第4話

 しばらくして周囲まわりが水を打ったように静まり返ると、何が原因だったのか知りたくて、木の根っこの陰からおずおずと覗いて見ると、そこにはいままで噂をしていた人間サマの大きな姿があった。結局あの真っ黒な翳りは人間サマの影で、おおかた春の陽気につられて庭を散歩しに出て来たに違いない。まじまじと様子を覗うと、どうやら我々を目的としたものではないことがわかった。

 肝を冷やされたことに瞬間腹が立ったが、マンションの庭の片隅に頭金もローンも払うことなく無断で棲みついているので文句をいうことは憚られた。

 人間サマの世界に足を踏み入れているのだからこういうことがあっても少しも不思議なことはない。でも、突然のニアミスは、オイラにとってはちょっときつすぎた。人間サマはそんなつもりなく歩いているのだろうけれど、オイラたちにしてみれば生死にかかわるくらいの衝撃なのだ。

 気配が風のように通り過ぎたあと、さっきのつづきを聞きたくてもとの場所に引き返した。ところが、どこを捜しても爺っちゃんの姿は見当たらない。あちこちと捜してみたが、雲のように姿を消した爺っちゃんの行方はまったく知れなかった。オイラは捜し疲れてへとへとになりながら住みすみかに戻る。どうせ爺っちゃんのことだから、夜になったら平然とした顔をして戻って来るに違いない、そう思って遅くまで眠い目を擦りながら爺っちゃんの帰りを待った。

 しかしいつまで経っても返って来る様子がなく、心配しながらも待ちくたびれて、うとうとしているうちにいつの間にか暗い闇の中に引き込まれて熟睡してしまった。

 次の朝、いつもより早く目が覚めた。爺っちゃんの様子と話のつづきが気になってしかたがなかった。目をしばたたかせながら外に出ようとしたとき、背伸びした拍子に臀のほうで気配を感じた。まさかと思いつつそろそろと体を廻してみる。果してそこには丸くなって眠っている爺っちゃんの寝姿があった。

 なかば安堵の気持を抱え、寝息を立てる爺っちゃんに近づいた。揺り起こしてひと言文句がいいたかったのだ。だが、そばまで行ってその寝姿を見たとたん、なぜか急に爺っちゃんが気の毒に思えてきて、咽喉まで出かかった愚痴を呑み込んでしまった。

 オイラは外に出て大きな欠伸をひとつしてから自分の寝場所に戻り、もう一度眠ることにした。

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