿だ。


所詮しょせん彼ら人間は神々の道具でしかないのだから。」


 法王は何かをさげすむようにそう呟いた。冷え切った石の壁に反射した声は、思いのほかに冷たく響いた。

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