特訓の終わり

 ザンが久しぶりに皆の前に立つ。今日の参加者は八十人ほど。その全てに柳葉刀が行き渡った。時はすでに一ヶ月を切り、嫌がおうにも気分が高揚する。


「今日集まってもらったのは他でもない。この柳葉刀が苦労の末百五十本全員に行き渡らせる事が出来た祝いの日になったことと、フェイロンいわく虎形拳をほぼ全員が修得したという嬉しい知らせがとどいたからだ」

 皆が拍手をする。フェイロンがうなずいた。


「それで義和門の刀術の本当に基本となる新しい套路をこれから練習する。なに、刀に慣れるだけの簡単なものだ。是非ともこれくらいは修得して欲しい」

 皆が応じる。


「最後に、俺達は人の輪の正門前を固める位置に陣取る予定だが、形意拳のリャンから頼まれて兵員宿舎を襲う役目に、こちらからも三十人あてると約束している。どうだ、誰か希望者はいないか」


 すると皆がこぞって手を上げる。ここに集まってきたものは皆肉親を殺されたり投獄されたりした者だ。本当は自らの手で恨みを晴らしたいのだ。


「よーし、ざっと五十人はいるな。この閻魔帳に名前を書いていく。列を作れ!」


 横から机が運ばれてくる。椅子に座るザン。新しい薄手の閻魔帳に名前を書いていき、仕上げに血判を押させていく。


「五十五人、これで十分だ。当日は黄色い頭巾をかぶり、敵と味方を区別するそうだ。その手配はリャンがやる。ここまでで何か質問はないか」

「当日はホアン先生達は何をするんです?」

「それは言えない。ある重要な任務に就くとだけ言っておこう」


 刀術の稽古が始まった。全部で二十手ほどのごくごく簡単な初心者用の套路である。古株は心得たもので簡単なおさらいだ。フェイロン達は高みの見物である。ようやく工字伏虎拳から解放されたのだ。感慨無量といったところか。


 昼になる頃には皆型と順番だけは覚えた様子である。フェイロン達はいつもの菜館に向かった。


「みんなよくぞ苦しい一ヶ月を乗り切ってくれた。まずはその事に乾杯だ」

 まだ昼なのでお茶で乾杯だ。


 中華定食が配られる。皆ゆっくりと食事を楽しむ。責任を果たしたのでホッと一息緊張が緩む。


「リーとジァンは運動には参加しないんだろう?」

 リーが答える。

「はい、私達には妻子がいるもので……参加するのは今日までです。私は本来の仕事の造り酒屋にもどり、ジァンには、私の元で働いてもらうようにしました。運動に参加できないのは残念ですけれど、皆さんのご武運を陰ながら祈っています」

「そうか、今日限りか……」

 フェイロンは六人分の盃を持ってこさせた。


「一杯だけ飲もう。リーとジァンに幸多かれ。乾杯!」

 皆、目の位置に盃を上げ、一口で飲み干す。

「よくぞ今までついてきてくれたな。感謝する」

「私のような者でもお役に立てたでしようか」

「勿論だ。お前達二人がいなかったら一月で終わらなかっただろうよ」

「皆さんはこれからどうするんです?」

「もうやることはやりおえたしな。宿に帰って昼寝でもしてるよ」

 皆が声を出して笑う。

「まあ、今日は最後の日だ。稽古が終わるまで寺にいよう」


 食事を終え寺院に戻る。皆もう套路は覚えたようで、ザンの掛け声に従って技を繰り出していく。


 フェイロンがザンの近くに座るとザンもとなりに座る。


「皆、かなり強くなったようだ。短期間でここまで仕上げてくれたことにまずは礼を言う」

 ザンが頭を下げる。

「いいんだってそれが俺の商売だ。報酬もたんまり貰ったしな、俺の方も礼を言うよ」

「救国運動が終わったらどうするんだ。河南へでも行くつもりか?」

「いやあそこももう危ない。思いきって広東へ船出するつもりだ。今の彼女と結婚してな」

「もう女ができたのか! 早いな、ははは」

「ザンも早く身を固めろよ。運動ばかりやってないで」

「うむ、考えておこう。しかし三十歳を過ぎるとな、そういうことが急に面倒くさくなるんだよ。なぜだろうな」

「俺に聞かれたってわかんねーよ。俺はまだ二十八だぜ。わっははは!」


 フェイロンは豪快に笑う。釣られて笑うザン。


「それよりそっちこそどこへ行くんだ。首謀者の一人とあっては捜査も厳しいものになるぞ」

「俺は死ぬまで闘い続ける。たとえ捕まって拷問死しようが本望だ。でないと過去我が武館から運動に送り出しそのまま死んでいった弟子達に申し訳が立たない。もういろんなものを背負ってしまったんだよ」

 ザンが思い詰めた顔をする。その横顔に男の覚悟を見てとった。

「お前には本当にいろいろ世話になったな。生徒の紹介から今の武館を見つける手助けまで。それももうみんなこの手を離れていった。また元の根なし草に逆もどりだ。俺はそういう運命の元に生まれついているんじゃないかと最近は諦めにも似た心境さ。そうだ、向こうについて武館も新しく開いて落ちついたら手紙を書くよ。住所は河北保定市張宝石商で着くだろう?」

「多分な。待ってるよ」

「ああ、約束だ。」


 皆がざわざわし始めた。

 ダーフーが石段の下から表れたのだ。フェイロンが仰天したのは二人の男に首に柳葉刀を二本突き付けられて身動きが取れない状態になっていたことだった。緊迫し、見つめる全員。男達は寺のお堂に入っていった。

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