龍虎相いまみえる

「どうした。何があったんだ?」


 フェイロン達が武館の方に出てみると、日本軍が門に取り付けてある「洪家門武館」と書かれた木の額を外しているではないか。


「何しやがる。どういう了見なんだ!」

 フェイロンが正門に走る。一人の軍人に飛び蹴りをくらわすと両側から銃ではさまれてしまった。


 動きを止めたフェイロン。酒を飲んでいるが、足元がふらつくほどではない。


「この道場も今日で終わりだ。河北一帯の道場はその運営が全て終了となる」

 淡々と告げる日本の軍人。フェイロンは聞く耳を持たない。


「だからどういう了見だって……」

 口を開きながらいきなり両手を左右の銃身に螺旋状にからめ、あっという間に銃を取り上げてしまった。


「へへ……」

 フェイロンが見るところ相手の日本軍人は三十人ほど。やりあうかどうか思案を巡らせている。


「もういい!」


 一台の軍用車から大きな声がする。ドアが開き、片足が地面を踏みしめる。


 与儀である。その巨体を揺らしながら車を降り、門をゆっくりとくぐってきた。武館の中には門弟が二十人ほど。固唾を飲んでそのやり取りを見つめている。日本軍の方も十人ほどが門をくぐって配置につく。皆銃を持っている。


「軍の方針で全ての道場の活動は停止と決まった。新しい職でも探すんだな」

「なんだなんだ、藪から棒に。銃で脅せばはいそうですかと言う事を聞くとでも思っていやがるのか」


 あらかじめそう来るだろうと思ってた与儀は、口を閉じたままにやりと笑う。

「銃で脅してなんかないぞ」

 そういうと軽く右手を上げた。それを合図に日本軍の面々が一斉に銃を下ろした。


「なんだ、もしかして俺とやり合おうってか。デカけりゃ強いってもんじゃねーんだよ」


 緊迫した空気、照りつける西日。闘いは静かに幕を開けた。



 与儀は構えもせずに両手をだらんと伸ばしきっている。一見すると隙だらけだ。


 ――こいつは……強い!


 フェイロンは一瞬で与儀の力量を読んだ。迂闊に入り込むと手痛い目にあうと、フェイロンの本能が告げている。


 左手を虎爪にし、右手を拳にして構える。まずは得意としている虎形拳で様子を見る。


 洪拳を評して「鉄橋鉄馬」とも言う。橋とは前腕の事、馬とは足の事である。力強い橋手で相手の防御をこじ開け、正面突破するのを得意とする。

 フェイロンが動こうとしたその刹那!


 ドンッ!


 いきなり与儀が突進し、左追い突きをフェイロンに食らわせる。速い!その体躯からは考えられない移動速度である。フェイロンは右手を円形に動かし、危うくその突きを受け止める。返す刀で胸に拳をぶつけるもびくともしない。そのぶ厚い胸板で突きなど弾いてしまうのだ。


 一旦距離を取り、体勢を立て直すフェイロン。嫌な汗が流れるのは西日のせいだけではない。少し体を上下に動かし、改めて構える。


 ――今の一撃でほとんどの奴はやられてしまうだろう……


 今度はフェイロンだ。虎爪で相手の袖口を掴みにいく。大会等では禁じ手だが、今はルール無用である。与儀は腕を十字に構え、取られた左の袖口をふるいほどこうとする。そこに隙が生じる。フェイロンは左の掌を与儀の顎に叩き込む。少しは効いたと見えて頭をふった与儀だが、次の瞬間フェイロンの水月に下突きを極める。あまりにも重い拳にフェイロンは横っ飛びに避け、息が整うのを待つ。


「なんだ。もう息が上がったか」

 与儀の声が飛んで来る。


 ドンッ!


 またもや一瞬で射程距離に入ると、与儀の上段回し蹴りがフェイロンを襲う。首を引いて避けるフェイロン。与儀が一瞬横向きになった隙をつき、懐に入り込むと拳で与儀の顔面を狙う。与儀は内受けでよけると体勢を立て直し、鉄槌でフェイロンの肩を狙う。上げ受けで辛くも受けるフェイロン。鉄槌の重さが半端ではない。受けた腕が痺れるほどだ。また後ろに下がり構え直す。


 勝負の行方は互角に見える。しかし焦っているのはフェイロンの方だ。明らかに押されている。


 フェイロンは体の重さを感じている。最近は生徒の指導に時間を取られ、自身の鍛練がおろそかになっていたのだ。その上に酒が入っている。しかし言い訳は通用しない。最大の危機に立たされて、本来の動きが出来ないでいるのがもどかしい。


 なんとか正面突破をしなければならない。河北一帯の武術活動ができなくなったのは本当だろう。この図体のデカい男を倒しても活動停止に追い込まれる事には変わりがないであろうが、蜂の一刺、ここは勝たないと面子に傷がつく。


 横ではハオユーとウンランが心配そうに息を詰めて二人の勝負を見守っている。ウンランがハオユーに聞く。

「見たこともない拳ですね。なんと言う拳ですか」

 ハオユーが答える。

「聞いた事はある。おそらく日本の武術、その名も空手だ」

「か、ら、て……」


 勝負は拳の応酬になってきた。与儀が正拳突き、横突き、下突きを縦横無尽に仕掛けてくる。フェイロンは鍛え上げた橋手でことごとく受けていく。しかし両腕の痺れはますますひどくなり腕が上がらなくなってきていた。起死回生の横蹴りを繰り出すも与儀は難なく下段払いてさばく。


 どうっと倒れ込むフェイロンだったが、なんとか起き上がり今度は手をつまむような形にし、虎鶴双形拳の構えを取る。鶴形拳は円の動きで相手の拳を受け流し、鶴手で相手の急所を突く。


 与儀が迫る。フェイロンは右手の鶴手で左手の肩の付け根、肩井を狙う。何度も突くと、腕が上がらなくなる経穴だ。まずは片方の腕を使えなくする策である。


 またもや虎爪を飛ばし先ほどと同じように左手の袖口を掴む。与儀の動きに警戒しながら経穴に何度も鶴手の突きを入れる。与儀は虎爪を振り払い前蹴りで距離を取る。


 これが効いたようで、左手をぶらんとさせている。


 ここからはフェイロンの怒涛の攻撃だ。駆け込んで右飛び膝蹴りを与儀の顎にぶちこむと掌を上下に打ち付け、右拳で思い切り与儀の顔面めがけて直突きをかます。


 しかし反撃もここまでであった。与儀の腕の痺れも解けたようだ。与儀はまた四方八方から拳を繰り出す。丁寧に受け流すフェイロン。


 与儀の体力も限界に近くなってきた。フェイロンに突進し二段蹴りを仕掛ける。フェイロンは一打目を避けたが、二段目を避けきれず思わず十字受けをしてしまった。当然上半身はがら開きである。与儀は前屈立ちになるとその顔面に思い切り右正拳突きを食らわした。フェイロンは後ろに吹っ飛ばされた。


「兄貴ー!」

 ウンランが叫ぶ。フェイロンは鼻血を出しながら、仰向けにひっくり返った。


 

 勝負はついた。門弟達はこの勝負を見届けると、ぞろぞろと門から出て行った。


 のろのろと立ち上がり、与儀を見据える。与儀らはまた軍用車に乗り込み武館を後にした。


今日でこの武館も終わりと思うと、フェイロンの目に自然に涙がにじんだ。


 残った生徒やウンランらがフェイロンの元へ走る。

「大丈夫かい、兄貴ー!」


 奥まった場所に隠れていたザンが道場の方に出てきた。


「これでこの武館も終わりだな。しかし武術を鍛練するのに絶好の場所がある。ここから北に十キロメートルほど先に今は打ち捨てられた寺院があるんだ。そこでまた洪拳を教えてくれればいい。住みかの心配は無用だ。来てくれるな」


 フェイロンは少しだけ考えを思い巡らせていたが、決心をしたようだ。


「ああ、世話になろう。よろしく頼む」

 フェイロンは頭を下げる。

「なに、困った時にはお互い様だ。こちらこそよろしくな」


 夕暮れが迫ってきた。フェイロン達は義兄弟の契りを結びに、酒場へと繰り出すのであった。





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