005 道化者と重要事項説明

 再び、私は視野を奪った手の平から解放されると、今までの真っ白世界へと戻っていた。

 そして目前にはスーツ姿の冗談が立っていた。メフィストと名乗るモノだ。

「それでは、お話しを進めさせて頂きましょうか」

 メフィストと名乗るモノはお辞儀をしながら語りだす。

「ちょっとまってくれ。いや、待ってくれませんか。なんで男の姿に戻るのですか」

 このまま話しをするのなら女性の方が良かったのに、期待を裏切られた気がして少々イラついた。

 このイラつきは、女性と会話したいと願う自分自信に対しても含まれている。半分は自己嫌悪だ。

「わたくしは数ある中でこの姿が一番気に入っております。いわば一張羅で御座います。竜登様にもそういう晴れ着が御座いましょう。ご理解頂けるならば感激至極で御座います」

 私は一張羅と呼べる最も良い衣装なんて持っていない。せいぜい仕事絡みな冠婚葬祭用の礼服程度だ。それ以外は大抵同じような服を着ている、どちらかといえば着た切り雀みたいな感じだ。

 肯定すれば空威張りな感じで寂しくなり、否定すれば何も持っていないと空しくなる。どちらを選んでも惨めな気分になる。解っていて問い掛けるのだろう。如何せん不愉快だ。


 道化師め、いや道化師といえばサーカースのスターのクラウンが連想出来てしまう。師では無ければ弟子だろうか。道化子、いやいや道産子みたいでなんか違うな。

「道化者・・・」

 つい考えが漏れでてしまった。

「何か言いましたか」

 メフィストと名乗るモノは耳に手を当てて聞き直すが、その仕草が人を馬鹿にした様で気に入らない。

 ただ、つい口が滑った、とは言いたくない。なりふり構わず応える。

「道化者、と言った。メフィストと名乗るモノよ。貴方の狂言じみた言い回しはまるで道化ではありませんか。だからこれからは道化者と呼ばせて頂きます」

 罵声したいのだが、つい丁寧な言葉を選んでしまうのは、これはもう癖だな。と言ってから諦めた。

「道化者、ですか。つまり、わたくしの一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)を愉しんで頂けたと受け止めて宜しいのですね。でも残念ながら『師』と呼ぶには物足りないから『者』とされたのですか。わたくしは力不足を痛切に受け止め、より一層ご満足して頂けます様に奮励努力致しましょう」

 メフィストと名乗るモノは嫌みを倍にして返してきた。これ以上慢心されたらどうなるのか考えたくも無い。

 いや、これからは道化者と呼ぶ事にしたのだ。『道化』と口にする度にわずかでも溜飲を下げられれば良いだ。

 だいたい、男と女の姿があって、共に『メフィスト』というのは分かり難い。

 女(メ)フィストと男(オ)フィストとか言い分けるのも思いついたけど、間抜けで俗っぽいから何となく避けていた。

 うっかり口を滑らせてはしまったが、道化者と呼ばれるのを受け入れてくれる様だから結果オーライにしておこう。これからは男悪魔の時は『道化者』、女悪魔の時は『メフィスト』だ。

 伝承ではメフィストは男だから男の時がメフィストで、女の時は、、、とりあえず女狐でいいかと、頭をよぎったが、甘言、誘惑、蠱惑、魅力を想像したら、『メフィスト』は女で有るべきだと思ったのは内緒だ。


「早速だけど、私をここに連れて来た理由と目的と、それから・・・、いや何でも無い。さっさと目的を教えてくれませんか」

 契約の内容を聞きたいと言いかけてしまった。言えば間違いなく、この失言からクロージング、つまりごり押しで契約締結に持ち込むだろう。

「おやおや、興味を持ちましたでしょうか?スローライフをお望みならば是非。今がチャンスです。こんな機会はそうそうに御座いません。機会の損失では勿体ない。どうぞ今すぐにでも」

 心を読まれたのか、いきなり追い込み始めて来た。些細な言動やためらいですら心を読まれてしまう。普通に対峙しては駄目だ。

 感情を消せ、心を沈めろ、無機質に無感情になれ。機械の様に接しろ。嫌な学生生活を乗り越えた様に、仕事で苦情を受け流した様に、と自分に言い聞かせる。

「話しを聞かせてくれるのでしょう。どうぞ進めて下さい」

 目は焦点を合わせず、視差も虚ろに道化者と対峙し、心を闇に沈め機械の様に無機質に話した。

「どうも、竜登様は『契約』という言葉に畏怖を感じておられる様ですが、そんなに肩に力を入れないで下さい。契約とは当事者の合意による、ただの約束事で御座います。それ以上でも以下でも御座いません」

 まるで駄菓子屋で飴玉を買う程度に軽い事だと言いたそうだ。警戒心を解こうとしているのだろう。

 そういえば駄菓子屋って今もあるのだろうか。最近はコンビニの普及のおかげで営業している駄菓子屋は暫く見ていないから分からない。

「約束と簡単に言いますが、法的拘束力があるのでしょう。義務や負債といった強制力が働くから『契約』なのでしょう。普通に言う約束とは重きに差がありませんか」

 口約束と言っても飴玉と小遣いの交換だって立派な契約行為だ。油断してはいけない。

「法律的効果の発生を危惧されていらっしゃるのでしょうか。法律とは人々が暮らす為のルールで御座います。そしてここには人はおりません。故に法律もございません。考えすぎでは御座いませんか」

 考え過ぎ、たしかにそうだ。『石橋を叩いて壊してしまい機会を失う性格』というのは自負している。しかし悪魔相手に熟慮に超した事は無い。そう考えている。

「人が定めた法が法律ならば、たしかにここには有り得ないのでしょう。しかしこの世界には法律に代わる何か、法則?理法?摂理?公理?そういったルールがあるのではありませんか」

 道化者は音こそ鳴らさなかったが、舌打ちした様に見えた。

「流石は霊感やオカルト、スピリチュアルでしたでしょうか、そういった事に厨二病的にのめり込んだだけは御座いますね。その通り、この世界にはこの世界の理(ことわり)が御座います。わたくし達はその理(ことわり)に従わなくてはなりません。ですから、一方的な強制や脅迫、恐喝に似た事は出来ないのです。そこはご安心下さいませ」

 我々も理(ことわり)というルールに従わなければならないと強調しているが、そこに詐欺、詐称といった言葉は無かった。

 裏を返せば誤解したのはそのモノの責任で有り、誤解、勘違いを招く言動はあからさまでなければ問題ないと云う事だろう。

 日常生活において法律は知っていた方が交渉の際の武器として強みがある。理(ことわり)も又同じだと容易に考えられる。つまり理(ことわり)を知っている道化者の方が絶対的に有利だと言う事だ。

 たしかファウストの物語でも、言葉の騙し合い、化かし合いをしていた様な気がする。きっとこんな心境だったのだろうと考えてしまった。

「理(ことわり)について教えてくれませんか。契約以前に道化者だけが知っていてるのは不公平ではありませんか」

「そうですね。ごもっとで御座います。ですが、失礼とは存じますが、今はお教えする事は出来ないので御座います」

「それは自分の優位性を失いたくないからかっ、いや、優位な立場でいたいと考えているのですか。理(ことわり)の説明も契約する上で重要な事ではありませんか。つまり契約は諦めたと受け取って良いのですね」

「準備が出来ないので『今のままでは難しいのです』とお伝えしたかったのですが、語弊があった様ですね。謝罪いたします」

 道化者は謝罪の礼をすると続けて話し続ける。

「理由の1つとしましては、そうですね、竜登様の国を例にさせて頂きますと、明文化された六法全書を始めとした各種法律、政令、省令、通達、条例、そして契約による約款等、これら全てを覚えて頂く必要が御座います。竜登様は六法全書の要約をわたくしにお教え出来ますでしょうか」

 六法全書を例えに出してきたか。確か憲法・民法・民事訴訟法・商法・刑法・刑訴訴訟法を収録した相当分厚い書籍だ。物理的にも凶器になりえる鈍器だ。民法が大改正されたと言っても規模は変わらないだろう。

 これを要約するのは無理だ。でも「できません」と答えるのは負けた気になって悔しい。とりあえず思いついた言葉を並べてみるか。

「信義誠実、財産の分配、生と死の基準、売り買いの約束、罪刑法定主義、罪と相応の罰則、それから・・・」

「それなりに言葉を探された様ですね。ではもっと詳しくお話しできますでしょうか。信義誠実の意味は?財産の範囲は?死の判定は?売買での利息については?罪刑法定主義とは?刑罰の種類は?お教え願えますか」

 だいたい、明文化の他にも判例という前例実績や、明文化されていない不文律という暗黙のルール。

 地域によってはその土地の地域法や村の話し合いが明文より優先される判例もあるくらいだ。

 法律の専門家でさえ法律書を携えても大丈夫と言えない規模の半端ない情報量なのだ。どう考えても素人がどうこうできるはずが無い。悔しいが両手を軽く上げて挙げて『降参』の格好をして答える。

「まいりました。流石に降参です。人の世の法律さえ私は疎い。この世界の理(ことわり)をご教授頂いたとしても理解は無理でしょう」

 きっと現世を超える理(ことわり)についての理解しなければならないと思うと目が回って膝が挫けそうになる。

「おやおや、もうお終いですか。もう少し粘ると思っておりましたので残念で御座います」

 それに道化者にとっては、このやりとりでさえ愉しみのひとつだったのだと言うのだから、格の違いを思い知らされる。まるで登頂不可能な、前人未踏峰を相手にしている様に巨大に思えてきた。

 とは言っても畏怖を感じたからと負け犬の様に無様な姿は晒したくは無い。しかし、このまま頑なに拒否し続けていても状況が変わるとは思えない。少し譲歩してみるか。

「契約の説明には、メリットだけてなく、デメリット、つまりリスクも説明して欲しいのです。例えば『半年は月々ワンコインの500円でスマホが持てます』の様にメリットだけアピールする行為は是非とも無しにして頂きたい」

 実際にネットでは、お値安感アピールが再三再四に強調されていて、半年経過後は月3000円。1年以内は解約不可で、もし解約するなら違約金2万と商品代金全額というのが短文で小さくちょこっとあるという、詐欺まがいなサイトを良く見かけた。

 スマホを例に出したが、似た事例は多々存在している。うまい話しや都合の良い話しには必ず裏があるのだ。

「それからもう一つ、金貸しでいう『リボ払い』とか、年利は低いのに『月単位で複利計算』という、制度を知っていれば有益だが知らなければ破滅になるような事は、しっかりと質疑応答してくれる事。道化者の方がずっと優位な立場なのだから、契約にあたり必要な義務でしょう」

 道化者は呆れた表情をした後、わざとらしく右手を額に当てて『嘆かわしい』と言いたそうな態度を取った。

「嗚呼、お金お金と例えられますと、竜登様はお金に意地汚いという印象をもってしまいます。もう少し言葉を選んで頂かれた方が宜しいと存じます。『契約の調印前には重要事項説明義務がある』とかありますでしょうに」

 爪に火を灯す様なカツカツな生活だったのだ。お金に意地汚いのは自覚している。資産運用よりも借金返済計画を考える方が多かったから、つい金銭の話しをしてしまった。

 同じ金銭でも道化者の言うとおり、保険や金融商品、不動産売買等で義務とされている『重要事項説明』と言った法律用語っぽい言葉の方が良かったと思うしチョット格好いいかもしれない。あまりに現金すぎた言い方に、それまでドヤ顔で思考していた自分の愚かさを暴露した気がして恥ずかしくなる。


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