終章 一緒に歩きたかった未来

第三十九話 隣のお部屋に住む人は

 私と飛鳥くんが結婚して、五回目の結婚記念日がやって来る。

 日曜日ということもあり、お義母さんから「孫の面倒なら任せなさい!」という心強いお言葉を頂いて、久しぶりに飛鳥くんと二人きりで過ごすことになった。

 うちには子供が二人いる。四月生まれの美羽みうと三月生まれの悠飛ゆうひは、年子で同学年の姉弟だ。結婚した翌年に美羽が生まれたので、夫婦二人だけの時間はそんなに長くはなかった。

 飛鳥くんは仕事が忙しいなりに、子供たちの面倒をよく見てくれるし、私は家の中のことに専念させてもらっているので、不満を言えばバチが当たりそうだけど……それでも、家の中に怪獣が二匹いるような毎日は、たまに息抜きもしたくなる。

 飛鳥くんは午後からしか空かないというので、私が車で二人を預けに行った。


「みうー! はやくー!」

「わああ、ゆうひ! ちょっとまってよぉ!」


 大はしゃぎで義実家の庭を駆けまわる子供たちは、飽きるまでの間は私のことなんて眼中にない。二人がご機嫌なうちに帰ろうとすると、お義母さんが夏野菜の詰まった箱を二つも車に積み込んで来た。家庭菜園で採れたらしい。空港に近い郊外へ家を建ててから、義両親はすっかり兼業農家モードだ。


 マンションの駐車場に車を止め、大量の夏野菜を前に「往復して荷物を運ぶしかないな」と考えていると、隣人のが通りかかった。

 隣の部屋は、前の住人が転勤で引っ越す際に「スピリット・ワールド」という会社が買い取っていて、事務所兼住居になっている。長谷部くんはそこの社員さんで、住み込みで仕事をしているらしい。見た目は高校生に見えてしまう程の童顔だけど、これでもれっきとした大人。顔を合わせるうちに子供たちが懐いてしまい、次第に私や飛鳥くんとも親しくなって、今では夕食へ招いたりもする仲良しさんだ。


「ちとせちゃん、大荷物だね。手伝おうか?」

「あっ……ごめんね、こっちの箱を頼んでもいい?」


 比較的軽い方の段ボール箱をひとつ頼んで、私が重い方の箱を抱えようとしたら、長谷部くんは重い方の箱を軽々と抱え上げた。意図がバレてる。

 玄関先まで運んでもらえば十分だったのだけど、長谷部くんは「中まで運ぶよ」と言ってくれた。その厚意に甘えて、キッチンまで運び込んでもらう。


「コーヒー淹れるから、よかったら飲んでいって。飛鳥くんもそろそろ帰ってくる頃だから」

「やったーサンキュ、遠慮なく頂いちゃう。今日はチビたちはいないんだね?」

「飛鳥くんの実家へ泊まりに行ったの。私たち、今日が結婚記念日でね」

「おっ、おめでと!」

「ありがと! それで、たまには二人でゆっくりしなさいって……なんか、気を遣って貰っちゃって」

「年子の暴れん坊、なかなか大変そうだもんね」


 長谷部くんはダイニングチェアに腰掛けて、俺も子供欲しいなぁ、と笑っている。だったらまずは、独身なのをなんとかしないと……というか、職場に住んでる場合じゃない。いったいどんな仕事をしてるんだろう。最初に貰った名刺には「人材派遣業」と書いてあったのに、他の社員さんが出入りしてるのは見たことがない。なんとも謎が多いけど、長谷部くん自体はいい人だからまあいいか、という感じ。

 淹れたてのコーヒーを渡すと、来客用のカップを一瞥して「俺のマグも置いて貰おうかなあ」と呟き、何やら真剣に悩み始めた。こういう発想はさすが長谷部くんだ、私は一言も「いいよ」と言っていない。


「私たちの食器、色違いで揃えてあるんだけど、長谷部くんも同じショップでマグ買う?」

「それ考えたんだけどさぁ、実は俺、来月の一日付けで昇進するんだよね。部下が増えて二人暮らしになっちゃうからさ、あんまりこっちに入り浸るのも悪いかなー、って」

「えぇー!?」


 つい驚いて、まあまあ大き目な声をあげてしまった。何かの職人とかじゃなくて会社員なのに、部下と二人で事務所に住み込みだなんて、いったいどんな職場環境なんだろう……でも昇進したわけだし、しかも「後輩」ではなく「部下」ができるってことは、おめでたい話ってことで……いいの、かな?


「えーと、おめでとう……?」

「あはは、ありがとありがと。いちおう栄転の話も出たんだけどね、俺がこの町を気に入ってるから、このマンションから出たくない~って言い張ったの。なんたって、うまいコーヒー飲ませてくれる別所家がいるしね!」


 長谷部くんがコーヒーを絶賛したところで、玄関のドアが開く音がした。

 病院から帰ってきた飛鳥くんは、長谷部くんに片手をあげて挨拶をしながら、私に「チビたちどうだった?」と聞いてきた。この人はいつだって、子供たちのことが気になって仕方ないのだ。


「すごくお利口さんだったよー、今頃は暴れてるかもしれないけど。お義母さんに夏野菜いっぱい貰っちゃった、長谷部くんに運ぶの手伝ってもらったの」

「そっか。知季も少し持って行けよ、ヘチマみたいなサイズのズッキーニがあるはずだから」


 あったあった、巨大ズッキーニ。お義母さんが「味は変わんないから!」って力説しながら積み込んでた。長谷部くんはやったねと手を打ち合わせ、ラタトゥイユ作ろうっと、と嬉しそうにしている。


「今日は俺、腕にヨリかけてメシ作るって決めてんの! 新人の歓迎会でもやってやろうと思ってさ!」

「え、新人さん今日から来るの?」

「そそ、正式配属前の研修。今日の夕方に到着予定だから、こっちの都合がいい時にでも挨拶に来させるよ」

「その新人って、いったい何の話?」


 話が飲み込めていない飛鳥くんに、長谷部くんの昇進と新人さんのことを伝えると、なぜか偉そうに腕を組んでうんうんと頷きはじめた。


「見た目は俺より大人だけど、ベッさんたちと同い年だから、よかったら仲良くしてやって!」

「そうなんだ、楽しみ!」

「着いたらすぐに連れて来ればいいさ、歓迎会はうちでやろう。夕飯はピザを頼む予定にしてたから、枚数増やして待ってるよ」

「やったー、じゃあ俺コーラとビールも持ってくる!」


 今年の結婚記念日は、なんだか賑やかなことになりそうだ。私たちにとってはもう一つ、神代くんの命日という、特別な意味を持つ日なんだけど……神代くん、拗ねちゃったりはしないよね。忘れてるわけではないんだし。

 うちの食卓はいつだって、神代くんの席を設けてある。二人のチビたちは「翔パパ」の席だと認識している。今は傍にはいないけど、いつだって遠くから見守ってくれている、もう一人のお父さんみたいな存在なんだよ――そういう説明で、今のところは納得しているみたいだ。

 勝手にパパだなんて言っちゃって、本人が聞いたら困っちゃうかなぁ、とは思う。だけど私にとっても、飛鳥くんにとっても、神代くんはただの「友達」なんかじゃない。彼を喪ってから二十年以上が経った今でも、心はずっと一緒にいる。忘れるだなんて決してできない、とてもとても大切な人。あえて「もう一人のお父さん」と説明したのは、彼も家族の一員だということの証なんだ。

 この場にいない人の席を設けていること、それが私たちにとってどんな意味を持つのか、長谷部くんには以前から説明してある。理解はされないかもしれないけれど、新人さんも、気味悪がらずに受け入れてくれたら嬉しいな。

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