太郎君はすでに100歳を越えている。

九原 みわ

プロローグ

「帰る!!」


叫び声にも似た声を張り上げながら、華子かこはくるりと踵を返した。

勢いよく背を向けた彼女の高い位置で結われた黒髪が、尻尾のように揺れる。その大きな黒い瞳には涙が溜まって、今にもこぼれ落ちんばかりだ。


しかしこの涙は別に悲しくて溜めているわけではない。怒りからくる激情である。


早足で歩くたび、セーラー服のスカートがめくり上がりそうになるが、今はまったく気にならない。わざと大きな音を立てながら、華子はとにかく歩くが、出口であろう扉を目の前にして、ようやくが口を開いた。


「んー?帰っても良いいが、どうやって帰るんだ?」


心底面白そうに華子の背に放たれた、底意地の悪い、けれどとても良い声に思わず舌打ちをして振り返りそうになる。


(ダメよ!華子!これに振り向いてキレたら奴の思うツボ!)


自分に言い聞かせながらも、彼女の足はもうそこから一歩も動かず、立ち止まった。


「まあ、帰れるもんなら帰ってみろ。別に俺は止めやしねぇーよ?」


ぎりりと華子は爪が手のひらに食い込む程に握りしめる。

思えば、奴は華子にとって疫病神でしかなかった。


今でさえそうだ。


「帰れなかったら、ただ俺のだろ?」


プツン、と頭の中で何かが切れる音がする。


(ああ!!悔しい!悔しい!!)


振り向いたら思うツボなのはわかっているが、華子の堪忍袋の尾も切れていた。


背を向けた時よりも勢いよく彼女は振り向き、今まで溜まりに溜まった思いを口にする。

もう我慢の限界だったのだ。


「っ、太郎君なんて大っ嫌いだ!!」


渾身の一言を大声で叫んだため、この大きな部屋の中に木霊こだましていく。

床から高い位置に造られた、台座の豪奢な椅子に座る太郎はと言えば、その世にも美しい顔を満面の笑みにし華子を見下ろしていた。



奴ーー笹目 太郎ささめ たろうとの出会いといえば、華子が小学5年生の頃である。


父親の転勤のために、住みなれた街から遠く離れた地に引っ越すことになり、賃貸の一戸建て住宅の隣には、まるでお伽話のお城のような洋館が建っていた。

仲の良かった友だちと離ればなれになり、それはそれは機嫌の悪かった華子は、その洋館を目の前にしたら、機嫌を良くして目をキラキラ輝かせていたらしい。


どんな人が住んでいるのだろうとワクワクしながら、ご近所挨拶に家族で向かったのは今でも記憶に新しい。

そこで漫画のように噴水のある大きな庭に見惚れていて迷子になった華子は、天使に出会ったのだ。もちろんその時は本当に天使と思って疑わなかった。


プラチナブロンドの肌触りの良さそうな髪に、閉じられたまぶたには同じ色のうらやむほどの長い睫毛が生え、きめ細やかな褐色の肌をした同じ年頃の少年が、噴水近くのベンチに横になっていたのだ。

白いシャツに細いリボンを巻き、チェックの短パンを履いた少年は、どう見てもこの世の物とは思えなくて、華子はベンチの近くで立ち尽くし見下ろして、まぶたが開かれた瞳は何色をしているのだろうと、背中には翼はないのだろうかと、それはそれはワクワクと心おどらせていた。


けれどそれも長いようで一瞬だった。


「なんだ、乳臭ぇガキだな」


「へ?」


どこか落胆したような、馬鹿にされたような、けれど美しい声音に、華子は瞬きしてあたりを見渡すが誰もいない。

そうなればと少年を見下ろせば、彼のまぶたはしっかりと開いていて、その綺麗な紅い宝石が二つこちらを見上げており、驚いて悲鳴をあげてすっ転んだ。


ゆっくりと起き上がる少年は、やっぱり普通の人とはどこかかけ離れた雰囲気を醸し出していて、茫然と華子は今にも背中から真っ白な翼が生えるのではと、見惚れて動くことが出来ずにいた。


すると少年は華子を見て、綺麗な笑みを作る。


「俺、ガキのスカートの中に興味ねぇんだけど」


「え?」


最初、何を言われたのか理解が出来ずにいた。

尻もちをついたまま、首を傾げていれば、子どもにしては長い指が持ち上がって、華子を指差す。


「まあ、どうしても見てほしいってんなら見てやっても良いけど、


ポクポクと頭の中で木魚の音が響き渡ること数秒。


華子は自分の出で立ちと、置かれている状況を瞬時に悟る。


お気に入りの赤い小花が散る白い膝丈のワンピースは、今は太ももまでめくり上がり、ピンクのウサちゃんパンツがにっこり微笑んでいた。


「きっ」


「き?」


「きゃあああああああ!?」


顔から露出した肌は一気に茹でだこになり、華子はそのまま勢いよく立ち上がると、逃げるように背を向けて、わけもわからず自分の家に駆け込んだ。


それが、太郎と華子の最悪の出会いだ。


それからと言うもの、太郎は何かと華子につきまとった。

出会いが出会いなので、華子としてはあまり親しくしたいと思わなかったのに、彼は逃げる華子を捕まえては、ウサちゃんパンツを人質に取る。


しかも華子と名前があるにもかかわらず、嫌がらせのように、


「ウサギ」


そう呼ぶのだ。

はたから見ればなぜウサギなのだと不思議になるが、大人たちは仲のいいことだと笑っていた。

追求されないだけマシだったけれど。


しかし大きくなればなるほどに、小学生の頃とは違うやっかみが増えてくる。


そりゃあそうだろう。

中身をまったく知らない人から見れば、太郎は本当に天使のようなのだ。

それは年をとるごとに増していき、いつしか華子の周りには友だちと呼べる友人は1人もいなくなったのだ。


そしてやっと高校を卒業して、脱太郎作戦を決行しようとした矢先、太郎に卒業祝いしようと、高校3年になってから久しぶりとなるあの洋館に足を踏み入れた。

嫌々ではあったが、これが最後だと自分に言い聞かせ踏み入れたのに、玄関エントランスに片足を突っ込んだ瞬間、身体が傾いてそのまま落ちていったのだ。


気がついたらここにいた。


高く高い天井に、美しい細工の施された、大きなシャンデリアがぶら下がる。

床は磨き抜かれた大理石に、赤紫色のビロードのカーペットが引かれ、両サイドの窓枠は細長い半円を描き光を導く。

極め付けは、両サイドをがっちりと、数十名の軍服を着用した騎士が帯剣して立っていた。


目尻を吊り上げながら、華子は離れた高い場所に座る太郎を睨みつけた。


、どこかで聞いた言葉である。


そんなことがまさか自分に降りかかるなんて、誰も思っても見ないだろう。


笹目 太郎。

彼のせいで続く不幸は、まだまだ終わらないようだ。

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