Oneiroi

焔の男

 じろじろと不躾な目で見られている。品定めされている……のだろうが、どちらかといえば獲物を狙う目、それもどういたぶり殺そうかと考えあぐねている感じがして、正直落ち着かない。

 喫茶店“夜想曲”。紅茶とシフォンケーキ専門の店。繁盛はしていないが、何人か常連客の居る小さい店に、目の前のこの男は慣れた様子で入ってくると、ジェラールに目を止めて観察し始めたのである。


「へえ、こいつが新入りねぇ」


 木製の家具に囲まれた、落ち着いてクラシカルな雰囲気のある喫茶店にはおおよそ似合わない男だった。年齢は二十代前半。ダーク・アイアンの髪は少々長めで無造作。黄色味の強い緑の瞳は何処か爬虫類を連想させる。左耳には小さな鎖が垂れた銀色のカフス。ピアノのBGMが流れる喫茶店よりも紫煙立ち込める薄暗いバーのほうがずっと背景として似合っているだろう、アウトローという言葉が具現化したような男である。


「普通の奴に見えるな」

「普通の人間だよ。紛う事なき一般市民」


 ぶっきらぼうに答えるのは、店主であるロビンだ。やってきた客を見ることなく、不機嫌に紅茶の葉をポットに計り入れている。

 それにしても、普通が普通でないような言い方。この会話が引っ掛かる。


「いいのかよ、そんな普通の人間入れて」

「いいんだよ。ここは普通の喫茶店なんだから。だからお前はさっさと出ていけ」

「毎度のこととはいえ、つれねぇなぁ」


 そこでようやくジェラールはロビンがこの男を嫌っていることに気が付いた。そういえば入ってきたときに挨拶も言っていないし、こうして会話していても目を合わせようとしない。人当たりが良く、誰にでも愛想を振りまくこの男が、だ。

 ロビンの愛猫であるルイを見てみると、彼女も警戒とまではいかなくても気にしてはいるようで、じっと監視するように男を見ていた。普段は客など気にした素振りも見せずに過ごすので、こちらもやはり珍しい。

 まさか招かれざる客なのか、と思って、カウンターの端に立つ、残る一人の従業員である銀髪の美少女を見るが、彼女はいつもと変わらない。もっともイリスはあまり大きく感情を表さないので、心中は分からないが。

 つまるところ、単にロビンが嫌っているだけということらしい。雰囲気から気は引けるし不躾で腹は立つかもしれないが、蛇蝎のごとく嫌いたくなるような人物には見えない。


 渋々、といった様子でロビンは紅茶を出す。カップはこの店一番の安物だった。店主の拘りでそれなりに良いものばかりが並んでいる茶器の中でどうして、と思っていたが、なるほど彼専用だったらしい。ささやかな抗議ということだろうか。

 男はカップの出された席に着くと、ようやくジェラールに名乗りをあげた。


「俺はシンだ。たまーにこの店にやってくる、常連客の1人ってところかぁ?」

「ケーキ一つ食べてかないくせに冗談じゃないね。なんだったら一生来なくていい」

「別に食いたかないんでね。それに、茶は飲んでやってるだろ?」


 上から目線の台詞にロビンは憚らずに顔を顰めた。それを見てシンは楽しそうに笑う。なるほど、この二人の関係性が見えてきた。


「あんたも異能者なのか?」


 店にはシンの他に客がいなかった。それをいいことに、単刀直入に尋ねる。さっきの会話でやたらと出てきた“普通”という言葉。普段使われるとするのなら、『何の特色もない』という意味となるのだが、彼らが言うと違った意味合いも持つ。

 異能。普通の人間にはない、特別な力。動物と会話ができたり、見たものを灰にできたりするような力がこの世には存在する。そして、それを使える者を異能者と呼ぶ。ロビンやイリスがそれだ。

 そしてジェラールは、シンもそれだと当たりをつけた。


「……ふーん。知ってるのか」


 よく笑う男だ、とジェラールは思った。常に薄ら笑いを浮かべている。軽薄な男に見えるが、おそらくその印象に間違いはない。そしてなんとなく勘が告げる――油断のならない相手だと。


「俺は火を使う。発火系能力者ってやつだ」


 シンはおもむろに左手を出した。なんだろうと思って何もない掌を見つめていると、一瞬小さな炎が吹き上がる。

 動物との会話、対象物を灰にする視線。それを見ていて異能の非現実さを思い知っていたはずだが、手品にしか見えない現象にジェラールは面食らった。


「で、こいつらとの関係は、昔一緒に仕事をしていた同僚ってところだな」


 同僚。昔の仕事。そこは深く触れてはいけないような気がして、ジェラールは黙した。それを見てシンはますます嬉しそうにした。


「賢い賢い。余計なことは訊かないか。その方がいいぜェ。じゃないと明日は屍かもしれねぇからな」


 物騒な台詞に、ジェラールは言葉を返せない。気を付けます、となんとか笑い返しでもすればよかったのだが、どうも場にそぐわないような気がして、結局何も喋られなかった。


「で、お前は何の用だ」


 シンがいつまでもジェラールをからかっているのに痺れを切らしたらしい。イリスは低く問いかける。


「仕事だよ。手伝ってくれ」


 そこでロビンの一睨みを食らい、降参するように両手を挙げた。


「……おっと心配するな。今回の仕事は交渉だよ」

「交渉?」


 今度はイリスまでもが怪訝そうな顔をした。


「最近ここらで新しい薬が出回っているのは知ってるか?」


 薬。もちろん医薬品などではなく、覚醒剤などの薬物のことである。


「……まあ」


 これには二人だけでなく、無関係なはずのジェラールも頷いた。昔の仕事柄、どうしてもそういう話を集めてしまうのである。


 薬物というのは、興味がなければほとんど触れる機会がないものだが、あれば容易に手に入る。お手軽な快楽に惹かれて手を出し、廃人になる若者は少なくない。この町のように大きな町であるのなら尚更だ。それでもある程度秩序が崩れないように流行るものだが、最近は少し、そのバランスが崩れかけている。それが、シンの言う新しい薬だ。

 その薬はどうやら阿片を元にしたもので、しかし主流の経口ではなく喫煙で摂取するらしい。そのため、速効性ですぐに楽しめると評判である。しかも混じり物であるために阿片より過激であるらしい。あまりに危険性が高いため薬を娯楽とする年輩の者は手を出さないようだが、恐れを知らない若者たちはその限りではない、とのことだ。


「それが流行っているのが気に入らないらしくてなぁ。説得してやめさせてくれって頼まれた」


 ジェラールの知識だと、薬物の販売というのはいわゆるナワバリに影響してくる。もちろん、暴力を職業とする者たちの縄張りだ。ナワバリにはナワバリのルールがあり、その規則を破る者は誰であろうと罰が下される。

 シンは詳しく言わないのでおそらくだが、件の薬を捌いているのは、そのナワバリの外の人間らしい。それで、商売の邪魔だからやめてくれ、と説得しに行く、と。

 いきなり制裁を加えないだけ親切のような気がするが……。


「説得?」


 何の冗談だとばかりに、ロビンは吐き出す。


「ああ」

「で、イリスを連れていくって?」

「そうだ」


 は、とロビンは失笑した。目は全く笑っていない。ジェラールが見たなかで一番剣呑とした目をしていた。


「お前とイリス二人居て、ただの説得で終わるはずがないだろ」


 火を使う男と、見たものを灰にする女。二人が揃うだけで何が起きるかは、ジェラールにも容易に想像できる。まして、相手は違法薬を販売するような人間だ。穏便という言葉が見当たらない。


「それは相手の出方次第だな」


 笑みを崩さないシン。イリスはともかく、この男は事態が悪い方に進むことを望んでいそうだ。実際、ロビンは胡散臭そうに睨み、肩を竦めた。


「……場所は?」


 ぎすぎすした空気の中を凛とした声が割って入る。それだけで今にも火花が散りそうなほど緊迫した空気が霧散した。邪眼ではなくこちらが異能なのではないかと思うほど、彼女の声には力がある。


「イリス。いつも言ってるけど、何もこいつに付き合うことは……」


 本当は止めたかったのだろう、説得を試みるロビンは、しかし途中で言葉を切り頭を振った。その顔には諦観の表情。


「東側の工業地帯。その北のはずれにある廃工場だ。どうやらそこが根城らしい」


 そうして日時を伝えると、カップを呷って立ち上がった。


「じゃあ、また来るぜ」


 カウンターの上に置かれた小銭は、僅かだが釣りの発生する金額だった。慌てて払おうとするも、要らないとばかりに手を振られる。


「二度と来るな」


 飽くまで辛辣だったロビンの台詞は、真鍮のドアベルに掻き消された。


「……ロビン」


 ただ名を呼ぶイリスに、察してロビンは首を横に振った。


「残念だけど、その廃工場については何も知らない。動物たちはみんな嫌な臭いがするって言って近寄りたがらないんだ」


  動物たちは敏感だ。害になりそうな物は瞬時に察して、決して近づこうとはしない。自らを壊し死に至らしめると分かっていても求める人間とは違う。だからこそ、その場所に薬が存在すると考えられる。シンの情報の正確性が増したわけだ。

 イリスはロビンの言葉に1つ頷き、そこでふとジェラールを見た。


「ところで探偵」


 彼女はジェラールのことを旧職業で呼んでいた。


「シンのことだが」

「あいつがどうした?」

「あまりあいつを信用するな」


 彼の軽薄さに予想はしていたが、付き合いのある奴に言われるほどなのかと思うと、あまり嬉しくない忠告だった。




 骨は鉄。壁は煉瓦。屋根はトタン。床はコンクリート。鉄パイプが壁を這い、天井にはもう点かない照明がぶら下げられている。光源はドラム缶の中で燃やされている篝火だけ。あとは深い闇に塗りつぶされている。

 墓堂みたいだ、とイリスは思う。地下深くに造られた、埋葬のための建物。深い闇がそう思わせるのか、はたまた仄かに香る芥子の匂いの所為か。


 廃工場の中はがらんどうだった。もともと置いてあった機械類は、おそらく潰れたときに売り払ったのだろう。残っているのは資材と製品を出荷するのに用いたとみられる木箱のみ。木箱には会社名が印字されていて、ここが製薬会社のものであったことが知れる。


 なるほど。薬売りの連中が溜まるようになったのも必然なのかもしれない。


 その件の薬売りの連中だが、年齢層が低かった。イリスとさほど歳の変わらない少年少女……ただの不良たちの集まりだ。イリスたちの正面に立つ代表格を取り囲むように並んでいる。その数、十五、六。


「薬を売るのをやめろって? そんなことして、俺たちにどんなメリットがあるんだ?」


 その不良集団のリーダー格と思われる少年が声を上げる。大げさに腕を広げているのは余裕の現れか。吊り目という以外どうという特徴のない少年だが、統率者らしい威厳を備えていた。

 周囲には喧嘩が得意そうな、屈強な少年たちも居る。彼らを押し退けて上に立っているのだから、それだけの頭脳と度胸があるに違いない。こうして忠告に来た得体のしれない二人組を前に臆した様子もないのがその証拠。


「さあ、それは俺たちに言えることじゃないな」


 彼らと交渉しているのはシンだ。イリスは後ろに立っているだけで、一言も発言していない。

 イリスは全身を覆う黒いマントを纏い、それについていたフードを目深に被っていた。顔を見せないという意味もあるが、あまりに特徴的な虹彩を晒さないためでもある。色付きレンズの眼鏡は今は掛けていない。意志を持って見たものを灰にする“邪眼”の能力は眼鏡越しでは発揮されないからだ。もし仮に装着したまま能力を使った場合、眼球と最も距離の近い眼鏡が灰になり、目標物まで到達しない。

 イリスにとって眼鏡は、虹彩を隠すためだけでなく、事故を防ぐための安全装置でもあった。

 ……だが、それも“仕事”の時には必要ない。


「話にならないな。こっちの利益を損失するようなことを要求してくるからには、見返りを持ってくるのが筋だろう?」

「ごもっともなんだが、俺たちはただの雇われの身だからなぁ」


 困ったように後頭部を掻く。


「それに俺たちは要求しに来たんじゃなくて、脅しに来たんだ。そこを間違って貰っちゃあ困るな」

「たった二人で来てこの人数を前にして、脅しだ? 笑わせてくれるな。しかも一人はただ突っ立ってるだけのやせっぽちじゃないか」


 突っ立っているだけのやせっぽち、とはイリスのことだろう。フードで顔を隠している上、マントを着ているので体型が分からず、女とも気づかれていないのかもしれない。いずれにしてもイリスは充分侮られる姿をしているので、この流れはいつものこと。

 今更そんなことを気にも留めない彼女は、そっとフード越しに隣の男の様子を窺って、こっそり溜め息を吐いた。

 シンは、愚か者を見つけると生き生きする、意地の悪い男だった。


「俺たちを舐めてかかるのはそちらの自由だ」


 それがシンにとっての最後の親切であると、彼らは気付いただろうか。


「とにかく、まだ互いに顔を合わせたばかりだ。今日のところはこれで帰らせてもらうよ。一応、見返りについてお伺いを立ててきたいところだしな」

「次は良い手土産を期待しているぜ」

「せいぜい期待しててくれ」


 手を上げて別れを告げ、踵を返す。イリスは不良たちに目もくれず後を追った。下卑た少年たちの視線がついてくるが、気にも留めずに廃工場の重い金属扉を潜り抜けた。


「思ったよりは賢い連中だったな」


 廃工場を出たところでイリスは言う。喧嘩腰ではあったが、受け答えは冷静な対応だった。相手が少年と知り、理知も道理もない頭の痛い会話を想定していただけに、驚きだ。……まあ、その理知や道理は子供染みた我が儘でしかなかったのだが。交渉が暴力に移行しなかったあたりは褒められる。

 そうだな、とシンは頷く。


「だが若さの所為か無知で鈍い。……結構この仕事、楽しめそうだ」


 意地悪く笑うシンの顔を見て、他人事ながらイリスは彼らを憐れんだ。

 敵に回してはいけない人間を見極められない、鈍い嗅覚の少年たちを。

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