男の正体



 木の下から出てきた男は小柄でウンランと同じくらい。右手と左手を前に出し、大きな玉をもっているような構えを取る。


 夏の一番暑い日になんでこんなに汗をかかなくっちやなんねーんだと思いつつ、まずは先ほど感触がよかった豹形拳の構えを取る。


 周りはケンカが始まったので野次馬がどんどん増えてくる。


「ハイヤー!」

 腕を振り回しながら五歩の距離を一気に縮めてくる。一発、二発と素早い拳が回ってくる。フェイロンは余裕で拳を見切り、重い橋手で受けてたつ。


 懐に入り豹形拳の突きを繰り出す。腕を回転させながら顔面にドドドドドと拳が飛ぶ。これで大概の者は戦意喪失するのだが、男は一旦距離を取り掌を脇腹に上げそして下ろす。気を練っているのである。


 また両腕で輪を描く。向こうから飛び込んでくる様子もない。後の先に切り替えたのだろう。


 ――こいつは案外強いかもな


 それならとフェイロンの方は虎形拳の構えをとる。

 あえて先に攻撃をする。虎爪で相手の顔を引っ掻くも首をすっと後ろに下げ間一髪で避ける。


 一歩入って左拳で顎を突いてみる。これは外受けで避け、左右の腕を首根っこに同時に当てられる。


 今度はフェイロンが一旦距離を置き、首の痛みに耐える。やくざ達はやんややんやの大合唱だ。


 ――この技……どこかで見たことあるな。そうだ!義和門拳のザンが大会で使った事がある……


「……お前は義和門拳の使い手か」

「話す事はなにもない」

「名はなんと言う」

「口の減らないやつだ」


 男が飛びはね、飛び回し蹴りを食らわす。上げ受けで防ぐフェイロン。そこから拳の応酬が始まった。


 内懐に入っての手技のやり取りはフェイロンの方が断然上手い。左拳で水月を狙ってくるも、右鶴手で回して払う。その手をまっすぐ伸ばして喉を突く。「うっ!」といいながらも顔面に左右の連打だ。左は上げ受け、右はそのまま手首をつかみ取り、自慢の握力で締め上げる。男は右手を振りほどこうと左拳の嵐である。突いても突いても蛇形手で右に左に受け流す。


 勢いを着けて左の一撃を放ったところでぱっと右手を放すと勢い余って飛んで行ってしまった。


 一回転すると、今度は慎重に足技で攻めてきた。前蹴りを捕まえ肩まで抱え上げ、強い痛みが出る経穴を鶴手で突きまくる。仕上げにその足の腿の筋を思い切り蹴ると、片足でぴょこぴょこし始めた。


 フェイロンは見抜いている。男が精一杯の力を出していない事を。考えられるのは、男がスタミナ勝負に出ているのか、それともどこかに深手を負っているかである。そうであるならばフェイロンは何故か可愛そうになってきた。


 男が右拳を放つ。フェイロンは左右の腕で挟み撃ちにし、右手を逆剥けにひっくり返し膝の上で固めた。男は苦しげな顔をする。さらに締め上げると、

「言う、言うから放してくれ」

 とついに負けを認めたのだった。案外あっけない勝負となった。


 男は武術着を払いながら口を開く。


「俺の名はクス (許) という。梅花拳の使い手だ。今は故あって日陰で暮らすしかできない身。ここの親方に拾われ用心棒を努めている」

「何か聞いたことのある話だな。そうだ。一月前、梅花拳の連中が一斉に検挙されたよな。その生き残りがクスだったっけ。お前の事か」

「恐らくそうだろう耳聡いな」

「じゃあ、ザンのことも知ってるわけか」

「十年の付き合いだ」

「じゃあ、俺達は仲間じゃねーか。いやなに、ザンに頼まれてザンの生徒に稽古をつけているんだよ。やくざの親方さんよ。もう安心していいぜ。殴り合いは終わりだ」


 ひとり納得してうんうんと頷くフェイロン。

「俺の名前はホアン・フェイロンだよろしくな」

「おおあの河北の龍の二つ名を持つ。闘えて光栄だ」

 お互いに拳を手のひらで包み込む拱手の礼をする。


「ところで親方さんよ」

「は、はい!」

「お前さんとこにはしたっぱまで入れて何人ほどいるんだ?」

「百人ほどですかね、旦那」

 親方はもう完全に下手に出ている。

「お前さんらには、日本軍の征服でなにか不便は出てないのかい」

 フェイロンが聞くと堰を切ったように話し始める。


「そりゃもうしのぎがえらいことになっているんで。みかじめ料は取れない、逢い引き酒家は廃止、博打場も借金の取り立ても禁止。今は普通の菜館と、売春宿だけで細々とやっています。奴等はきたねえんですぜ、売春宿は自分達が利用するから閉めねぇんで。全てご都合主義でさあね」

 フェイロンが待ってましたとばかりに話を切り出す。

「どうだい、日本軍に出て行ってもらいたいとは思わねーか?」

「そりゃできればね……て、何か策でも有るんですかい?」


 うだるような暑さのなか、皆木陰で様子見だ。

「ここで話すのもなんだから、明日の夕方から泰定酒家で一杯やりながら話そう。そっちも幹部の連中を二人ほど連れて来ればいい」

「分かりやした。泰定酒家で待ち合わせですね。明日は旨い酒が飲めそうです」


 話がつくと三人は解散した。やくざ達もぞろぞろと帰って行った。


「ところでクスさんとやらよ」

 フェイロンが梅花拳と義和門拳の違いについて聞く。

「義和門拳はもともと梅花拳だったんだ。套路も同じ、秘技も同じ。三十数年前に『義和団の乱』を起こした連中が、梅花拳に迷惑がかからないように名前だけを変えただけさ』

「なるほど、ザンの拳とそっくりなのもそのせいか」


 シャオタオが、しびれを切らしてこっちの木陰にやってきた。

「危なかったわねー。一時はどうなるかと。フェイロン、武器を持っているのね」

「こりゃ武器じゃねーよ。死んだ父さんの形見だ。小さな翡翠の玉が入ってるんだ」

 フェイロンがお守り袋からそれを取り出すと、緑色のきれいな玉が手のひらで転がっている。


 フェイロンは素早くそれを仕舞うと「とにかく暑い」と言い、

「クスさんよ、秘策について知りたければ、あんたも会合に顔を出しなよ」

 と言って別れた。


 シャオタオとのデートは泰定酒家に戻って終わった。

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