第5話『美少女がいる授業風景』

「起立~、礼! 着席!」



 学級委員の号令とともに、朝の挨拶が終わると、2年C組の生徒を前に教壇に立ったこのクラスの担任・中畑武志は出席をとりだした。

 今日は、この2年C組の授業風景を皆さんにお見せしよう。

 えっ、それは面白いのか、って?

 もちろんだ。面白くないなら、決して短くもない文章を読ませて、あなたの貴重な時間を奪おうなどという失礼なことはしない。

 面白いと言える理由はふたつある。ひとつ目、C組の担任でもあり国語の先生でもある中畑先生は、少し型破りな変った先生であったから。そしてふたつ目。C組の生徒たちが、粒ぞろいのユニークさを誇るメンツばかりだから。

 出席を取り終えた後こそが、中畑先生の持ち味の真骨頂である。

 では、C組の国語の授業風景を眺めるとしよう。



「……この寒い中、今日もC組は全員出席か。近隣の中学では、インフルエンザで学級閉鎖になってるところもあるというのに、実に素晴らしい。何とかは風邪をひかん、というからなぁ」

 先生のその一言に、皆ブーブー叫んだ。

「そんな言い方はないぜ~ 先生よぉ~」

「はい!」

 一人の女子生徒が手を挙げた。とたんに、皆静かになった。

「お、朝倉。何だ」

 クラス一の読書好きで知られる朝倉瞳は、スックと立ち上がった。



「『バカは風邪をひかない』という言葉は、少しおかしいと思います。なるほど、確かに大して健康に気を使わなくても体が丈夫、という先天的強さを持った人はいるかもしれません。でも、その人が『たまたまバカだった』という偶然のもとにしか成り立たないことだと思います。バカでも、体の弱い人・抵抗力のない人は風邪をひくんです」



 クラスの皆は、ポカンとして瞳の論説を聞いていた。

 誰一人私語をしたり茶々を入れてくる者もない。

 瞳はそこで一旦間を置き、エヘンと咳払いして、トレードマークの眼鏡の位置を直してから、再び流暢に語りだした。



「……だから、風邪をひかないように手洗いやうがい・換気・水分やビタミンCの補給を心掛けたり、十分な睡眠と栄養バランスのとれた食事を意識したり、という風に……頭を使って行動する者が風邪をひかないんです。『かしこい者は風邪をひかない』。 これこそ、どんな場合にも通用する真理ではないでしょうか?」



 五秒ほどの間があって、初めはパラパラとしかなかった拍手が、次第にクラス全体を巻き込み、ついには割れんばかりの拍手となった。

「いよっ! 朝倉、いいこと言うじゃん!」

「そーだそーだ! 我らC組は実は『かしこ』ばっかりの集まりだぁ!」

 皆、勢いづいて調子に乗っている。



「なるほど、一理あるな」

 壇上の中畑先生は、非凡な論理的発言にうなった。

 クラス一のひょうきん者、福田孝太が手を挙げた。

「でもよ、オレのいとこは東大出だけどよ、この前風邪ひいてたぜ?」

「はい」

 孝太の発言が終わるや否や、挑戦的な声とともに一人の女子の手が上がった。

 クラス全体が一瞬静まり返り、彼女に注目の熱い視線を注いだ。

 クラス一、いやある筋によれば学年一・学校一とも言われる美少女、田城美由紀。

 彼女はただ可愛いだけではなく、優等生でその言動もかなりユニークであった。

 ゆえに皆、美由紀が何か言うと、一も二もなく注目した。

 立ち上がった美由紀は、凛としたよく通る声で発言する。



「『かしこい』という言葉の定義が曖昧です。この場合は「学業が出来る」という種類の頭の良さではなく、明らかに『人生を生きる上で大事な知恵を学び、それが身についていて応用が利く者』のことですね。だから、表面的な知識ばかりの学歴人間は風邪のひとつもひく、ということです」



「おお~っ」

 またまた、美由紀親衛隊(?)を中心に、大きな拍手が起こる。

 しかし一体、いつになったら授業が始まるのか?

「まさにその通りだな、田城」

 先生はまったく焦ることなく、教科書を開く。

「それでは、『賢者』の諸君。教科書の57ページを開いてくれたまえ」



 今、彼らが学習しているのは、O・ヘンリというアメリカの小説家が書いた『賢者の贈り物』という作品である。有名だが、念のためあらすじを紹介しておこう。

 貧しい夫妻が、相手にクリスマスプレゼントを買うお金を工面しようとする。

 妻のデラは、夫のジムが祖父と父から受け継いで大切にしている金の懐中時計を吊るす鎖を買うために、自慢の髪を切って売ってしまう。

 一方、夫のジムはデラが欲しがっていた櫛を買うために、自慢の時計を質に入れていた。物語の結末で、この一見愚かな行き違いは、しかし、最も賢明な行為であったと結ばれている。



 中畑先生は、出席番号順に、教科書を1ページ分ずつ朗読させていく。

「先生~」

 成績は今ひとつだが、授業中の発言だけは積極的な増田良輝が手を挙げた。

「文章の一番初めでさぁ、『クリスマスだというのに1ドル87セントしかなかった』って書いてるけど、それってどれくらいのお金なんですかぁ?」

 腕を組んだ中畑先生は、熊のように教壇の上をウロウロしながら答えた。

「そうだな。昔の1ドルと今の1ドルは随分価値が違うから一概には言えないが…多分今で言う『五百円』くらいなんじゃないのか?」



「エエッ、安!」

 クラス中がどよめいた。

「当時の労働者階級、ってみんなそんな感じなんですかぁ?」

「じゃあ、O・ヘンリが生きていた1800年代の最後から1900年代の初めに起こった歴史的な事実が言える人?」

 中畑先生の投げかけた質問に、キランと眼鏡を輝かせた朝倉瞳が立ち上がる。

「世界的な産業革命。その後に続く世界恐慌」

「……その通り」

 瞳の答えに満足した中畑先生は、補足した。

「いつの時代もそうだが、光があれば闇があるんだな。革命的な技術革新で儲かる人間もいれば、それによって割りを食う人たちもいたわけだ。今の時代もそうだろ?」



「でもよぉ」

 納得いかなさそうに、ひょうきん者の孝太が手を挙げる。

「夫婦で、クリスマスで自由になるお金がそんなに少ないって、無茶苦茶だよな。そんな家計じゃこの二人、子どもなんかつくれないよね」

「少子化が進んじゃうよね、どげんかせんといかん!」

 孝太と仲の良いサッカー部のキャプテン、室木大輔がおどけて言ったので、クラス中がどっと沸いた。

「ちっくしょう、オレのお株を奪いやがってぇ」

 クラスを盛り上げるのはオレの使命だ! と勝手に思い込んでいる孝太は、露骨に悔しがった。

 隣の席の美由紀は、そのままシャンプーの宣伝になりそうな漆黒のロングヘアをかき上げて一言。

「……バカ」



 陸上部にしてクラス一の俊足、宮田菜緒は、ため息をついた。

「ワタシだったら、プレゼントなんて心さえこもっていればポッキー2箱でもいいのにぃ。それだったら五百円もかからないでしょ? ホントゼイタクな話」

「だからお前はお子ちゃまなんだよ。食い気ばっかだと女らしくないぞぉ」

 椅子の背もたれにふんぞり返った室木大輔は、あきれてはやしたてた。

「なななななな~んですって!?  もう一度言ってみなさいよっ」

 菜緒は席を立って、大輔に詰め寄った。

「まぁまぁまぁ。夫婦喧嘩はそこまでにしていただいて……」



 孝太が仲裁に入ると、二人は顔を真っ赤にして大人しくなった。

 この二人が付き合っているのは、クラスでは周知の事実だったからである。

「それじゃ、時間もアレだから。今日のメイン・イベントいってみようか」

 中畑先生のその一言で、クラス中がワ~ッと盛り上がった。



 生徒たちは、その時間のことを冗談で『花王・愛の劇場』と呼んでいた。

 これは、中畑先生独自のアイデアである。国語の教科書で題材になっている物語を、生徒たちに劇形式で好きに演じさせるのだ。

 本来の筋書き通りである必要はまったくなく、どんな展開、どんな結末になってもよい。しかも、演じる者はその日ごとにランダムで指名され、事前の練習も何もない。すべて、即興のアドリブである。



 妻のデラ役は、満場一致で美由紀に決定。

『髪のきれいな奥さん』という設定には、彼女ほどピッタリな人物はいない。

 さぁ、それからが大変だった。

 美由紀の相手役だったから、男たちはこぞって立候補した。

 我こそは、と手を挙げて押し寄せる男子生徒の群れに、「むさくるしいっ、寄るなぁ!」と一喝した中畑先生は、あみだくじを作った。

 候補者は、みな好きなところを選び、名前を書き込んだ。



 その結果、お調子者の福田孝太に当たった。

「じゃあ田城。『シチュエーションカード』を一枚引け」

 それは、演じる上での『特殊条件』だった。例えば、そこに『性別入れ替え』と書いてあった場合、女子は男として演じなければならず、男子は女としてそれらしく演じなければならない、といった具合だ。

 美由紀は、エイッとばかりに一番下のカードを引いた。

 内容を読み取った美由紀は、青ざめていた。

「おい……一体何て?」

 不安になった孝太は、恐る恐る美由紀に尋ねた。美由紀は、自分に向けていたカードをクルッと反転させて、皆に見えるようにかざした。

 一同は、あまりの恐ろしい条件に、一瞬凍りついた。

「か、関西弁?」



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 花王・愛の劇場


 演目 :O・ヘンリ作 『賢者の贈り物』


 Cast


 デラ役 …… 田城美由紀

 

 ジム役 …… 福田孝太




「今けえったで」

 ジムが廊下から、ドアを開けて入場してくる。

「あらおまはん、お帰りやす」



 ……おまはん?



 観客は皆、首を傾げた。

「それって、本当に関西弁かぁ?」

 デラは一瞬素に戻って、観客に向かって弁解する。

「だって、関西弁なんてよく分からないんだから……」

 ジムは、デラの短く刈られた(ということにした)髪を見て驚いた。

「お、おみゃー、その髪、なんばしょっとね!?」

 観客からブーイングの嵐が起こった。

「名古屋と博多を混ぜるなぁ!」

「……せからしか!」

 孝太はまたまた博多弁で、ギャラリーに向かって一喝した。一方の美由紀は、いちいちギャラリーの野次に反応しても埒が明かないと考え、演技を続行した。

「怒らんと聞いてや。ウチ、あんさんのためや思うて、髪の毛売ってしもたんや。そんでな、そのゼニでな……あんたの懐中時計にピッタリの金の鎖をこうてきたんやで!」

 情感たっぷりに訴えるデラ。

「ヨッ! 今のはなかなかの関西弁だぞっ!」

 中畑先生の応援がここで入った。



「な、なんやてぇ!?」

 それを聞いたジムは青ざめた。

「わ、わても……おんどれの髪によかっちゃんと思うて、懐中時計ば売っぱらって櫛さこうてしもうただぁ!」

 オオマイガァッ! とうめいてのけぞるジムに、ギャラリーは非難ごうごうであった。

「『おんどれ』 って何よ。きったない言葉!!」

「ちっとも関西弁になってないぞお~~~」

 自分としては一生懸命やっているつもりだった孝太は、ムキになった。

「黙らっしゃい! ちゃんとしまいまで聞きなっせえ」

 もはや、ヘンな言葉なら何でもアリの世界になっている。



「デラはん、なんちゅうことをやらかしてくれよったい! ほな、ワシのこうたこの櫛は、な~んもならんわけぞなもし?」

「ジムやん、そげんこつ言われても……」

 美由紀も、だんだん言葉が怪しくなってきた。

「んだども……ほな、どげんすりゃえがったと? 髪売らんで、吉原で売女(ばいた)にでもなりゃあよかっただかぁ? 祇園で芸子すりゃよかっただか? 

 あんたこそどやさ? せっかくあちきが鎖こうてきたばってん、肝心の時計ば売りようもん、あんまりの仕打ちでありんす!」

 ムチャクチャすぎて、誰も突っ込めなかった。

「ようも言うてくれたなぁ? それを言っちゃあオシマイよ。ケンカ売るんなら買うたるわい! 表へ出さらせ!」

 負けず嫌いの美由紀は、売り言葉に買い言葉で応戦する。

「望むところじゃ! いてもうたろかい、ワレぃ! 血ぃ見ても知らんでぇぇ」

 もはや方言などではなく、ヤクザ言葉である。

 あまりにもひどい展開に、中畑先生のレフェリーストップがかかった。

 演技を通り越して火花を散らす二人を抑えるのに、苦労する先生であった。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 とりあえず一同の興奮が冷めてから、中畑先生は皆に言った。

「この物語を通して、みんなは何が勉強になった?」

 真っ先に手を挙げたのは、朝倉瞳だった。



「確かに、髪を売った妻への櫛、そして時計を売った夫への時計用の鎖。役に立たない贈り物にはなってしまったけど、そういう表面的な価値じゃなくて……相手を思う気持ち が何よりもこもっていたから、その意味で『賢者であった』と言ってるんだと思います。今の世でも、政治家とか『知識人』を自称する人たちが汚職や愚かな行いをしていますよね。だから、彼らに比べて『愚か』とされる下層の人々の素朴な思いや心遣いこそが、よっぽど賢者にふさわしいと作者は訴えたいのではないでしょうか」



 クラスメイトたちは、模範的な答えに『おお~っ』と感嘆の声を上げた。

「質問~!」

 質問好きの増田良輝が手を挙げる。

「そもそも、何でこの作品のタイトルが『賢者の贈り物』なんですか? もっと別のタイトルでもいいような気がするんですけど~?」

「それは、私が説明します」

 さっきデラ役で見事な(?)活躍を見せた美由紀が、名誉挽回を図るべく立ち上がった。



「もともとこの物語はね、新約聖書の、東方の賢者がキリストの誕生を贈り物を持って祝いに来たエピソードを下敷きにして、それとだぶらせたお話なの。教科書には、その部分の説明がまるごと省かれているからね。

 きっと、文科省のお偉方は宗教色のある内容は避けたかったんでしょうね。原作の良さをそのまま味わうなら、カットすべき部分ではないと思うけどね。これ、「事なかれ主義」の弊害ね。



 あと、当時のユダヤ社会では、『キリスト』などという救い主に来てもらっては都合の悪い人がいたの。そう、当時の特権階級、つまり王様や貴族ね。自分の地位が脅かされると思ったのね! 

 実際、当時キリストが誕生したという噂を聞いた王様が、国の二歳以下の赤子をすべて殺したという話が聖書に残っている。だから、賢者たちもある意味権力者の意に沿わないことをするわけだから、それは覚悟が必要だったでしょうね。



 でも、その賢者が命がけで持って来た高価な贈り物のお陰で、貧乏だったヨセフとマリヤが赤子のイエスを連れてエジプトへ逃げれるだけの費用を与えられて、キリストが無事に生き延びることができたんだから、まさに 『賢者の贈り物』だったというわけね」



「すっ、素晴らしい!」

 中畑先生は、美由紀に拍手を送った。

 クラス中も、普通に教科書だけ読んでいたのでは分からないトリビア的(?)知識を学べて、満足の拍手を送った。



 チャイムが鳴った。

「じゃ、今日はここまで。楽しかったぞ」と言って中畑先生は荷物をまとめだした。

「……先生」

 美由紀が一人、席から立ち上がる。

 不思議なことに、他の皆はシーンとして席から動かない。

「な、何事だ?」

 気味悪がった中畑先生は、黒板に背中がつくまで後ずさりをした。美由紀がクラスを代表するかのように、ツカツカと一人、教壇の前までやってきた。

 彼女の手には、一枚の色紙。

「先生、これみんなから。めげずに、頑張ってください!」



 ???



 中畑先生は、手渡された色紙を見て、顔が赤くなった。

 色紙には、『めげるな先生、次がある! お見合い成功祈願』と書かれており、クラス全員分の励ましの寄せ書きがびっしり書かれていた。

「先生、あきらめるな~!」

「きっといい人、見つかるわよ!」

 方々から声が上がった。



 ……おっ、お前らどこからそんな情報を仕入れた!? この地獄耳め!



 そう。彼はつい一週間前、通算5回目となるお見合いに失敗していたのだ。

 このお話を読んでいただければ分かるように、先生はいい人には違いないのだが、だからと言って世の女性が必ずしも正当な評価を下してくれる、というわけにはいかないようなのだ。

 大きな歓声と拍手の中、美由紀から先生へ花束の贈呈が行われた。

 どうも今まで、掃除用具のロッカーの中に隠してあったらしい。

 握手を交わした美由紀は、先生の耳元にささやいた。

「……実は私もね、色々と苦戦中なの。お互い頑張ろうねっ。人は見かけじゃないから!」



 ……っておい、それは暗にオレがイケてないと言ってるんじゃあ?



 ちょっとはそう思ったが、やっぱり好意的に受け取ることにした中畑先生は、声高らかに宣言した。

「よっしゃ! 今学期の成績はぁ、この『愛の劇場』の出来を50パーで加味してやるっ。試験は50パーでどうだっ!」

 それまで静まり返っていたクラスは、興奮のるつぼと化した。

「やった~~~~っ! 先生って話せるぅ!」

「キャ~ 先生最高! 私ファンになっちゃう」



 結局、今回のことでは中畑先生よりも、美由紀を中心とするC組の生徒たちが一枚上手であった。

 生徒たちが獲得したのは、まさに 『賢者たちへの贈り物』 だったと言えよう。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る