こたつの秘密

・現パロ。四人共ただの人間で、本編にない設定を盛り込んでいます

・ヨル×スズネ

・「花香る」の続きものです。単体でもお楽しみいただけますが、設定などはそちらと同じものを利用しておりますので、「花香る」を読んでからの方がお楽しみいただけると思います

・年越しネタです。皆様良いお年を!

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 早く年が明ければいいのに。

 そんなことを言ってしまった自分を、スズネは猛烈に恨んでいた。

 程よく熱されたこたつの中で、正座したままの足を崩せないでいる。ぴしりと背筋を伸ばしたスズネは、その凛とした佇まいに反して、脳内を酷く混乱させていた。


「スズネ、毎年何見てる? 歌番組? それともお笑い?」

「あ、えっと、家族が好きなので、お笑いを。……ヨルくんは?」

「うちは毎年歌番組かな。お笑いのがいい?」

「い、いえ! 歌! 好きですから!」


 隣から聞こえてくる和やかな問いかけに、スズネは勢いよく首を横に振る。裏返ったスズネの声を聞いて朗らかに笑ったのは、既に寛いだ様子のヨルである。エプロンをつけていない、制服姿ではない、というだけで、見慣れたはずの彼の姿も全く変わって見える。白いパーカーが何よりも輝いて見えるのは、スズネの心理が大きく関わっていることだろう。

 バイト先で見る彼とは違う雰囲気に、スズネはドギマギと視線を彷徨わせる。着いたテレビから聞こえてくるコマーシャルの音が、スズネの無言を上手く誤魔化していた。

 何故あんなことを言ってしまったのだろう。スズネは小さく肩を震わせる。明らかに全身を巡る熱が増した。それは決してこたつのせいだけではない。思い出しただけで全身を強襲する羞恥に、スズネは今にも押しつぶされそうだった。



 ヨルとコハルの両親が営む花屋にて、スズネがバイトを始めてから数ヵ月が経つ。最初はたどたどしかった仕事も随分と板について、すっかり仕事が日常に溶け込んできた頃合いだ。

 クリスマスが過ぎたかと思えば、世間はあっという間に雰囲気を変え、それに順応する前に年越しがやってきた。今年の最後を飾る三十一日は、店自体が休暇をとる。毎年、その日は一家団欒の日だと決めているのだそうだ。それに伴い、当然スズネのバイトも休みとなった。

 三十日――つまり、今年最後の仕事の日。ヨルと二人で店を閉じる準備をしている中で、スズネは思わず呟いた。


「ヨルくんと会えるの、今年は今日が最後ですね」

「ん? うん、そうだね」

「なんだかあっという間でした。春の終わりごろか夏の始めにバイトをし始めてから、もう年明けです」

「すっかり仕事にも慣れたね、スズネ。来年もうちにいる?」

「はい。お店の方がよければ、受験まではここにいさせてもらう予定です。ご迷惑でなければ」

「まさか。母さん喜んでたよ、一人いるだけで全然違うって」


 和やかな会話も、すっかり当たり前になった。話すことができなかった時期が無かったかのように、滑らかに会話は紡がれる。途切れない会話が何よりも愛おしく感じられて、スズネは思わず笑みを浮かべた。

 窓の外はすっかり闇夜に呑まれている。暗くなった世界で、ちらほらと見える建物の灯りが夜の闇を退けていた。店内の眩い照明に照らされながら、スズネは眼前の花を見つめる。

 ブリキの花桶の中に納まった、赤い薔薇の束。甘く気品高い香りを漂わせるその花を見て、スズネは僅かに肩を揺らした。

 赤い薔薇の花言葉は『あなたを愛しています』だ。この花屋で働きだした初日に、ヨルから――何やら意味深な流れで――教えてもらったその花言葉は、スズネもよく記憶している。

 ヨルに想いを寄せているスズネにとって、赤薔薇の花言葉は決して他人事ではない。その花弁のように頬を赤らめたスズネは、静かにヨルの姿を盗み見る。せっせと片付けを進めるヨルの背中を見つめるうち、スズネの唇は、自ずと動いた。


「早く年が明ければいいのに」

「スズネ?」


 そんな独り言にも、ヨルは律儀に反応を返す。なぁに、と言いたげに振り向いたヨルの姿を見て、スズネは蚊の鳴くような声で呟いた。


「そしたら、ヨルくんとまた会えますから」


 好きな人と一緒にいたいと願うのは、当たり前の感覚だ。少なくとも、スズネにとっては。

 バイトの間、ヨルの都合がつく限りの時間を共に過ごしていたスズネは、少しの間だってヨルと離れる時間が寂しかった。会う理由を作れる関係ではない。胸の内に渦巻く切なさに背を押されるまま零した言葉を聞いて、ヨルは静かに小首を傾げる。


「……寂しい?」

「さみし……いえ、いや、あの、うん、ちょっとだけ」

「そう、寂しいんだ」

「……なんだか、声が、嬉しそうです。ヨルくん。からかってますか?」

「ううん、別に」


 否定をするにはあまりにも浮ついた声音が鼓膜を撫でる。じと、とした視線を向けたスズネに、ヨルはその綺麗な瞳を細めて笑ってみせた。


「僕もだよ。早く年明ければいいのにね」

「年が明けたら、またお仕事頑張ります。一生懸命働きますね」

「ふふ、僕も。一緒にがんばろ」

「はい。ヨルくん、良いお年を」

「良いお年を、スズネ」


 名残惜しいながらに、酷く愛おしい会話をした。そんな会話を胸に思い浮かべながらの帰路は、冷え込んだ空気まで愛おしく感じられて、この上なく幸福だったことを覚えている。

 年明けもまた、こんな風に会話ができればいい。会えない間は、何か言い訳をしなくてもメッセージを送れるように。一言だって話せれば嬉しいのだから。

そんなスズネの細やかな祈りを予想外の形で打ち砕いたのが、スズネの母の一言だった。

 曰く、今年は仕事が忙しくて帰れそうにもないのだ、と。そのことをヨルとコハルの両親に話したら、快くスズネを家に招いてくれたのだ、と。

情報を補足すると、互いの親同士は酷く仲が良い。古くからの友人で、一緒に旅行もする仲だ。だからこそ、子供同士が不仲になったことを一時期は大いに嘆いていたのだが、仲直りをするや否や、これだ。何かと理由をつけて子供達を一緒にいさせたがる。

 まさか団欒の輪に部外者が立ち入れるはずもない。丁重に断ろうとしたスズネに掛けられた言葉は、「コハルがシンヤとのデートで家にいないため、一人分余ってしまった材料の消費を手伝ってくれ」だった。

 そう言われると断りにくい。常日頃からバイトで世話になっている家族に逆に頭を下げられてしまっては、スズネが抗えるはずもなく。


「スズネと一緒に年越しするの初めてだね」

「そう、ですね……」


 結果がこれだ。慣れないこたつの柄を見つめながら、スズネは呟く。最早独り言に等しい相槌でも、ヨルは気を悪くしたりしない。子供同士だから、と当然のように並んで確保された席で、スズネは約二時間ほど正座を続けていた。そろそろ痺れ始めても可笑しくない足に、何の感覚もない。感覚を奪うほどの緊張感に晒され続け、スズネの心は既に声が枯れるほど悲鳴を上げていた。

 どうしてあんなことを言ってしまったのか。どうせ一緒に年を越すなら、言わなければよかった。気まずいことこの上ない。

 濁流のような後悔を胸に、スズネは必死でヨルから視線を逸らし続ける。慣れないリビングの、慣れない匂い。何もかもが馴染みのないものばかりで、スズネの目が回る。コハルは宣言通りシンヤと年越しデートに行っているし、ヨルのご両親はキッチンにて食事の準備中である。必然的に二人きりになってしまったこたつの中、スズネは小さく肩を竦める。黙り込んでもテレビの賑わいがあることだけが救いだった。


「……スズネと年越せるなんて思わなかったな」


 ふと、ヨルがそんなことをぼやく。テレビの中で美しい歌声を披露する歌人たちを横目に、スズネは顔を上げた。


「ほんと、キミがバイトに来るまではもう喋れないと思ってたし。年越しなんて夢のまた夢だったよ」

「……その節は、ご迷惑を」

「いいよ。確かに話しにくいもんね、あんな空気じゃ。怒ってるんじゃなくてしみじみしてるだけ」


 ヨルは、笑顔を絶やさないままそう言葉を続ける。その優しい笑みの何処にも、偽りの雰囲気を感じない。

 遠くから聞こえてくる包丁の音を聞きながら、スズネは呆然と瞬きを繰り返す。ヨルが年越しをスズネと過ごせることで、どうしてそこまで優しい表情をするのだろう。――その答えは分かり切っている。ヨルは単純に優しいのだ。その優しさは、友人であるスズネに余すことなく発揮される。こんな日でもスズネを邪険にしないのは、最早優しいという域を通り越した優しさだ。


「私もヨルくんと年を越せるとは思ってなかったです」

「嬉しそうだね?」

「嬉しいですよ」

「僕と会えたら寂しくないもんね?」

「……ヨルくんからかってますね?」

「からかってるよ、ふふ」


 年越しということで、ヨルの気分も多少盛り上がっているのかもしれない。普段の二割増しで分かりやすく揶揄うヨルに、スズネは小さく頬を膨らます。その頬だって、ご機嫌なヨルにとってはおもちゃとなるらしい。彼の伸ばした指で頬を突かれて、スズネの頬は簡単にしぼんでいった。


「もう……ヨルくん、私年上なんですよ? 先輩です。もう子供じゃないんですから、そういう触れ合い方はいけません」

「駄目なの? 幼馴染なのに。昔よくやってたでしょ」

「もう私大学生ですよ。おもちゃにしちゃ駄目です」


 大人ぶったスズネがそう答えれば、ヨルは一瞬不服そうな顔をその表情に浮かべた。普段は態度も表情も大人びている彼にしては、珍しい表情である。

 そんなに頬が好きなのだろうか。しかし、あまり不用意に触れられては心臓が持たない。何より、その触れ合いでヨルを意識していることが表に出てしまいそうで恐ろしい。スズネも頑なに譲らなければ、暫くの沈黙の後、ヨルの指が引っ込んだ。そのまま、ヨルの手はこたつの中へと潜り込んでいく。

 観念したらしい。

 安堵の息を吐こうとした刹那、スズネは大きく肩を揺らす。

 こたつの中で、膝の上に置いていた手に、ヨルの手が触れている。手の甲を滑ったヨルの指先は、スズネが軽く閉ざしていた手の平を簡単にひっくり返して、ゆっくりと手を重ね合った。驚いて跳ねた指同士の隙間を埋めるように、まるで縫うように指同士が絡みあう。ぎょっとしてヨルに視線を向けたスズネは、頬に集中した熱を誤魔化す術を持たなかった。

 少し拗ねたような顔で、ヨルはスズネのことを見つめている。こたつの中で隠すようにして繋がれた手は、明らかに昔から成長して、男性らしい骨ばったものになっていた。

 最後に手を繋いだのはいつだったか。少なからず、ヨルもスズネも、大人とは程遠い年齢だったに違いない。でもなければ、ヨルの手に触れて、こんなにも『異性』を感じることなどなかっただろうから。


「よ、よるく、な、なに、なんですか」

「『子供じゃない触れ方』ならいいの? これは?」

「いや、あの」

「別におもちゃにしてる訳じゃないよ。遊んでるんじゃなくて、本気なの」


 いつになく真剣さを帯びた瞳に真っ直ぐ見つめられ、スズネは口をぱくぱくと動かす。声にならない声を聞いたように、ヨルは静かに目を細めた。

きつく握りしめてくる手がやけに熱いのは、こたつのせいではない。だって、その手は先ほど触れたときはもう少し穏やかな体温をしていた。たった数秒の間で、今にも溶けてしまいそうな体温まで跳ね上がるほど、このこたつは高温ではないのだ。


「……子供じゃない触れ方ならいい?」


 強請るような、或いは縋るような声でもう一度問いかけられて、スズネはいよいよ言葉を失う。何しろ、自分で大人を自称する年齢だ。それが意味することくらい理解できる。

 テレビの音が随分と遠くに聞こえた。包丁の音が止む度、こたつの中の秘密が暴かれるのではないかと冷や冷やする。

 ヨルの瞳は、逃げることを赦さないと明言している。まじまじと注がれ続ける視線に逃げ道を塞がれて、スズネはとうとう口を割らざるを得なくなった。


「……い、です、よ?」


 ぎこちなくなった返答を補完するように、スズネはゆっくりと己の手に力を込める。自ずと握り合う形になった手に隙間はなく、ただの幼馴染がするにはあまりにも近すぎる距離感であることを物語っている。

 今にも溶けそうだ。熱に支配された思考で、そんなことを思う。黙り込んだ二人の間を取り持つように、テレビからは拍手の音が聞こえていた。


「ヨルくん、大人っていうのはですね、子供に比べて比較的ずるかったりします。そういう手段を覚えるからです」

「うん」

「……私は大人で比較的ずるいので、これを、都合の良いように解釈してしまいますよ?」

「じゃあ僕も大人で比較的ずるいから答え濁していい?」

「……いや、ヨルくんは年下で私より子供だから、駄目です。言ってください。駄目です」

「そういうのずるっていうんだよ」

「私は大人だからいいんです」


 何だか不毛なやりとりの後で、ヨルが堪え切れなくなったように笑い声を零す。つい先ほどまでの神妙さは何処へやら、ヨルは緩んだ表情のまま、スズネに静かに顔を寄せた。


「好きだよ」

「……はい」

「言えっていったのスズネなのに、それだけ? 他に言うことは?」

「……私も好きです」

「はい。……それで?」

「次はヨルくんです」

「また逃げた」

「大人はずるい生き物なんです」

「いうほど大人じゃないでしょキミ、まだ未成年」

「いいんです、私、ずるいんです!」


 至近距離で声が放たれる度、スズネの心臓が破裂しそうになる。そんな状況で、これ以上の言葉を吐けるわけがない。

 スズネが頑なにその次を拒絶すれば、ヨルは呆れたフリをして眩いほどの笑顔を浮かべた。こたつの中で繋がれた手だけが確かで、スズネは縋るように指先に力を込める。それに絆されたように、ヨルの唇が「仕方ないな」と動き出した。


「好きです。僕と付き合ってくれますか?」

「よ、喜んで」

「ほんと? 僕キミと違って比較的ずるくない子供だけど、それでもいい?」

「こんな時に意地悪言わないでください!」

「でも僕でいいかなって思ってるのはほんとだよ?」

「……いいんです。というか、ヨルくんがいいんです」


 好きなんだから、と言葉を続ければ、目の前で瞳が蕩けた。酷く嬉しそうな幸福感を浮かべるヨルの瞳は、今までで一番美しく見えた。

 羞恥を誤魔化すようにヨルの肩に頭を寄せれば、ヨルは意外にも揶揄う言葉を口にはしなかった。ただ無言できつく握りしめられる手が熱い。密着した身体から破裂しそうな心臓の鼓動が伝わっていないことを祈りつつ、スズネは小さく呟いた。


「来年も、よろしくお願いします」

「ふふ、うん、よろしくね。スズネ」


 年明けにはまだ時間がある。だというのにそんな言葉を吐いてしまったのが可笑しかったのか、耳元でヨルの笑い声がした。

 まだ包丁の音もテレビの音も、鳴りやむ気配はない。もう暫くは二人きりのリビングで、こたつの中の秘密を共有することになるだろう。

 それが何よりも幸せで、スズネは思わず身体から力を抜く。寄りかかった先にある体温は、こたつよりも穏やかで確かな温もりを、いつまでもスズネに伝えていた。

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